少女は夢を見た


それは、世界と世界を繋ぐ道の最先端。いくつもの世界をくぐり抜けた者の前にのみ現れるという、伝説の―――



実際に会えばその姿に拍子抜けしてしまう。大きな麦わら帽子をかぶってキセルをふかしながら、退屈そうに屋台に座る作務衣の男。
いくつもの世界の狭間で、彼は客人に対して問うのだ。
「…こんなとこまでよく来たね。それで、君の願いは?」
気怠そうな声だ。



巨万の富、永遠の命、健康な体、絶対的な美……男に叶えられない願いはない。
さあ、君は何を求め、何を願う?
どんなことでも叶えて差し上げよう。
さあ答えよ、旅人よ。



肩で息をしながら少女は言った。


「誰かを感動させる力が欲しい。」


男は顔をあげない。


「誰でも文字を扱える。でも、ありふれた言葉では誰も、何も思わない。
私は、そんなありふれたもので、誰かの心を動かしたい。」


キセルをくわえた唇が微かに弧を描いた。


「それは…珍しいことを言う」


顔をあげた男と、少女の瞳が重なる。
臆せず目を逸らさない少女。


「…俺の本業、しってるか?」


キセルを手に取りゆっくりと立ち上がる。
首を傾げた少女に、今度こそ笑ってみせた。


「俺の仕事はお嬢ちゃんの世界でいう『店』だ。
こんな辺鄙なところまで自力で来たその勇気をたたえてちっとはおまけしてやるが…お代はきちっともらわないとね。
さあ、君は俺に何をくれる?」


少し意地悪そうな笑みだった。


「私は…」


少し俯いた少女は、静かに口を開く。


「お金も何も持ってない。あなたが満足するようなものは、なにも」

「じゃあ無理だな」


男の声は冷たい。だが、その声を当たり前のように受け止めた少女は、顔をあげてまっすぐ男を見た。


「だから―――

代わりにここで働かせてください。ここまで来た根性はあります。貴方が納得するまでなんだってやります。だから、私に力を下さい。」


一気にまくし立てるような言葉。


「そこまでして誰かを感動させたいのか?」


理解できない、男の声はそう言っている。


「させたいです。どんなことをしても」


お願いします、と少女は頭を下げた。耳の下で結われていたお下げがぴょこんと揺れる。


「なぜ、そこまで力を求める?」


うんざりとした声音で、男は少女に聞いた。


「文字なんて、なんの力も持たないだろう」


その男の言葉に少女は初めて、厳しい目をした。


「そんなことない。現に、私はその力を持たないはずの文字に心を動かされてここにいます。だから、次は私が誰かの心を動かす番です。」


少し男が黙る。
少女は言いすぎたのでは、とだんだん不安になってくる。


「あ、あの…確かに、力を持たない文字も、なかにはあるかもしれませんが……いや、意味のない文字などないです!」

「……お前、フォローするんだったら最後まできっちりやれよ」


すみません、と謝る少女に、男は声を出して笑った。


「あー、久しぶりに笑った。
…そうだな、笑いも悪くない。」


男は椅子に座ると、少し何か考えた。


「誰かの心を動かすには、誰かからもらったものではなく自分の心から湧いて来たままをあるがままにつづればよい。ありのままであればあるほど、それは響くものさ。」


白い煙がふわふわのぼる。

ぽかんとしていた少女は、はっと肩を跳ねさせるとポケットをまさぐり出した。


「ちょっと待ってください!今メモを…あ、あれ?メモはどこだ?あれ?」


終いには自分までまわりながらポケットに手を突っ込む少女を男は心配そうに見守る。


「本当にお前、大丈夫か…?」

「え?」


少女はぽかんと男を見た。


「お前、ここにどうやってきた。」


…そう言えば、どうやってきたんだろう。


「確かにここに来るのは大変だっただろう。なんせ、世界の狭間に肉体は持ち込めない。」


キセルの煙が、どんどん景色をぼかしてゆく。
ただひたすら力が欲しくて走ってきたけど、ここは、いったいどこだ?
この瞳に捉えた筈なのに、どんな道だったか、どんな空だったかも、思い出すことができなくなっていった。
気づけば、少女と男と屋台だけ、ぽっかりと宙に浮いていた。


「久々に面白かったよ。さっきの助言はそのお礼だ。
大サービスで元の世界にも戻してやるよ。」


驚きで目を一杯に開いている少女の顔に男はキセルの煙を吹きかけた。
少女は思わず目をつぶる。


「毎度ありがとうございました。又のご利用をお待ちしております。」


待って、まだたくさん聞きたいことがある。
けむりで目が痛む中、必死に目を開けると、写ったのは見慣れた天井。


「ゆ、ゆめ…」


なんという夢だ。がっくしと項垂れる。


「自分の心に湧いてでたものを、あるがままに綴る…」


少女は寝起きの格好のまま、机にむかった。


『君の心が、どんな物語を紡ぐのか楽しみにさせてもらうよ。』


キセルの香りが、鼻を掠めた気がした。
物語が動くのは、もう少し先のお話…。


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