赤茶けた酒場の扉を潜ると、いつものように賑やかな音と共に、威勢のいい声が飛び出してきた。
「らっしゃい!!お、ムエナちゃん久しぶりだねえ。あれ、その後ろの子は、ムエナちゃんの友達かい?」
おやじさんが認めたのは、隣にいたセカイさん。
待ってましたと言わんばかりに目を輝かせ、ムエナはセカイさんの腕をとった。
「そう!私がシンドリアにくる前に知り合った大事な友達!今日は私だけの物なんだ〜」
「…ムエナちゃん、まさかもう酔ってる?」
ムエナの発言に驚いたように、セカイさんはそう聞いた。
「酔ってないよ。そもそもまだ席にすらついてもいないし」
「じゃあどうしたの、そのテンションの高さ。さっきまで普通だったのに」
驚いているのか呆れているのか、多分その両方を入り混ぜた質問に、ムエナは頬を膨らませながら答えた。
「だってセカイさん、貴女店に行く度に女性に囲まれるんだもん。こうして宣言すれば、少しは牽制になるかなって」
「…なるほど、その手があったか」
ふむ、と考える素振りを見せて、セカイさんは顔を上げて酒場の主人を呼んだ。
「おやじさん、今日のムエナちゃんは僕のだから、親子の戯れはまたあとでってことで」
「仲良いなあ、二人とも」
あのセカイさんが、デレた。
呆気にとられているムエナをよそに、主人はよし!と手を打った。
「これは俺からのサービスだ!遠慮なくどんどん飲め!」
白い歯を覗かせて笑う主人の手には、二つのグラスが。中には並々と発泡酒が注がれている。
「え、いいの!?」
「ああ!」
「ありがとうおやじさん!」
二人はサービスしてもらった発泡酒をもってテーブル席の向かい側に腰をおろした。
「やったね!発泡酒ゲット!」
「ムエナちゃん、あんまり飲みすぎると夕方の男みたいになるからな〜」
「そんなに酒癖悪くないもん」
それから、発泡酒を片手にグダグダととりとめのない話をした。
ムエナが『シャルルカンの我が儘がひどい』と愚痴れば、
セカイさんが『シンドバッドや紅炎よりはマシだよ』とため息をつく。
ムエナが『武術のスキル、上がった気がする』と報告すれば、
セカイさんが『シャルルカンの稽古…大変だね』と遠い目をした。
「そういえば、僕迷宮攻略したんだよ」
「はい!?聞いてないよ私!」
「言ってないもん」
とか
「私、紅玉様とお友だちになったんだ〜」
「本当?あの子、友達欲しがってたから、大事にしてやって」
「もちろん!」
とか。
近状報告のようなものを、実に色々と、そりゃあもう時間をかけてたくさん話した。
そして、何杯目かのグラスに手をかけたところで、ムエナがしみじみと言った。
「初めてセカイさんから話しかけられたとき、私の命終わったと思った」
まだエプリオハトに身を置いていて、シャルルカンとも出会ってなかった時。いつものように育ての親のあとをくっついてあちこち飛び回っていたころ、迂闊にも道に迷ってしまったムエナを救ったのが、たまたまそこにいたセカイさんだったのだ。
「ひどいよね。こっちは親切に道を教えてあげようとしただけなのにさ。肩跳ねさせて物陰に隠れるんだもん」
セカイさんは唇を尖らせ、:ムエナ#は慌てて捲し立てた。
「あれはさ、セカイさんの服装もそうだけど場所も場所だったから!」
「ただの路地裏じゃん」
「薄暗くて怖かったし、迷っちゃって心細かったんだよ!」
ただのと言うにはちょっと無理がある、隅に服やらなにやらの切れ端が放置してあった、スラムのような場所の路地裏。
そこを泣きそうになりながらさ迷っていところ、突如として無表情な声が響いたのだ。驚くなと言うほうが無理である。
「危険区域に入ってまで僕から逃げ回ってたからね、ムエナちゃんは」
「い、いや、それは…」
すっかり拗ねてしまったセカイさんは、テーブルに片手をつきチビチビと酒を飲んでいる。
「でも!橋から落ちかかったときに助けてくれて、セカイさんは悪い人じゃないんだなってわかったし!ね?」
事実、ムエナはセカイさんから逃げ回っていたが、逃げ回っている途中、壊れかけの橋を渡ろうとし、ものの見事に失敗。川に投げ出される直前にセカイさんによってなんとか救出されたのだ。
「まさかあんな橋渡ろうとするなんて思わなかったよ。僕止めたのに」
「私も若かったからなあ。セカイさんがいなかったら今ごろ私ここにいないよ。ありがとう」
「…別に、当然のことをしたまでだし」
セカイさんはプイ、と横を向いたが、ただの照れ隠しだろう。
そんなセカイさんを見て、ムエナは頬の筋肉が弛んだ。
ムエナを救出したときのセカイさんといったら、正に昼間、ユウ君にしたように、あちこち体を確認して怪我はないかチェックしていた。
優しい人だなあ。そんなことをぼんやりと思っていたような気がする。実は、事故のショックであまり覚えてないのだが。
「バザールの時も、ありがとう。セカイさんが女性にモテる理由、少しわかるかも」
もしかしたら私も、セカイさんの魅力に憑かれた一人なのかもしれない。
そのことは言わずに、ムエナはグラスに口を付けた。
「あの時はただ、僕の仕事をしただけだし…。ムエナちゃんこそ、かっこよかったよ。いいなあシャルルカン、良い侍女持って」
「セカイさんだって、ユウ君っていう良いが助手いるじゃん。健気でいい子だよね」
「そうなんだよ!ユウって本当に可愛くて、いい子で、可愛くて、気がきいて…」
次から次へと話題は尽きない。
シンドリアの夜は、賑やかに更けていった。