節分。
解釈はたくさんあるが、鬼を払い福を呼び込み、その年の家内安全健康祈願を願う行事である、と解釈しておけばまあ、間違ってはないだろう。
「鬼は〜外〜〜!」
煌帝国では、ある皇女が真っ黒な神官に向けて、大量の豆を放った時から節分は始まった。
「…紅欄〜!!」
額に怒りマークをつけ、ワナワナと震える神官はゆっくりと寝台から体を起こした。
そう、煌帝国第五皇女、練紅欄の節分は、午前零時ぴったりに始まった。
「お前はなんでそう……今するんだよ!何時がわかってんのか!?っていうかなに人の部屋勝手に入ってるんだよ!」
「ジュダル様お静かに。皆様起きてしまいますよ?」
「誰のせいだ!誰の!」
すまして言うその顔にも腹が立つ。自分も投げてやろうと散らばった豆をかき集めていると、それでは、と退場の声が聞こえてきた。
「は?」
顔を上げればそこにはもう紅欄の姿はない。なんだったんだ…とさすがのジュダルも呆然とするほど、行動力に満ち溢れた煌帝国の皇女である。
昼。神官の仕事をサボり白龍をひとしきりからかっていると、ジュダルの頬になにかが当たった。
「イテッ」
防壁魔法が発動しなかったとこから、悪意のある行動じゃないのだろう。跳ね返って地面に落ちたそれを拾い上げると、それは炒ってある豆だった。
「神官殿?」
「これって…」
見覚えがある。ものすごくある。
今日の朝、というかど深夜の非常識極まりない時間に、一方的に投げつけられた憶えがある。
いやまさか……でも、まさか…?
二種類のまさかをジュダルが考えていた時間は一分もない。せいぜい三十秒かそこらだろう。珍しく考えこむ神官を不思議に思い声をかけた白龍は、次の瞬間目を剥いてその場から飛び退いた。
「白龍?」
白龍の行動に驚き顔をそちらに向けると、ドバアッと後ろ頭に衝撃が。痛い。地味に痛い。
その後に、若干満足気な声が追ってきた。
「鬼の後ろ、とったり」
待て、誰が鬼だ。確かに戦争大好きだしけっこう色々やらかしてるから鬼って言われるのは百歩譲っていいとするけど、なんでこの俺様が豆を投げつけられなきゃいけない。鬼ってそっちの鬼か。そうなのか。
「あ、義姉上…」
白龍のひきった声。ほらみろ引かれてるじゃねえか。杖を取り出し準備万端整えた後、勢い良く振り向き魔法式を構成した。
が、しかし。
ジュダルが魔法式を構成するより早く、紅欄があの台詞を唱えた。
「鬼は〜外!」
そして紅欄の手から離れた数十個の豆は容赦なくジュダルの顔面に注ぐ。
ブフォッ!
吹き出したのは白龍。彼は義理の姉の言動に引いていたのではなく、必死に笑いをこらえてたのである。
口許を片手で覆って肩を震わせる義弟に、やりきった感を滲ませた紅欄は、はい。と豆を一掴み渡した。
「白龍様も、一発どうですか?」
台詞が男前すぎる。しかもそのすぐ後に、けっこうストレス発散になりますよ。といい笑顔で言うものだから、いよいよ白龍の腹筋がヤバい。基本紅兄妹にはあまりいい印象がない白龍でも、紅欄のこの行動には表情筋を動かすしかなかった。
「てめえっ!待てこのバカ紅欄!人を散々おちょくりやがって…!」
白龍の前で豆をぶん投げたあとも、ところ構わず投げ逃げを繰り返してきた紅欄。今日一日で、ジュダルの行くところ紅欄ありと言われ、二人が去った後では侍女が涙を流しながら豆を片付ける姿があったとか。
そんな紅欄もその日の夕方、とうとうジュダルに捕まってしまった。場所は人気のない、物置の影である。
「紅欄、てめえな…」
青筋が浮かんでるジュダルに、紅欄はあーあとつまらなそうな顔をした。
「追いつかれちゃった」
「どういうことだ?今日一日」
ああん?
チンピラよろしく絡むジュダルに、紅欄はあくまで静かに佇んでいた。
「ね、ジュダル様。昔、ジュダル様と紅玉と三人で、豆まきしたよね。覚えてる?」
「あ?ああ、覚えてるよ。それがどうかしたのか?」
昔を懐かしむように、遠くを見るように目を細めた。
突然の昔話に、ジュダルは意味がわからない。
「だからなんだっての」
「私には、一生の宝のような思い出だよ」
話が咬み合ってなくて、そろそろ面倒になってきた。そもそも自分はここまでコケにされて黙っている性分じゃないし、さっさと報復して戻って桃でも食べよう。
そう結論づけたジュダルが紅欄を見ると、彼女の頬が水に濡れているように見えた。ジュダルはハッとする。
「お前…」
「私、来年の節分の時には、この国にいないの」
泣いている。そう見えたのは見間違えだったのだろうか。交わされる視線はしっかりとした意思を持ってジュダルへ突き刺さる。
「どういう、意味だよ、それ…」
不治の病か、それとも……
一気に険しくなったジュダルの顔に、紅欄は寂しそうに笑った。
「私、四月にお嫁に行くの。西の方の国に」
さあっと吹く風が冷たい。
二人の間を横切ったその風が、ジュダルと紅欄の間に見えない壁を作ったかのようだった。
「そうか。よかったじゃねえか。貰い手見つかって」
お前みたいなお転婆娘。
そう毒づくも去勢を張ってるようでバツが悪い。
「そうだね」
紅欄もそう言ったきり何も言わない。この空気は好きじゃない、とジュダルは思った。
「……鬼はー外」
「なんだと!?」
ずっとその言葉とともに豆を投げつけられたお陰か、沈黙を破った紅欄の台詞にジュダルは即座に反応した。
そんなジュダルを見て紅欄はクスクスと可笑しそうに笑う。
「な、なんだよ…」
「だって、おかしいんですもの…」
「お前のせいだろ!」
照れ隠しに怒鳴ってはみるけど、向こうには全てお見通しなようだ。
「ジュダル、あのね。鬼は外ってジュダルに向かって豆を投げたのは、ジュダルの中の鬼を追い出すためだよ」
なにを言い出すかと思えば。
呆れ返るジュダルをよそに、紅欄は真剣に続ける。
「私、ジュダルは本当は優しい子だって、そう思うんだ」
だからお豆、たくさん投げちゃった。ごめんなさい。
ぺこりと謝る紅欄。
「あのな、豆投げるだけで体の中の鬼が出てくんなら、世の中風邪とかひかなくなるぜ?」
「そうだけど、でも」
にっこりと紅欄が笑う。それはもう、邪気などないような笑顔で。
「私は信じてるから」
その期待に、応えられることはないだろうなと、冷めた目をしてそう考えた。
「あーそうかい。そりゃサンキュー」
もう話は終わりだとばかりに背を向けたジュダルの手を取って、振り返った彼の唇に己の唇を押し付ける。
驚いて声の出ないジュダルを追い越して、笑ってみせた。
「福はうち!」
たいして名を残さないような、そんな小さな皇女と、有名なマギの神官の、愉快な節分の話。
※2015/02/21 修正