女は四番隊に所属していた。つまりは医者のような存在であった。せっせと雑用をこなし、身下すものも、そうではないものも平等に世話をした。女の診察は冷たくも丁寧で、とても素早かった。また、新たな病気や傷を見つければ、女は必死になってそれを解明し、治療した。それだけではなく、誰にでも治療が施せるよう、単純化するのも怠らなかった。
しかし、残念なことに女は医者ではなく、科学者だった。科学者の信念を持っていた。それも非道徳的な、人為の道を大きく外れた科学者であった。だから二人は共鳴し、言葉を交わす間柄になったのだ。
「人を助けようとしてなったわけではありません。才能があったというわけでもありません。まあ結果的に素質があったので席官の職にもついていますが、そんなのただの運です。ここにいれば、いち早く怪我人を観察できるから、それだけなのですよ」
あなたも、そうなのでは?と女は言った。そこに断定の意味が含まれているのを感じ取った彼は鼻を鳴らた。二人の会話はいつも言葉が足らなかった。だが、二人の間に勘違いはなかった。
女には悪癖があった。自分の患者になったものを勝手に被験者にしてしまう癖である。例えば、新たな治療法を見つけたとして、それを使うために故意に人に怪我を、病気をさせるのだ。だからある者は監視され、ある者は病気になった。それが成功すればよかったであろう。それも多かった。だが、失敗も同じくらいあったのだ。失敗したとき、女は悲しみながらも、思考できることの素晴らしさに高揚していた。つまり、快楽を見出していた。失敗は完璧を求める女にとって、それは何よりの近道であったのだ。
「死にたくなければ、歩みを止めてはならない。世界に絶望したくなくば、探究心は永久でなければならない。科学者でありたければ、素晴らしくも不完全でい続けなければならない」
「……」
「そうでしょう?」
女は彼と同じ価値観を持っていたことを男は理解した。今迄存在したなにものよりも素晴らしくあれ、だが、決して完璧であること莫れ。それが彼の第一信条であるからだ。
それから年月が立ち、彼らの上司から滅却師殲滅命令が下された。彼は滅却師を殺さず、捕獲し研究を重ね始めた。女は彼が不要とした検体者をもらい、治し、病魔を施し、作ったら薬を投与し様子をみていた。
「涅くん、滅却師の研究は順調ですか?」
「まだまだ被験者が足りなくて困っているヨ」
「それは結構」
「そういうお前はどうなんだネ」
「もう何度目かの行き詰まりです。何体か死んでしまいました」
「ほうほう、それはいいじゃないカ。ああ、そういえば何体か虫の息のやつがいるが、いるかネ?」
「ありがとう。こっちできれいにするから、迅速に引き渡してくださると嬉しいわ」
「自分で持っていきたまえヨ」
「女手一つで身動きできない芋虫を運ぶのは結構重労働なのですけど……まあ、そうさせてもらいます。」
女は苦境にいるとよく笑った。自身を鼓舞するように、小さな口を薄く伸ばして微笑した。彼が女を思い出すと、大概女は笑っているのだから、女がいつも苦しんでいたことが分かる。苦しみの中を生き抜くのが女のスタイルだったのだ。
彼らに別れが訪れたのはそれから十年ほどたったころだ。彼女は、自らの切っ先で首から上を切り落としたのである。
予兆はなかった。誰もが、同類の男さえも予感してはいなかった。第一発見者は男だった。男は女が長年、難関だと言い続けた研究が終わりを迎えたと知り、からかってやろうと女の研究室を訪れた。するとそこに赤い匂いが漂っていた。女は常に几帳面で綺麗好きの性格だったので、男は瞬時に違和感を覚えた。そして何かを察した。土足で足早に奥まで行くと、女は刀身を剥き出しにして、椅子に座っていた。体や床や壁には血液が飛び散っていた。吹き出し口は首だった。首の上にあるはずの顔は、横向きに、床に倒れていた。その顔に苦痛はなかった。いつも通りの、綺麗な微笑である。薄らと開いた目は乾いていたが、両頬には一筋づつ涙の跡があり、女は泣きながら、笑いながら、苦しみながら死んだのだと男は理解した。
テーブルには、遺書が折りたたまれていた。遺書というほど、感情的なものではなく、ひどくあっさりとした文章だった。一枚目は”私の世界が終わってしまった。”それだけだった。その後ろにあった二枚目は、遺書ではなかった。拝啓、涅様から始まり、敬具で閉められた男への手紙だった。
「遺書でも書きましたが、私はもうあなたの同胞でいられなくなりました。あれを解読したとき、私は次の一手を打つことができませんでした。ひとつも謎が浮かばなかったのです。世界が解かれました。苦しみの中を生き抜いた私は、とうとうそれから脱却してしまったのです。完成した、すべてが明るみに出た世界は、私にとってとても哀しい場所でした。だから私は死を選びます。ここから抜け出すにはそれしか方法がないと私は知っていました。それに、あなたもきっと、こうしたことでしょう。私にはそれが目に浮かびます。あなたもいつかこのつまらない世界を訪れるときがやってくるかもしれません。そのときは迷わず、生への未練を断ち切り、あなたが無に還ることを私は心より願っております。」
男は顰め面でそれを読んだ。読んで、それからそれを床に放り投げた。空気の抵抗にゆらりゆらりと揺れながら手紙は裏返しに地に落ちた。そこには小さく”追伸”と書かれた文字があった。彼はそれを拾い上げた。
「勝手ながら、私の研究全てを君に捧げようと思います。押しつけがましいと思い放置するもの、一度目を通して新たな謎のきっかけにするのも、君の好きにしてくれて構いません。」
彼はそれを読んだ後、全てを焼却した。轟々と炎が燃える。女も、被験者も、書類も、全てが赤く燃え広がった。まだ燃えきっていないところで、死神たちが集まり、彼を攻め立てた。胸倉をつかむ女の後輩もいたが、彼は何もせずただ燃える女の全てを見届けていた。すると左頬に鈍い痛みが走り、彼は尻もちをついた。どうやら後輩に殴られたようで、唇から血が流れた。それを拭い、立ち上がろうとすると何か白いものが彼の袴から落ちた。それは女の最初で最後の手紙だった。後輩がそれを拾おうとするのが見えたので、彼は素早く拾い、もう一度手紙を見つめた。細く丁寧な字は、最後まできちんと綺麗なままだった。彼はそれを丸めると、業火の中に投げ入れた。
「いいかげんにしろ!何をするんだ!彼女はどうした!」
後輩の声がやっと彼の耳に届いた。だが彼はそれに答えなかった。しばらく見ていなかった炎を再び見つめ始める。
「どうしようが、私の勝手だヨ」
同胞が勝手にしろと言ったので、彼は勝手をしたまで。彼は人の研究に興味はなかった。しかし、女の人生そのものを、同輩でもなんでもないやつらに見せるのは許せなかったので、全てを燃やしたまで。それを誰にも言わないもの、彼の我が儘であった。
昔、ある女が死んだ。それはその当時を生きている死神が知っていて、しかし彼だけが本当を知っている。本当のことを全て隠し持っている。いつまでも、永久に。その男が、女によくにた造形で娘を造ったのは、単なる偶然か、否か。そこに意味があるのか、否か。それも、彼しか分かりえないことで、彼は絶対明らかにしないことである。
君を弔う夢を見た