01 呂蒙からの任務


 魏の徐州と接する国境沿いの街に、呂蒙が率いる軍が駐在して早一ヶ月が経つ。
 徐州に派遣していた斥候が、徐州に駐在する魏の外軍が戦の準備を進め、国境沿いの街に二軍を派遣する動きがあるとの知らせを齎したからだ。
 魏の侵攻に備えて、先遣隊として派遣された呂蒙が率いる軍は三軍からなり、一万近くの兵を擁している。先遣隊としてはかなり多くの人数で構成されているのは、国境付近に展開して、魏軍を牽制する目的もあった。
 だが、軍が国境に到着してから魏軍の動きが止まった。先に展開した呉軍を警戒して引き上げるといった様子もなく、かといって国境に向けて侵攻してくる様子もないが軍備を整える動きは続いている。
 魏軍の不気味な動きに呂蒙を筆頭とする軍師達は、答えが出せずに悩んでいた。
 九江郡の義成にある城に設けられた軍議室には、軍師だけでなく将達も集まっていた。

「このままこの地に駐在していても、徒に兵糧を消費するだけだ」
「もしや、我が軍を疲弊させるのが魏の目的であろうか」
「いえ。あちらも軍を駐留させているのには変わりありません。長期に及ぶと疲弊するのは我々と同じ筈です」

 将達が不安を口にすると、陸遜が冷静な口調で否定する。まだ若輩の軍師だが、戦での経験を重ねて、最近では歴戦の将達にも臆せずに意見を述べるようになった。
 誠実で穏やかな物腰の男だが、反面気骨があり、年相応以上に芯のある考えを持っている。呂蒙は、そうした陸遜の本質を理解しているからこそ、軍議の場でも積極的に陸遜に意見を求めるようにしていた。

「ならば、陸遜。お前が魏の軍師だとすれば、この後どう動かす?」

 呂蒙が問いかけると、陸遜は暫く考え込むようにしてから、呂蒙を見た。

「……そうですね。私ならば、奇襲を考えます。本隊は敵軍を引きつける囮に使い、守りが手薄となっている別の要所を寡兵で一気に攻めます」
「寡兵で奇襲をするとなると、危険もあるな。策を見破られ、敵軍に先手を打たれて抑えられると、軍の連携が乱れて、本隊も瓦解する恐れがある」
「はい。その可能性も視野に入れて、敵国に気付かれぬよう慎重に準備を進めます」
「なるほどな。お前の意見、参考になる」

 呂蒙が頷いてみせると、陸遜は思わず笑みを浮かべた。師と仰ぐ者に認められて、誇らしさが胸を満たした。

「だがしかし、それすらも策の危険もあるな」

 呂蒙の言葉に、陸遜はハッとして頷いた。

「確かにそうですね。我々の方が魏より大軍……。奇襲の準備をしていると見せかけて、兵力を分散させるつもりなのかもしれません」
「ならば、こちらの方が数では優勢なのだ。至急、敵の本陣を叩き、そのまま奇襲隊も叩けば良いのではないか?」
「だがしかし、我らを先に動かして敵陣に近づけ、挟撃する腹積もりなのかもしれませぬぞ」
「憶測ばかりで話が進まぬな。だが、このまま動けずにいて、軍を疲弊させる訳にもいかぬ」

 将達も次々と意見を出し、軍議は白熱した。大切な国境の防衛戦だ。ここを攻め抜かれると、呉への侵攻の足がかりとなる。また呉の首都である建業は揚州の北に位置し、徐州との国境からも遠くない。
 必ず勝たねばならぬ戦いに、軍議に参加する将達も必死だ。
 軍議は夕刻まで続いたが、この日も結論を出すことが出来ず、徒労感に包まれながら部屋を出ようとする陸遜を呂蒙が呼び止めた。

「陸遜、お前に頼みたい事がある。夕飯を終えたら、俺の部屋に来てくれぬか?」
「私にですか?」
「ああ。出来れば内密に進めたい事があるのでな。詳細は後で伝える」
「分かりました」

