うつつさん

※現代軸

ふらりと立ち寄った店の陳列棚に懐かしい物を見つけ、思わず手を伸ばすと自分のものより一回り大きな手とぶつかった。

「あ、すみません」

咄嗟に自分の手を引っ込めて、触れてしまった相手の顔を確認しないまま軽く頭を下げる。他人と同じタイミングで同じものに触れることなんて、物語の中でしか起こり得ないことだと思っていた。
気まずい気持ちを隠しつつ、そそくさとその場を立ち去ろうと踵を返す。ところが、一歩足を踏み出したところで背後から呼び止められ、これまた懐かしい声に、ぴん! とひとりでに背筋が伸びた。

「苗字先生!」

びりびりと鼓膜を震わせるような大きな声に、伸びた背筋が形状記憶のように強張る。
この力強い声に、この声量。間違いなくあの人だ。――そう思いながら恐る恐る後ろを振り返ると、そこには大きな瞳を煌々と輝かせた煉獄先生が立っていた。

「れ、煉獄先生。こんばんは。お久しぶりです」
「本当に久しぶりだな! 元気そうで何よりだ!」

レジの前に立つ店員さんが、チラチラと私たちに視線を送っている。それもそうだ、ここは駅前の商店街にある小さな雑貨屋さん。見るからに個人商店のこのお店は食器やらガラス細工やらをメインに取り扱っていて、たまに立ち寄ってみてもお客さんの数は疎らだし、わざわざここで大きな声で会話をする人なんて一度も見たことがない。店員さんが思わずこちらに視線を向けてしまうのも頷ける。
私が慌てて「しー!」と人差し呼びを立てて見せると、煉獄先生は一瞬、きょとんとした顔をしてから、すぐに愉快そうに笑い出した。

「すまない。騒がしかったな」
「い、いえいえ……」

笑いながら謝る煉獄先生は、あの頃から何も変わっていない。
煉獄先生は、私が現在勤めている学校に異動になる前に勤めていた学校――キメツ学園の教師である。所謂“元同僚”というやつだ。
仕事の能力も生徒からの人望もいまいちパッとしない私とは対照的で、煉獄先生はいつだって仕事も完璧で、同僚からも生徒からも信頼を寄せられていて、格好良くて、……密かに私の憧れの先生だった。こんな教師を目指していれば、パッとしない私でもいつか自信が持てたりするのだろうかと、幾度となく自分の理想像と重ねたものである。
でも、まさか今日このタイミングで憧れの人と会うことになろうとは。

「それにしても、苗字がこの商店街にいるとは驚いたな。ここはキメツ学園からは近いが、君が今勤めている学校からは距離があるだろう」
「あ、はい。そうなんですけど」
「買い物か?」
「買い物……と言えばそうなのですが、……何と言えばいいのか」

言いにくそうに口ごもる私を見て、煉獄先生は小さく首を傾げた。
久々に会った元同僚相手にそんな正直に言わなくたって、適当に誤魔化せば良いのに……! と脳内でもう一人の自分が声を荒げている。でも、煉獄先生を前にすると、不思議と「この人に嘘なんてつきたくない」と思ってしまう。
再び襲ってくる気まずい空気に口をつぐんでいると、煉獄先生が私の顔を覗き込んできた。

「当ててやろう」
「え、」
「今の勤め先で、何か嫌なことがあったのか?」

そう言って、じっと私の目を見つめてくる煉獄先生。その言葉に、私は唇をぎゅうっと引き結んだ。
図星だった。まさに、煉獄先生の言う通りだった。ここ数日の間で些細なヒューマンエラーを繰り返し、本日教頭先生こっぴどく叱られてしまった私は、以前勤めていたキメツ学園の楽しい学園生活を思い出し、仕事帰りにふらふらとここまで寄り道しに来たのである。
どうして煉獄先生がそのことに勘付いたのかは、わからない。

「な、なんで……」
「以前、苗字先生が自分で言っていたんだぞ」
「え? ……私、何を言ったんでしたっけ」
「“元気が出ない時は、綺麗な雑貨を眺めるだけで心が安らいでくる”と」

煉獄先生の台詞に、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。そんなこと、言ったっけ。
でも、確かにその言葉は、密やかな趣味として『雑貨屋巡り』を繰り返している私がいかにも言いそうな言葉だった。事実、今もこうして以前の勤務先付近の商店街で、懐かしい雑貨屋の店内に入り浸り、疲弊した心を癒そうとしている。

「これ、欲しかったのか?」

煉獄先生がこれ、と言って指差した先には、ガラスで作られたペーパーウェイトが並べられている。無色透明からカラフルな物、押し花が閉じ込められているような可愛らしいデザインの物まで、様々なデザインのペーパーウェイトが陳列された棚は、まるでジュエリーボックスのようだった。
先ほど私が手を伸ばしたそれは、黄色とオレンジ色と赤色が散りばめられた、キラキラと太陽のように光輝くペーパーウェイト。派手な色合いで一際目立つデザインだけれど、力強くて、見ているだけで元気が湧いてくるような、そんなデザインだった。

「あ、その、欲しいと言うか……煉獄先生がこんなデザインのペーパーウェイトを使われていたなって、ふと思い出しちゃって」
「そうだな。あれもここで購入した物だから、同じデザインかもしれない」
「あっ、やっぱり。そうだったんですね」
「お揃いにするか?」
「え゛っ?!」

思いもよらぬ煉獄先生の発言に、私は驚きの声をあげる。唐突に何ということを言うのかと慌てて陳列棚から顔を上げれば、またまた楽しそうに笑みを浮かべている煉獄先生と目が合った。
反応に困った私が「そういうこと、軽々しく言っちゃダメなんですよ……」と小さな声で抗議すると、煉獄先生は「軽々しくなどない」ときっぱり言い切る。

「苗字先生だから言っているんだ。俺は大歓迎だぞ」

反応を伺うかのような言葉に似つかわない、有無を言わさぬその表情に、一気に頬が熱くなるのを感じた。


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