ガヤガヤと賑やかなバザール。
人の波を縫いながら、前を行く黒い髪と白い白衣を見失わないように進んでいたはずだったのだが、
…見失った。
他の人の迷惑にならないよう、狭い路地の中に入り、人の流れを何とはなしに見つめる。
「セカイさん…」
すると、後ろから物音がした。
振り返ると、酒瓶がコロコロと転がってきて、ムエナの足に当たる。
続いて、男性のうめき声。
「…うぅ」
「どうかなされましたか?どこかご気分でも?」
「ああ…気分が悪い」
酒の臭いが漂ってくる。
ずいぶん呑んだようだ。男性は立つことも困難らしく、ムエナに助けを求めてきた。
「ありがとな〜ねーちゃん」
「まったく…飲みすぎると体に悪いですよ」
「でーじょうぶでーじょうぶ…ヒック!」
肩を貸して男性が立ち上がる手助けをしたムエナは思った。
酔っぱらいには何を言っても無駄だ。
説得を諦めて、ムエナは兵士を探すことにした。ちょうど巡回の時間のはずだ。
「それにしてもねーちゃん、いーいからだしてんなあ」
「はあ?何を…ひぁ!」
首筋にぬるぬるした生暖かいものが滑る。
それがこの男性の舌だと理解した瞬間、容赦なく叩き落とした。
男性はベタリと情けなく地面に座り込む。
「へっへっへ…可愛い反応だねえ…ヒック!」
「セクハラで訴えますよ」
「そーんなこと、いわないのぉ」
…国民は国王に似るのだろうか。
この時ばかりはムエナもシン王様を恨んだ。
だがしかし、シン王様は国王でありなおかつかっこいいから今も牢に入れられていないのであって、この男性のような普通の男がこんなことしてたらすぐにお縄につくことになる。
世の中中身だって言っても、実際は顔だもんなあ。会う人会う人全員の内面量ってたら外に出れなくなっちゃう。
「はあ…」
「ムエナちゃん?」
世の中の不条理を嘆くため息を吐き出したところ、バザールから自分を呼ぶ声が聞こえた。
その声にバッと振り向くと、そこにはふらふらになったセカイさんが。
「セカイさん!何があったの!?…なんて、聞かなくてもわかるか」
「ハハハ…」
大方、女性に囲まれたのだろう。
「無事?なにかされなかった?」
「もみくちゃにされただけですんだ。それよりムエナちゃん、この男は?」
「変態野郎」
「変態野郎って…」
苦笑いしながらもひょい、と奥を覗くセカイさん。
「うわあ…泥酔状態じゃん」
危機感も何もなくそのまま男性に近づいていくからたまらない。
自分に近づいてきたセカイさんの手を、男性はさも当たり前かのように取った。
「おお!セクシィーなねーちゃんだなあ」
「うわうわうわ!舐めるなよ気持ち悪いな!」
セカイさんの悲鳴が聞こえた瞬間、ムエナは小刀を男性の喉元に構えた。
「いい加減にしてください。私のみならず、セカイさんにまで手をだすとはいい度胸ですね」
「おーおーおー!こわいなあこっちのねーちゃんはぁ…ヒック!」
「たかが侍女なんて侮るなよ。主に鍛えられた太刀筋、今ここで披露しようか?」
「ほおーそりゃすごいこっちゃ…ヒック!」
この状態でもヘラヘラしているこの顔面に拳を撃ち込みたい衝動を堪える。
が、まったくもって反省の色が見えない目の前の男に、小刀を持っていない方の拳に力がこもった。
それに気付いたのか、舐められたであろう手を拭いていたセカイさんがムエナの肩を軽く叩く。
そうしてムエナを庇うように背中で隠した。
「君さ、まだ夕方になったばっかりなのにそんなベロンベロンになっちゃうなんて、あきらかに飲み過ぎでしょ? 肝硬変や脂肪肝、あと糖尿とかにもなるよ? 最悪昏睡状態になるから。ご愁傷様だね、少しは反省してね? 取り敢えず薬でも打っとく? 」
一息に話終え、白衣のポケットから注射器を取り出した。
それには長くて太い注射針がつけられている。
セカイさんの肩ごしに一瞬で青くなる男が見えた。
違う意味で御愁傷様。そこらへんで吐かなきゃいいけど。
ムエナの心配は現実となり、男は二人の見ている前で盛大に吐いていた。
私の時に大人しくしてれば、少なくとも路上に吐くなんてことにはならなかったのに。
「さあ行こうか、ムエナちゃん」
「うん」
同情はしても心配する義理はない。
「あ、セカイさん。今度ははぐれないように手を繋ごうよ」
「久しぶりだな、手を繋いで歩くのって」
傾きかけてる太陽が、賑わう人々を赤く照らした。
バザールはまだまだ始まったばかり。