 皆に聞こえぬように声を落として言う呂蒙に頷くと、陸遜は食堂に向かった。
 呂蒙の頼み事とは何か気になりながら食事を終え、呂蒙の部屋に向かう。恐らく今回の戦の事であろうと思うが、歴戦の将達も参加しているのに、彼らに比べると遥かに若輩の自分が指名される理由が分からなかった。
 広い城を奥へと向かい、呂蒙の部屋に着くと扉の前で声をかけ、入室の許可を得ると部屋の中に入る。
 
「あら、陸遜じゃない。あなたも呂蒙に呼ばれたの?」
「姫様!?」

 部屋に入ると、振り返った尚香に声をかけられて、陸遜は驚いた。
 彼女の登場に、増々呂蒙の頼みごとの正体が分からなくなる。

「よく来た、陸遜。それでは姫、陸遜と共に俺の話を聞いてくださりますか」
「勿論。私で力になれる事なら、なんだって言って欲しいわ」

 尚香を見て戸惑っている陸遜に声をかけた呂蒙は立ち上がり、並んで立つ陸遜と尚香の前に来た。
 並んで立つ二人を交互に見比べると深く頷き、腕を組む。
 何かを納得したような呂蒙の仕草が不思議で、陸遜は内心首を傾げる。だが、上官である呂蒙の話の腰を折る訳にもいかず、疑問を口にせずに呂蒙の言葉を待った。

「今日の軍議で、陸遜も奇襲を懸念していただろう。奇襲をすると見せかけ、我らを本陣へとおびき出す策ではないかという意見も出ていたがな。だが、俺は奇襲の可能性を捨てきれぬならば、情報を得て対策を考えねばならぬと考えている」
「確かにその通りです。考えられる全ての事に最善を尽くすべきです」
「ここから建業はそんなに遠くないものね。それに魏軍が呉に侵攻してきたら、民が無事でいられるとも限らないわ。なんとしても守らないと」
「そこでだ。本当に魏軍が奇襲を仕掛ける動きがあるのか、姫と陸遜の二人で魏に入国し調べて来て欲しいのだ」
「私と姫様でですか!?」

 呂蒙の言葉に驚き、普段は冷静な陸遜が大きな声で聞き返した。陸遜の大声に驚いた尚香が、陸遜に目をやる。

「どうしたの?連れが私だけだと、頼りないかしら」
「い、いえ。申し訳ありません。決してそういう意味で申し上げた訳ではないのです」
「なら良いじゃない。魏にはまだ行った事がないから、興味があるわ」
「姫様は、乗り気なのですね」
「ええ。私が役に立てるなら、なんだってするわよ」

 陸遜と尚香の会話を遮るように、呂蒙がわざと咳払いをする。
 二人は慌てて呂蒙に向き直り、呂蒙が語り出すのを待った。

「我が軍に所属する斥候は全員出払っております。建業から呼び寄せるにしても、やはり日にちがかかる。それでは魏軍の動きに出遅れる可能性があります。明日にでも調査を手配したいので、此度は姫と陸遜を指名いたしました」
「でも、どうして私と陸遜なの?」

 呂蒙に問いかけ、尚香が不思議そうに小首を傾げた。

「敵軍に気付かれず、民に紛れて調べて頂くには、若い女性である姫が適任かと思いましてな。しかし、姫お一人で魏に向かって頂く訳には参りません。他の将達は武将然とした風貌ですので目立ちますが、陸遜ならば姫と共に民に紛れる事も出来ましょう」
「なるほどね」

 呂蒙の言葉に納得したのか、尚香が頷く。呂蒙は尚香に頷き返すと、陸遜に視線をやった。

「それに陸遜は腕も立つ上に、誠実な男です。姫と二人で旅をしても二人の間で間違いがある事はまずございますまい。そうだな、陸遜」
「も、勿論です。そのような事は決してございません!」
「……間違い?」
「それで、旅の準備はどのようにすれば良いですか?」

