久しぶりの外は、まばゆい光で包まれていた。目の奥にまで届く無色の光に、一瞬視界が真っ暗になる。クルーたちも次々に甲板に出ては、待ち焦がれた太陽に喜んでいた。外だ。待ちわびた日の当たる場所だ。私は大きく深呼吸をした。嗅ぎなれた潮の匂いとともに、夏のにおいが香ってきた。空気が重く、焦げ臭い。私の体の中で、それが小さな爆発を起こしている。それでも太陽は私を焼き焦がす。ああ、違う。これは錯覚だ。

私はにじむ汗を袖でぬぐいつつ、つなぎのチャックをへそあたりまで下げだ。上半身だけ脱いで、つなぎの袖を適当に腰に巻き付ける。直射日光に当たるよりは、何か着ておいたほうがよいらしいけれど、このつなぎの分厚さでは厳しいものがある。私たちに一歩遅れて、白熊がのっそりとでてきた。

「おれ、あつくて、しんじゃうよ」
「ログは一日でたまるから、ちょっとの我慢だよ」
「そうだけど、これはあつすぎるよ」
「ここは常夏の島だからね」
「なんで平気なの?」
「暑いのは、慣れているからね」
「そっか〜 ミョウジは夏島出身だったっけ」
「そうだよ」

私の故郷はここよりも、じめじめとした夏島だった。風もない暑い日に、窓のない部屋で過ごすような、夏の雨の次の日のような、湿気交じりのそういう重苦しい空気があった。ああ、これも違う。それはあの家だけ。遠い昔のあの日だけ。私と白熊が話している間にも、船は島と目と鼻の先まできている。私も買い物をすませなければならない。この前の戦闘でお気に入りの服に落ちない汚れがついたし、化粧水もストックがない。剃刀だって、そろそろ限界を迎えている。錨をおろせば、クルーが我先にと町へかけていく。私もいまだに暑い暑いよお、とぐだっている白熊を置いて、船を出た。

お昼ご飯を食べ、買い物を済ませて船に戻る。男たちはしばらく帰ってこないだろう。そういう生き物だ。それに常夏の島ということで、島の飲食店は盛っていた。島の人間も明るくおおらかなため、閉鎖的な船にいた私たちにとって、気分転換をするにはうってつけだと思う。夜まで騒いでいたい気持ちもわかる。瓶ビールを片手に浜辺を歩いてみたり、海を見ながらみなで大皿を囲んだり、昼間からずいぶん楽しそうなクルーたちを見かけた。
私はというと、クルーのお誘いを断り、ひとり部屋に戻って、買い物中にふと立ち寄った本屋に売っていた小説を読みふけっていた。夜ご飯は、帰ったときに調理場にいたクルーに追加注文をしておいたので、もう2、3時間もすればお呼び出しがくる。

気分転換に甲板にでるとちょうど太陽が海に飲まれていた。ゆっくり、とてもゆっくりと時間をかけて。水面はオレンジと融合しながら、ゆらゆらと穏やかに揺れている。太陽はまだ、すべてを照らしてくる。私を、私の行為を見張るように。それを私がとても恐れていることを、海は知っている。海は私の秘密を知っているからだ。だから太陽に悟られないように、そっと私を守ってくれている。そして太陽を飲み込んだら、私を呼ぶ。おいで、なんて、ひどすぎる。私は知っている。夏の海は温かいことを。ザザ、と波が砂をさらっていく音がする。その音に導かれるように、私は船を降りて、砂浜を踏みしめた。さわさわと海の端っこが私の足にまとわりついた。穏やかな波の圧と、心地よい温度に私はもう一歩踏み出した。私はやはり、海が好きなのだ。

