蜜月[2/2]
それからずっと彼女とは音信不通のままで今日に至るのだ。
音信不通とはいえど、それはオレから連絡が取れなくなってしまっただけで。
同じ番号ですぐに新しい携帯を買ったのだから彼女から連絡を取ることは可能だったんだけどね?
おかしいなァ目の前が霞むのは何でだろう?
僅かな希望を胸に抱いて江戸にやっと戻って来られたその足で。
すぐに花奈ちゃんの住むアパートへと向かう。
あそこで待ってたら帰ってくるはずだし、と。
だけどオレの目の前にあるはずのそのアパートが。
「…ない」
確かに古いアパートだったけれど。
首を傾げて更地になったそこから動けずにいると。
通りかかった近くの住人がそんなオレを不審に思ったのか声をかけてきた。
「あの火事で犠牲になった方の知り合いかね?」
と。
その初老の男性が指差すのは更地になったその場所にある電柱に花束が幾つも並んでいて。
「火事、って…いつですか?」
震える声で尋ねると。
「もう3ヶ月にもなるだろうね」
その瞬間弾かれたように走り出した。
あの花束が彼女のものではないようにと祈りながら。
彼女の無事を確かめるために必死に走って、そうして。
辿り着いたのは、町の外れにある小さなパン屋さん。
初めて彼女と出会った場所。
その店の付近での張り込みのためにアンパンばっかり買ってたオレに。
最初は驚いて、だけど途中から。
「野菜も食べなきゃダメですよ」
ってサラダサンドもこっそりオマケで入れてくれた。
「最近顔色悪いと思います」
オレの体調見ながらレバパテなんかも入れてくれたりして。
それが全部花奈ちゃんの給料から引かれてたって知ったのは、彼女に告白して初めて知ったこと。
オレのことちゃんと見てくれている彼女に逢う楽しみ、惹かれてたのは自分だけじゃなくて。
彼女もまた、オレが店を訪れるのを楽しみにしてたんだよって。
退くん、優しそうだったんだもん、と顔を赤く染めてた彼女は本当に愛らしかった。
いつも彼女はあそこで笑っていたから、今だってきっと。
そう期待したオレの目の前に見慣れぬ雰囲気の店。
たったの3ヶ月の間に。
パン屋はいつの間にか惣菜やさんになっていて。
彼女のことを覚えている人には会うことができなかったんだ。
あの日自分が漏らした大きなため息をこれほどまでに後悔することはないだろう。
『バイバイ、退くん』
本当にさよならなの?
目の前の霞みを取ろうとゴシゴシと袖で目を拭う。
オレたちの糸はもう切れてしまったの?
もう君はオレの前に二度と姿を現してはくれないの?
『大好きっ』
飛び込んでくるあの柔らかな温もりをこの腕に感じることはもうできないの?
…、何で?
待ってて欲しかった、いや、待っててくれるんじゃないかって思ってたんだよ!!
だって。
『退くんといられるだけで幸せ』
そう言って指を絡め合って抱きしめあって眠ったじゃない。
『退くん、もっとギュウってして、いっぱい』
たくさんオレに甘えてくれたじゃないか、キスだってあんなにねだってくれて。
オレは君の事大好きですごく大事で。
だけど君はもしかしたらオレが君を思うよりももっとオレのこと好きなんじゃないかってほど。
…愛されてるって、どっかでオレすごい自信があったから。
君は本当にもうここにはいないの?
この現実にどう立ち向かえばいいのか、わからない。
もう二度と抱きしめることも笑い合うことも叶わないの?