 呂蒙に力強く同意する陸遜の隣で尚香が首を傾げ、物問いたげに陸遜の横顔を見つめているが、陸遜は尚香の視線に気づいていないふりをして、呂蒙に説明を求めた。

「魏に入国する為の通行証や、その他の旅に必要な荷物は全て我々が用意しておく。出立は日の出前を予定しているが、服も民が着る物と着替えて貰う必要があるからな。出来れば早めに来て欲しい」
「ようするに、寝坊しなければ大丈夫ってことね」
「姫は朝にお強うございますから、大丈夫ですな」
「ええ。一番乗りしちゃうかも」
「頼もしいですな。姫に負けぬように、我々も準備を進めておきます」

 和やかに談笑する呂蒙と尚香とは裏腹に、陸遜は内心の動揺を抑えるのに必死だった。
 魏への旅は、日帰りが出来る距離ではない。それに、奇襲の準備が進められていそうだと軍議で検討した場所も一箇所ではない。折角、魏に入国するとなると、全てを巡って確認するべきだろう。
 そうなると、旅の日程は少なくとも一週間はかかる。
 その間、孫呉の姫君である尚香を守り、魏の兵達に悟られる事なく調査を終えて、無事に帰還せねばならないとなると、責任のある立場にかなりの重圧を感じた。
 それに密かに想いを寄せている尚香と二人きりで旅をせねばならないとなると尚更だった。
 江東の名家の出とはいえ、まだ若輩の軍師でしかない自分の立場では、尚香はとても手の届くような存在ではない事を陸遜は承知していた。
 ならばこの想いを誰にも知られぬように心がけ、心に宿した貴石のように大切に育み、いつか尚香がどこかの貴人に嫁ぐまでの間、臣下として共に過ごせられれば良いと考えていたのだ。
 だが、二人きりで旅をするとなると、その決意が揺らいでしまうのではないかと不安になる。

(……気を引き締めて臨まないといけませんね)

 二人に聞こえぬように、陸遜は小さくため息をついた。なにより自分はこんなに動揺しているのに、尚香は陸遜を意識している様子が無い事も内心堪えていた。

「それから関所や宿で二人の旅の目的や関係を聞かれたら、呉の建業から駆け落ちして来たと」
「ま、待ってください!……駆け落ち、ですか?」

 思わず呂蒙の言葉を遮って陸遜が問いかける。

「どうした、陸遜。仮の話なのだから、そんなに動揺する必要はないだろう」
「しかし、仮とはいえ私のような若輩者が、姫様のお相手を務めるなど身に余ります」
「大丈夫よ、陸遜。私はそんなこと気にしないわ」

 珍しく慌てる陸遜に尚香が声をかける。陸遜の気持ちを落ち着かせようとかけられた言葉に、少しは気にして頂きたいと陸遜が気落ちしたのを尚香は気付いていないようだ。

「姉弟でも良いかと思ったのだが、二人の容姿はあまり似ておらぬからな。それに、姫の瞳の色は変えられぬ。血縁者とするのも難しかろう。国境沿いが緊迫している中、若い男女が二人で国境を越えて魏に入るとなると駆け落ちが妥当かと思ったのだが……」
「……確かにそうですね。折角、ご配慮頂いたのに動揺して申し訳ありませんでした。姫様がよろしければ、私も問題はありません」
「よし!頑張りましょうね、陸遜!」

 陸遜が不承不承頷くと、尚香が張り切って陸遜に声をかけた。
 尚香の晴れ晴れとした笑顔が、普段以上に眩しく感じる。
 呂蒙は、二人の様子を見て深く頷くと、声をかけた。

「それでは、今日はこれで解散といたしましょう。明日からの任務、よろしく頼みましたぞ」

 呂蒙に見送られ、部屋を出た二人は明日の朝の打ち合わせを簡単にして、互いの部屋に戻った。
 明日の出立の時間が早いので、手早く沐浴を済ませて身体を清めた陸遜は、眠る為に寝台に入る。
 明日からの任務を思うと気が重かったが、それでも尚香と二人きりで過ごせる旅に僅かな期待も感じてしまう自分の心を不謹慎だと諌めながら眠りに落ちた。

- - - - - - - - - -
陸尚でS〇Y×FAMILYしたくて思いついた話です。
予定より長くなりそうなので、連載にしました。
完結できるように頑張ります。

back
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -