専制

「よぉ、ゼロ」

始業式を終えて教室に戻れば、式に姿を現さなかった友人がこちらに向かってへらりと手を挙げた。新学期早々遅刻だなんて、本当に何を考えているのだろう。返事をするかわりにバシリ!強めに背中を叩いてやれば、景光は「そんなに怒るなって」と笑って肩を組んでくる。
諸伏景光。零の幼馴染で、長年の親友でもある。
 
「昨日徹夜で考えてたんだよ。初心者のゼロでも弾ける曲、なんかないかな〜って」
「だからって遅刻するな。内申に響いたらどうするんだよ」
「遅刻の一回や二回、へーきへーき」

それよりほら、これ。
景光はカバンの中からギターコードの本を取り出し、零に放ってよこした。本当に徹夜したのだろう。ページごとに挟まれた色とりどりの付箋には、「これ、オススメ!」とか「一緒に弾きたい!」とコメントまで添えてある。

「時間がある時、一緒に練習しようぜ」
「…あぁ」

怒っていた筈なのに、思わず頬が緩んでしまう。零は小さく頷きながら、一番最初の付箋が挟まったページを捲った。
岡野貞一作曲の「ふるさと」だ。歌詞も知っているし、手慣らしにはいい曲かもしれない。
 
「おぉい、席つけぇ〜」

杉本の野太い声が教室に響き、全員が慌ただしく席に着く。そろそろと忍び足で席に向かう景光を「諸伏ぃ…!」杉本がドスの利いた声で呼び止めた。生徒指導担当である杉本は、遅刻には特にうるさいのだ。ギクリと景光の肩が揺れ、「バレた...」と苦笑いを零す。

「新年度早々、社長出勤とはいいご身分だな。受験生の自覚があるのか?ん?」
「ははは…。スミマセン」

ぽりぽりと頬をかく景光に、杉本は大きなため息を吐く。

「罰として居残り掃除。放課後、廊下を雑巾がけ五往復」

うぇえ…。景光が悲鳴を上げると同時に、教室内にどっと笑いが溢れる。お調子者の男子生徒が「よっ、社長〜!」とはやし立てるのを尻目に、零は笑いもせず、ただただその人を見つめていた。
 

クラスメイトと一緒になってクスクスと笑う、白い花のコサージュを付けた女性。始業式の教職員紹介では名前しか知ることが出来なかった。

こちらの視線を感じたのだろう。ぱちりと目があえば、彼女は零に向かって優しく微笑んだ。それだけでどうしようもなく、胸が締め付けられてしまう。顔が熱くなり、思わず目を逸らす。

「みんな気になってるだろうから、さっさと自己紹介しちまおう。俺が、担任の杉本だ。昨年度からの持ち上がりだから、皆知ってるな。そしてこちらが、今年入ってこられた副担任のなまえ先生。どうだ、美人だろぉ」

杉本の言葉に、教室内がまた笑いに包まれる。数人の女子生徒が「かわいー!」「彼氏いますかー?」と声を上げた。
なまえ先生は困ったように笑いながら、持っていた小箱から真新しいチョークを一本取り出す。くるりと背を向け、すらすらと流れるように黒板に文字を書いていった。

なまえみょうじ

そう書かれた文字は、息を飲むほどに美しい。
 
「皆さんはじめまして。なまえみょうじです。ここ、3Aの副担任をしつつ、授業では古文を受け持ちます。先生一年目なので、私の方が皆さんに教えてもらうことが多いかもしれない。どうぞお手柔らかにお願いします」

ハーフアップにされたつややかな髪を揺らし、彼女が頭を下げる。「なまえ先生をいじめたら、テメェらしばくからな!」と手を叩く杉本に続き、教室中が彼女の事を拍手で歓迎した。
胸から手を離せない、零以外は。
 

和やかな雰囲気でホームルームは進み、明日から始まる授業や年間行事の確認などが行われた。

「じゃあ、これだけ決めて今日は終わりにすっか。学級委員やりたい奴、いるか?」

杉本の言葉に、さっきまで騒がしかったクラスがシンと静まる。内申点が大事な受験生とはいえ、教師の雑用係でもある学級委員を率先してやりたい者など一人もいなかった。「ま、そうだよな」と杉本が腕を組む。

「じゃ、遅刻してきた諸伏。委員長な」
「はぁ?!」

机の下で隠れてコード本を開いていた景光が、杉本の言葉に勢いよく立ち上がる。

「なんで俺なんですか!」
「いくらギターが上手くても、内申は良くならないんだよ。これは俺からの思いやりだ」
「ひっでぇ…。だったら、副委員長に降谷君を推薦します!」
「はぁ…?!」

景光の言葉に、名指しされた零も思わず立ち上がる。「俺は関係ないだろ!」と叫んだが、担任の杉本は「フム…」と納得したように顎に手を当てた。

「確かに、降谷だったら諸伏もクラスも上手くまとめられそうだな。成績も学年トップだし」
「−先生、困ります…!」

机に手を付き、身を乗り出して必死に抗議する。黒板の端に佇む彼女とまた目があい、零の指先が小さく震えた。彼女の丸い瞳が今、自分だけを見ている。それだけでこんなにも動揺し、二の句が継げなくなってしまう。

「委員長は諸伏、副委員長は降谷でいいと思う者は挙手!」

杉本の言葉に、零と景光以外の全員が手を上げる。図ったように終業のチャイムが鳴り、「じゃあそう言うことで!」という杉本の一言で、その日は解散となった。
 

「ゼロ〜」
「…」
「ゼロってば〜」
「…」
「悪かったって。今日帰りにマックおごるから、機嫌直してくれよ〜」

配られたプリントを鞄にしまいながら、零は忌々し気に景光を睨みつける。
今回のようなことは、これが初めてではなかった。成績優秀、品行方正な零と、明るく優しくもどこか浮ついた景光は、いつもセットとして扱われる。景光が何かしでかした時「どうして諸伏をちゃんと見てなかったんだ!」と零が怒られた事も一度や二度ではなかった。
零が無視を続けていると、景光はフンと鼻を鳴らす。

「そんなに怒らなくてもいいだろ〜?せっかくチャンスを作ってやったのにさ」
「はぁ?」

何のことだ、と問いかければ、景光はにやりと笑う。

「センセーだよ。なまえ先生」
「…あの人が、なんだ」

内心ドキリとしつつ、不機嫌に顔を顰める。景光はコホンとわざとらしく咳払いし、内緒話のように零の耳元に近付いた。

「センセーの事、ずっと見つめてただろ。幼馴染の俺がお前の変化に気づかないとでも思ったか?」
「なっ…!」

景光の言葉に、零は耳まで赤くなる。「別に、そんなんじゃ…!」と腕を降れば、その手をひらりとかわして景光が「ハハハ」と笑った。

「学級委員になれば、センセーと話す機会も増えるだろ。ゼロの恋バナが聞けるなんて楽しみだな〜」
「ヒロ!変なこと言うとギターでぶん殴るぞ!」
「駅前のマックまで競争な〜」

ギターを背負って逃げる景光を、少し遅れて零が追いかける。
桜並木の下、学ランを翻して走る二人の背中を、みょうじは職員室の窓から静かに見つめていた。
 
(専制…支配者が独断で思いのままに物事を決める事。専制政治)
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