旋正

木々を彩る淡い色の花弁が、風に乗ってひらひらと舞っている。

ひらひら、ひらひら。まるで泣いているかのように。


「卒業の記念に、そのコサージュを頂けませんか」

彼の青い瞳が私の襟元を見つめる。
卒業式を終え、高校生活最後のHRを終えた教室には、今や彼と私の二人しかいなかった。色とりどりのチョークで彩られた卒業おめでとうの文字。彼の視線につられるように、私も自身の襟元に視線を落とした。
何処にでも売っているような、有り触れたデザインの白い花のコサージュ。高校生の男の子が欲しがるようなものでも無いそれを、私は言われるがままに襟から外す。

あの日以降、彼は元の優等生に戻った。時折獰猛で、それでいてとびきり甘い視線を感じたこともあったが、こちらが顔を上げても以前のように視線が合うことは無かった。

骨張った大きな手に、コサージュを渡す。一瞬触れ合う気がした指は、触れることなく離れた。

「どうか、お元気で」
「...ありがとう。降谷くんも、元気でね」

彼との思い出は、そこでぷっつりと途切れている。





いくつもの花があしらわれたのヴェール越しに、私は大きな十字架を見上げる。ステンドグラスの光が降り注ぎ、パイプオルガンの音色が響く道を、私は父と共に一歩一歩進んでいた。
バージンロードの先、緊張した面持ちで佇む眼鏡の男。吉田という名のその男にプロポーズされたのは、ほんの数ヶ月前のことだ。
いい歳をして結婚のけの字もない娘に業を煮やした両親が、無理矢理お見合いの席を設けた。その相手が彼、吉田だった。

「...こんな時代だからこそ、色んな面で強気でいきたいんだよね」

三十七という若さで都内に数件の飲食店を持つ彼は、自分の店と同様、自分の妻になる女性をもプロデュースしたがった。

「都内の一等地に二人で住むのにいいマンションを見つけたんだ。お互い仕事に集中したいだろうから子供はいらないよね」
「もし僕の妻になりたいなら、もう少し身なりに気をつけた方がいいかな。僕の知り合いに会った時、野暮ったい奥さんだと思われるのは困るだろう?」
「教師は安定した職業だけど、どうも世間に疎くていけない。結婚したら僕の秘書になってもらいたいな」

彼の言葉に「はぁ」とか「まぁ」と適当に応えているうちに、あれよあれよと色々な事が決まっていく。相槌を打つだけの逢瀬を重ね、気付いた時にはとうとう結婚式当日になってしまっていた。


感動で涙ぐむ父から離れ、今度はタキシードを着た彼の腕に腕を回す。リングピローにセットされたティファニーの指輪。誰もが羨むほど高価な筈なのに、何度見ても子供がおままごとで使う玩具に見えた。

「それでは、誓いのキスを」

神父の言葉に、吉田が私のヴェールを上げる。その胸元を飾る紫色の薔薇があまりに毒々しくて、それ以上見ていられなかった。
思わず目を閉じれば、かさついた指が私の顎をすくい上げる。生暖かい息が近づいてくるのを感じた。

誰かとキスをする度に、思い出す男の子がいる。

あの日、私の唇を強引に奪った彼は元気にしているだろうか。素敵な人と出会い、今度こそ本当の恋をしているだろうか。
今になって、数年前の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る。

あの白い花のコサージュを、あの後彼はどうしたのだろうか。
保身を捨て、じぶんよりずっと年下の彼を受け入れていたら、何か変わっただろうか。
白いタキシードに身を包む“彼”との未来も、もしかしたらあったのだろうか。

自分の運命を受け入れている。この男と結婚すれば、少なくとも今後一生生活に困ることはないだろう。たとえ将来両親に何かあったとしても、この男の後ろ盾があれば自分は安心してやるべき事に専念できる。
そのやるべき事が、やりがいを感じていた教職であるかは分からないけれど。

じわり。視界が滲み、目の前の男の顔が歪む。きっと吉田から見れば妻が喜びのあまりに泣いているように見えるのだろう。この涙の本当の理由を知っているのはこの広く大きな教会で自分だけだ。

すっと、ほんの少しだけ顔を背ければ、吉田の唇は私の頬にぶつかった。予定とは違う行動とった妻に驚いたのだろう、歪んだ顔を見ないふりをして手元のブーケに視線を落とす。新郎のブートニアとお揃いのブーケ。本当は紫なんかじゃなく、ドレスと同じ真っ白な花束を持ちたかった。
−あの時のコサージュみたいな。
そんな事を考える自分に思わず自嘲した、その時だった。

大きな音をたてて教会の扉が開き、辺りに強い風が吹き荒れた。まるで春の嵐。フラワーシャワー用の花弁が舞う中、グレーのスーツに身を包んだ男が一人、教会の入口に立っていた。

「...好きでもない男と結婚だなんて、相変わらずお馬鹿さんですね」

聞き覚えのある台詞に、思わず目を見開く。
招待客がどよめく中、堂々とした足取りで歩み寄ってくる男。その胸元には、有り触れたデザインの、しかし確かにあの日私が渡したはずのコサージュが揺れていた。

「なっ、誰だ君は!?大事な式の最中に...!」

またも予定とは違う男の登場に、苛立った吉田が大きな声で叫ぶ。しかし、私は彼を知っていた。

ミルクティー色の髪に、褐色の肌。青い双眼は時を経てより精悍さを増している。
吉田の言葉を無視し、彼は静かに微笑む。

「迎えに来ました。先生」

目の前に跪き、手の甲に口付けを落とされる。
それだけでボロボロと涙が溢れた。

(旋正...巡り巡って元の正しい位置に戻ること。作者造語)
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