さあ、今日こそが戦いの決戦前夜。
己の精神と肉体を叱咤し、立ち向かうは強大なモンスター。
精神統一を図り、大きく深呼吸をした。
ゆっくり腕を伸ばし、武器となるものをそっと手にとった。
私の武器、それは――
「って感じが冒頭なんだけど、中々いいと思わない? 新人賞を狙えるよ、これは」
「カーラは自分の立場、分かってないでしょう? 夢物語はいいから早く問題集開きなさい」
全く、これだから夢のない超現実主義者は。
そう思っていたら思い切り睨まれた。「文句があるなら自分の部屋で自力でやりなさい」血も涙も無いセリフだ。可愛い可愛い妹が窮地に追いやられているというのに。
「そこはもっとこう……俺が代わりに倒してやるよ!って武器を奪って走り出すところでしょ」
「今すぐそのペンを奪ってこの部屋から追い出してほしいのですか?」
にっこりと微笑まれて背筋が凍った。生命的危機感を覚える笑顔だ。怖い怖い。鬼兄に武器を取られまいと、持っていたシャープペンをギュッと握った。
「大体、カーラが泣きついてきたからこっちは貴重な睡眠時間削ってまで付き合ってやってるんですよ。あまり舐めたこと言ってると、ベランダに放り出しますからね」
「はーい」
この兄の言うことは一々現実味を帯びてて恐ろしい。私がまだ小さい頃、兄を怒らせて本当にベランダに出されて三時間凍えたことを覚えてる私は、気乗りしないながらも渋々問題集を開く。
途端、現れる真っ白な解答欄。試しにめくってみたら提出範囲まで見開き十ページもあった。
「ジャーファル、これ、明日までに終わるのかな……」
「お兄ちゃんでしょ。終わるのかなじゃなくて終わらせるんです。テスト前日の夜までペンを握るどころか問題集すら開かなかったお前が悪い」
「仰る通りで……」
何も言い返せない、完璧な正論。うう、だってしょうがないじゃん。XとかYとか見てるだけでクラクラしてくるし、もう記号も数字も見たくない。
うなだれていると、ジャーファルがずいっと顔を寄せてきた。もう成人して立派に働いているというのに、まだまだ大学生だと間違えられるそばかすの散った童顔が目前に迫り、少し仰け反る。
その無表情なそばかす童顔は、不意にふっと表情を緩めた。
「大丈夫ですよ、カーラならやりきれます。似てない所の方が多いけど、それでも兄妹ですからね」
「お兄ちゃん……!」
これ以上に兄が輝いて見えたことがあっただろうか。私の誕生日に両手に参考書を持って笑顔で帰ってきた兄と同一人物かつ同じ笑顔だとは思えないほど爽やかで頼りがいがあるように見える。
が、そのあとに続いた言葉にキラキラも一瞬にして崩れ落ちた。
「どうせなら他の教科も勉強しましょうか。この十ページは三十分で終わらせて、その後五教科を一時間ずつ。そうすれば五時には終わりますから、学校の準備をした後最終確認としておさらいすれば、明日のテストはバッチリですよ!」
「ちょ……ちょっと待ってちょっと待ってお兄さん」
「嘘はついてませんよ?」
「や、ソウジャナクテ」
貴方に頼んだのはあくまでこの課題の手伝いであって、そりゃ早く終わるならそれが一番だけど、その後なんで勉強しなくちゃいけないのだ。徹夜なんてしたら私の精神軽く飛んでテストどころじゃありませんよ。
以上のことを身振りを付けながらも訴えたがしかし、聞き入れてはもらえなかった。
「大丈夫です。徹夜なんて五日は余裕です」
「それはあんただけだ!」
妹まで一緒にするな!
必死に抵抗を続ける私に鬼畜な鬼いさまはそれはそれは素敵な笑顔で。
「さあカーラ、始めますよ!」
ほとんど強制的に、優秀な先生による徹夜テスト勉強会がスタートした。
鐘の合図に慌てたり落ち込んだりする暇もなしに、ひたすら問題集の上にペンを走らせるのだった――
なんて、
「ぜんっぜん面白くないーー!!」
「面白いじゃないですか、数学。これは必ず答えは一つですからね。ほら、ここにYを代入して……」
「その話じゃないし! っていうかその一つの答えに辿り着くのが困難なんだよ!」
「公式に当てはめればどうってことありません。ほら、ここの式の公式を言ってみなさい、カーラ」
「え、えっと……Y=aX+b……」
「それは一次関数。カーラ、一次関数って覚えてます? 中学の時にやった、切片と傾きと……」
「覚えてないよ! っていうかそれは今回のテストに全く関係ないから!」
「覚えていて損はありませんよ」
「あるよ! 関係のないことを覚えて容量が悪くなったらどうするのさ!」
ぎゃいぎゃいと騒いでいた私も、その笑顔とスパルタな教え方によって五分後には静かになった。そのまま結局ジャーファルの言う通りに進んでいき、まんまと徹夜したのだった。
「死ぬかと思った!」
「でもほら、生きてますよ。良かったですねー」
「棒読みで褒めるのやめてよ! もうジャーファルに勉強は教えてもらわない」
「お兄ちゃんでしょ。でも今回はいい点数を取れたんですって? 母さんが嬉しそうに言ってましたよ」
「…………」
「さて、次回のテストですが……どうしますか?」
「…………徹夜はなしでお願いします」
「わかりました。でも慣れればどうってことないんですけどねぇ」
「慣れたくないです全力で!!」
2015/05/15 フリーワンライ
舌先三寸/決戦前夜