海と浜のはざまに立ち尽くし、夕日が沈んでいくのを見ている私の名前を、誰かが呼んだ。それは目の前に広がる、海に似ていた。穏やかで、何よりも深く、少し暗い。私の秘密を知っていて、私のことを隠してくれる。振り向くと、やせ形のくたびれた風貌の男が立っていた。痩身の後ろで、さらに細長くなった影が伸びている。帽子の陰で目元が見えないが、男の眼の下には深い隈がある。整った顔をしているのに、それのせいで死体のようだと思ったことが何度かある。今日は暑いためか、いつものパーカーではなく、薄手の黒いシャツを着ていた。おかげで腕に彫られている入れ墨が惜しげもなく晒されている。そんな男だが、しかしいつもどこか貴族のように優雅なのだ。五歩、男は私に近づいた。海と砂浜の瀬戸際で足を止める。男が私の名前を呼ぶので、私も呼んだ。クルーと同じように。

「お前は夏島に寄る度、ひとりになりたがる」
「それは、キャプテンが構ってくれるから」
「お前らしくもない」
「だって、キャプテンが好きだもの」

はぐらかす私に、男はあきれた様子で、フフと笑う。私が男に媚びを売るのがおかしくてたまらないらしかった。私はにこやかに笑って、男と距離を取る。海の深さは膝にまで達していた。つなぎが重たい。このまま海に飛び込んでしまいたくなる。それを知ってか知らずか、男が、おい。と私をとがめた。それでも私は困らせるために男を手招いた。

「気持ちがいいよ」
「戻ってこい」
「とても居心地が良いの」
「いいから、戻ってこい」

声が少し怒っている。私はそれがたまらなく愛しくなって男に近づいた。そして手を差し伸べる。引き入れてやろうと思ったのに、入れ墨の入ったゴツゴツとした指が、乱暴に私の腕をつかんで、自分のほうに引き寄せた。波が立って、海水が跳ねた。男の細腕からは考えられないほどの力で、私はあっという間に海から陸へ。半回転して私と男の立ち位置は反転した。男の後ろには、まばゆい橙色と暗い青色。まるで太陽から私を隠すように。まるで私を海から引き離すように。そして手はつながれたまま。私と男の間は、ほんのすこしだけの空間しかない。

「我慢は体によくねえぞ」
「急に医者らしくなるのはやめてよ」
「甘い言葉をささやくのは勝手だが、一緒に嘔吐されても困る」
「だって、本当に嫌だったから」

二人して少し前、あるものを買うために資金を調達しようとし、あの島の男をたぶらかしたときのことを思い出す。すべてが終わった後、食べてものをすべて吐いたのだ。媚びをうった自分に、昔を思い出したなんて、センチメンタルもいいとこである。

「おれにならいいのか?」
「だって、キャプテンが大好きだもの。これは、ほんとうよ。海と同じくらい、あなたが好き」

手をつないだまま、私は彼の陰から身を出して、海に近づいた。再び心地よい水温に足を踏み入れる。ちゃぷちゃぷと波で遊んだ。男が不気味に声をだして笑っている。顔を上げて男を見つめると、穏やかな表情で男が私を見つめていた。耳鳴りがする。潮と煙と鉄の臭いを思い出す。風のない、むせ返るような夏。私はじっとりと汗をかいていた。自由になったあの日、恋い焦がれていた海に、私は、私は。

名前を呼ばれた。心地よい低音が、私を現実に戻す。男の目の前には、太陽に照らされ真黒な影になる私。私の目の前には、光を浴びて、輝く男。彼の瞳に私はいつでも海を見る。

「あの時のお前は、美しかった」

私の後ろには太陽と海。私の目の前には、深海のような男。男の後ろには、男の影が細長く伸びていて、長く長く暗闇が続いていた。男は、静かに、闇の入り口で私を待っていた。

「あの日、キャプテンを選んでよかった」
「あっちは、嫉妬しているかもしれねえな」
「器がでかいから、少しの寄り道くらい、許してくれるわ」

いつかあそこへ還るもの。もちろん、キャプテンも。私の仲間も。善人も悪人も。私はたまたま、引き留められただけだった。私の家族は、先に還っただけだ。

「帰るぞ」
「はい、キャプテン」

男は私の先を行く。駆け寄って隣を歩く。波の音が私を引き留めようと大きな音を立てている。いつでも待っている。と言っている。




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