大好きな笑顔[1/3]
あー…仕事、行きたくない…。
洗面台の鏡に映る自分の姿に唖然として暫くその亡霊のような顔色をした自分を見つめていたけれど。
…、無理だ、うん、無理だな、コレ。
枕元に引き返しそこに置いてあった電話をかけた先は。
「ずびばぜん、風邪引いちゃって」
『エエ?!花奈ちゃんなの?!やだ、すごい鼻声じゃない!!熱はない?食欲はある?帰りお見舞いに行こうか?』
母親のような愛情溢れた女中頭の坂上さんの声を聞くと罪悪感が襲ってくる。
「大丈夫でず、明日には多分治ると、いや、治じまずんで」
『そう?ちゃんと栄養あるもの食べて今日はゆっくり休んでね』
お大事にね、という坂上さんの声に何度も頷いて心の中で謝り倒して電話を切ったけれど。
「ごめんなざい、坂上ざん…」
ポツリと呟いた声はやはり鼻声。
泣きすぎて鼻が詰まって更に声までガラガラで。
電話の先だけで聞こえたら風邪に思われるに違いないけれど。
面と向かったら仮病とバレるだろう、この瞼の腫れ。
顔色も寝てないせいか青ざめているし。
こんな顔見せたらきっと心配させちゃうだろうし…、いやしてくれるのかな?
するわけないか、何とも思ってない人の心配なんて。
昨日という日を消せる消しゴムが存在するのならば私は今すぐにそれを買おうと思う。
どんなに高くてもローン30年とか抱えても絶対に手に入れたい。
なかったことに、したいんだ。
あのバカみたいな告白紛いを…。
「そういえば隊士の矢部くん、花奈ちゃんのこと最近よく見てるよね〜!」
同い年の万里ちゃんのからかうような話に首を振る。
「ないない、矢部くんは友達だし」
「わかってないなァ花奈ちゃんは!!男女の間に友情なんか存在しないっての」
二つ年上の幸江さんは最早人妻だけれどこういった話には百戦錬磨のようにグイグイと乗ってくる。
昼下がり、夕飯の支度までの少しの休憩時間。
この時間は大体の隊士さん方も見廻りしていて屯所に残ってるのは女中ばかり。
あ、沖田隊長は縁側で昼寝してたな。
「矢部くんの方は花奈ちゃんのこと友達以上に思ってるかもよ?」
「いやいやそれはない、マジでないんで」
まだこの話続けるのか、と少しゲンナリしながら苦笑した。
だって矢部くんだっていつも私のこと男友達のように思ってくれてるし、だからこそ私も気兼ねなく色んな話をできているんだし。
「それは花奈ちゃんがそう思いたいだけなんじゃないの?そう思ってた方が楽っていうか」
意味ありげに微笑む万里ちゃんの言葉に首を傾げると。
「あー、なるほどね、うんうん。花奈ちゃんにとってはあの人以外はそういう対象で見れないというか、うん」
幸江さんまでニヤニヤしながら私を見ているけれど
“あの人”というキーワードでようやく意味がわかる。
「だから!!ここじゃその話は禁止って」
シーッと人差し指立てて二人の話を遮る。
この小さな和室には今私と万里ちゃんと幸江さんしかいないけれど。
隣には確か他の女中さんらが昼寝していたりするし。
それにもしも万が一あの人に聞かれたらと思うと。
「大丈夫、さっき副長と一緒に見廻り行ったの確認済みだもん、焦らないでいいよ花奈ちゃん」
いや、焦らせてるのあなたたち!!
膨れる私にまぁまぁと笑ってるけれど。
この話は仕事場では禁止、三人で一緒に呑んだ時だけのシークレット中のシークレットなんだからね!!
「てかさァもう三年でしょ?女中の中では花奈ちゃんが一番仲良いんだし」
「…だからァ」
ハァとため息をつくのは私と彼との仲ってのは。
彼の相談とか愚痴聞きとか、あ、後日々の怪我の手当て役というのも兼ねているか。
こんなんだから彼から見て私という存在は単に気が合う女中だとしか思ってないはず。
「お茶お代わりいる人ー?」
さてと、と逃げるように立ち上がる私に遠慮なく二人はハーイと手を挙げてニヤニヤしているところをみると。
お茶持って来たらまた話が再開されるんだろうな、と想像がつく。
二人の談笑を背に部屋を出たその前に。
廊下の向こう側から私を見ると手を振り歩いてくる人の笑顔に胸が高鳴る。
もう見廻り終わったのかな?
私の側まで来ると手にしている包みをこちらに見せるように掲げていて。
それが越後屋の水羊羹、私の大好物なことに気付いてもしかして差し入れ?と目を輝かせて彼を見上げると。
彼も大きな口を開けてその通りと言わんばかりに頷き笑っていた、まさにその時だった。
「なーんで局長は花奈ちゃんの気持ちに気付かないんだろね」
「お妙さん、お妙さん、って。近くでそれ聞いてる花奈ちゃんの身になれっていうのよね!あんなにも局長のこと思ってくれてるっていうのに!!」
私の背にした襖の向こうから聞こえてきた二人の話し声に。
局長も私も笑顔が張り付いたまま、時間が止まってしまったかのようにしばし見つめ合っていたのだけれど。
「大体、花奈ちゃんは」
また何か爆弾を落しそうな万里ちゃんの声に慌てて。
「きょ、局長さん、お疲れ様です!!」
襖の向こうまで聞こえて欲しくて大きな声で話しかける。
「お、お疲れ様、えっと、あ、あ、あ、そ、そうだ!!コレ!!花奈ちゃん好きだったよね?皆でおやつに、と、ア、アハハ」
引き攣り笑いをするその目は泳ぎまくり私の顔を一行に見ようとしない。
そんな局長の態度にショックを受けながらもコレと差し出された水羊羹の包みを受け取った。
「差し入れありがとうございます!冷やして明日皆でいただきますね!」
頭を下げ踵を返そうと一瞬上げた目線の先で。
申し訳無さそうに唇噛み締めて俯いている局長さんを捉えた。
…そんな顔見たくなかったな。
私が困らせてる原因になってしまうなんて。
予想はしていた、私の気持ちを知ったら困らせてしまうだろうって。
だからこそずっと秘めていたかったというのに。
お茶を淹れて戻るという気力もわかず、その内また忙しく夕飯の支度が始まって。
「お疲れ様でした〜!」
笑顔のまま必死で仕事を終えた。
夕飯の席にも現れなかったあの人をこれ以上悩ませたくないから。
きっとあの話は夢だったんだ、って。
そう思われるようにいつも通り笑って過ごしていこうって。
決めた、のに。
自分の家に戻って扉を閉めた瞬間、涙が零れ落ちた。
ああ、痛い、胸が痛い。
何でこんなに痛むんだろう。
失恋の痛みにむせび泣いて泣いて泣いて。
泣きながら改めて思い知ったのは。
こんなにも私はあの人のことが大好きだったんだ、という事実。
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