一二三さん

斜向いにある廻し部屋から漏れ聞こえてくる甲高い嬌声が、頭の中でしつこく反響していた。

行灯の火がゆらゆらと揺れている。私は男を待っている。それは客であるが客ではない。男の名前は冨岡義勇と言った。男と会うのはこれで六度目になる予定だった。だった、というのは今日その六度目だというのに、男が姿を現さないからであった。あちこちから聞こえる女たちの嬌声に、私は混じることができない。喜んで抱かれている訳ではない。しかし、遊郭で働く女としてそれは些か傷つくところであった。

「嫌だねぇ」

盆の上で主を持たない酒と料理が侘しさを際立たせ、煙管から上がる煙は行灯の火と同じようにゆらゆらと夜闇へと溶けていく。このまま起きてたって仕様がない。そうとなれば思い切り寝てやろうかと、床へつこうとした時だった。

「遅くなった」

静かに開いた戸から見せたのは冨岡義勇であった。嬉しい。顔がほころびそうになるのを抑え、私はするりと彼の懐へ。しおらしく寄り添っている姿を見れば、私たちはただの遊女と客でしかない。

「待ちくたびれて 一人で床につくところでしたよ」
「それはすまなかった」

目を合わせようとはせず、寄り添った体は自然と肩を掴んで距離を取った。不器用なようで器用な男だといつも思う。そうして静かに、出窓へ腰を下ろした。
冨岡の黒髪が、月明かりで深い藍のように見える。直毛な彼の髪は、風になびいてもすぐ元の位置に納まった。

「お前に知らせがある」
「それは吉報?それとも 」

凶報、そう言いかけて口を噤む。遊女として会う六度目の冨岡義勇の私を見る目が、やけに色を含んでいたからだった。さっきは良いようにかわしたっていうのに、行動と視線がどうにもみ合っていない事に違和感を抱く。
じり、と行灯のこよりが燃える音がした。小さな音がやけに響く。周りの嬌声もいつの間にか小さくなっていた。それは、夜が深まっている事を表していた。

「任務は終わりだ。苗字」

懐から取り出した文を寄越す。そこには私の名前と、この任務の終わりを告げる旨が簡潔に書かれていた。そうして最後の一文に、明日からの任務はこの冨岡義勇と行くようにも書かれていた。

「最後だから、抱いてやろうとでも……思ってるわけ」

冨岡の、色を含んだ視線へ投げ返す。客であるが客ではない。それは冨岡が、私を遊女として抱くことはなかったから。遊女ではなく、鬼殺隊としての女であるのを分かっているからだ。
それなのに今日の冨岡からは、私を遊女として見ているような色を感じる。

こちらの問いに冨岡は答えない。出窓から腕を伸ばし私の肩を押した。それは大した力ではなかったのに、いとも簡単に体は床へ落ちた。遊女ならば床入りなど造作もない、それはこの仕事の基本であり誇りであった。
倒れた時、懐に仕舞っていた匂香が落ちた。鼻を霞める藤の馨り。それは、自分が偽りの遊女ではなく鬼殺隊の人間なのだと思い出させた。

「遊女として、何人男を相手した」
「いちいち数えてなんていないよ」
「覚えていないのか」
「気にしていたらこんな任務……」

なんて言ったらいいものか、言葉が詰まった。
冨岡は何も言わなかった。代わりに、手の甲で柔らかく頬を撫で、指先で優しく私の目尻を撫でた。

「俺がお前を抱くのは、好きな女だからだ」

そうして笑う冨岡を見て、涙がこぼれた。



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