嫌われてしまってもいい、それでも。
それでも君に生きていて欲しかったのに。
「花奈ちゃん…」
久々に君の名前を声に出して呼んでみた。
応えてくれる人などいないのに。
「花奈ちゃん、返事してよ、花奈ちゃん!!」
あの花束に埋もれた電柱の前で大声で叫んでも彼女の返事はないってわかってるのに。
「逢いたいよ、もっともっと君と一緒にいたいよ!!何でオレだけ置いていくのさ、一人だよ?これから先君がいなきゃ一人ぼっちだよ、オレ!!!」
膝をついて泣き崩れた、何度も何度も彼女の名前を呼びながら。
彼女は連絡しなかったんじゃなくて、できなかったんだ。
すれ違ったままで本当に本当にさよならすることになってしまったなんて。
「花奈ちゃん、戻ってきてよ、もう一度オレの側で退くんって笑ってよ、花奈ちゃん!!!」
その時だった。
「退、くん…」
ポンと肩に乗る手の感触と。
聞き覚えのある、あの声。
嘘、だ…?
恐る恐る振り返った先に困った顔で佇む花奈ちゃんがいて。
「…戻ってきてくれたの?」
あの世とやらからオレのために?
呆然と見上げるオレの顔をそっと優しく撫でるのはオレの涙を拭ってくれているのだろう。
それにしてもやけにリアルな感触だ。
生暖かなその手はまるで生きているようで、足だってちゃんとあって、影もあるんだな…。
え?そうなの?!
頬に触れる花奈ちゃんの手をギュッと握って見ると本当に温かくて、その手を辿るように立ち上がって。
彼女自身を抱き寄せるとやっぱり温かくて柔らかな感触に。
「…、あ、の…、花奈ちゃん、もしかして…生きてらっしゃる?」
「もしかしなくても生きてます」
「生きてる?!生きてるんだね?!」
「生きてますから、痛いよ、退くん!!」
思い切り花奈ちゃんを抱きしめると痛いとの答えにこれが現実なんだと嬉しくなって。
「生きてるんですからね?!」
オイオイとまた泣き出したオレを必死に慰める花奈ちゃんに何度頷いても、涙は止まらない。
嬉し涙って本当にあるんだよね。
困ったように微笑みながらオレの頬を撫でてくれる花奈ちゃんが愛しくて仕方ない。
「退くん、ごめんね、私ずっと」
「ち、違う、あの時オレが誤解させるような真似しちゃったから!!花奈ちゃんは何も悪くないから!!」
「でも私バイバイって…何てバカなこと言っちゃったんだろうって…、次の日電話したら何故か通じなくて」
「ん、ゴメン、携帯水没してた…」
「う、私のは燃えちゃった」
お互いにハハハっと乾いた笑いを浮かべて。
それから手を繋ぐ。
もう二度と触れることすら叶わないと思った花奈ちゃんの手を。
「退くんにもう嫌われてるかもって思ってたのに」
あのパン屋は隣町に移転し、そして花奈ちゃんは大家さんからの紹介で既に別のアパートに引っ越してたらしい。
そのアパートがこのすぐ近所で仕事を終え家路に帰る道すがらあの場所で泣き崩れているオレを見つけた、とのことで。
「嬉しかったの、退くんがあんなにも私のこと思ってくれてるのかって」
真っ赤になった花奈ちゃんが足を止めて。
「同じ、なんだからね?」
オレの目を真っ直ぐに見て恥ずかしそうに笑う花奈ちゃんが可愛くて。
そっと1つ短いキスをしてお互い照れたように笑った後で。
「あ、あ、あのさ、花奈ちゃん、今夜泊まってもいい?」
コソッと耳元で囁いだ。
「…どうしよっかな」
何てはにかみながら花奈ちゃんに焦らされるのも楽しいから。
さっきから胸元でバイブが鳴る携帯をそっと電源ごと落とした。
説教ならまた明日にして下さい!
「退くん、お腹空いてない?食べたいものある?」
「勿論花奈ちゃん!!」
「っもう」
その笑顔に声に温もりに何度だって惹かれる。
この先も二度と失わないように。
出逢った日から今も未来も。
オレだけの君でいて。
アイシテル
2016/6/23
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