同じ朝を迎えるにあたって


「ついに明日だな」

不意にかけられた優しい声に振り返ると、お風呂上がりの煉獄さんがリビングへと戻ってきた所だった。「うん」返事をすれば、彼は首に掛けたタオルでわしわしと濡れ髪を拭いながら私の横に並ぶ。ペン立てから赤いマジックを取り出すと、壁に掛かったカレンダーの今日の日付にキュッと線を引いた。
ここ数ヶ月、一日の終わりにこの斜線を引くのが私たち二人の小さな日課となっていた。明日は大安。彼によって書かれた“結婚式”という大きな文字が、その重要性を示すかのように幾重にも丸で囲んである。


本当に「ついに」という言葉の相応しい半年間だった。
私が煉獄さんからのプロポーズを受け入れた翌日、彼は嬉々とした表情で分厚い結婚情報誌を買って同棲するこのアパートへと帰ってきた。なんでも同僚の宇髄さんに「人気の式場は早く予約しないとすぐ空きが無くなるぜ」とせっつかれたらしい。

「一生に一度の事だから、出来る限りなまえの希望に沿いたいと思う。やりたい事があったらどんどん言ってくれ!」

勿論、予算の都合はあるがな!と微笑む彼にどれほど感謝した事だろう。最近は式を上げないカップルも多く、写真や食事会だけで済ませたという知り合いも何人もいる。私はと言うと、小さくてもいいからお式くらいは上げたいなと思っていたので、煉獄さんの申し出はまさに渡りに船だった。

何件もの結婚式場に足を運び二人で選んだのは、縁結びの神様をお祀りしている小さな神社だった。社殿のすぐ横に式場が併設されており、和装での神前式を終えるとすぐさまお色直し、ドレスに着替えての披露宴となる。それぞれの家族と、本当に仲のいい友人だけを招いてのアットホームなお式だった。
食事は通常のプランより少しだけ良い物を。そこにお金を掛ける代わりに、宛名書きや食事のメニュー表などは二人で手作りする事になった。

ここでも、煉獄さんはその人柄の良さを遺憾なく発揮した。先に結婚した友人たちからは幾度となく「彼が式の準備を何も手伝ってくれない!」と嘆きとも怒りとも取れる話を聞かされていたのだが、煉獄さんに限ってはそのような事は全く当てはまらなかった。
「お友達何人呼びますか?」と聞けばすぐに友人をリストアップし、招待状の宛名や座席の割り振りまで率先して手伝ってくれる。私が作ったメニュー表をプリントアウトし、綺麗な和紙に貼り付けてくれたのも煉獄さんだった。

それでいて、煉獄さんはいつでも笑顔で私のワガママに付き合ってくれた。
衣装合わせの日、披露宴で着るカラードレスを決めるのに私がどれほど迷っても、煉獄さんは飽きもせず最後まで付き添ってくれた。

「どれも似合う。でも、強いていえば二番目に着ていたヤツが俺は一番好きだ!」

あっという間に予定時刻を過ぎても、煉獄さんは朗らかな口調でそう言っただけだった。同席したスタッフさんからも「衣装合わせで疲れちゃう男性って多いんですよ。優しい新郎様でこちらまでほっこりしちゃいました」と耳打ちされる程だ。
本当に優しい、素敵な人なのだ。





「衣装や小物は昨日のうちに全て式場に届けてあるし、あとは明日無事に会場にたどり着くだけだな!」
「うん、そうですね」
「......なまえ?」

名前を呼ばれ、うん?と顔を上げれば、心配そうに眉を下げる煉獄さんと目が合う。「なんだか元気がないな。ど何かあったのか?」「えっ?やだ、そんな事ないですよ」そう答えたものの、彼の目は誤魔化せそうになかった。

「いや、確かに元気がない。どうした?もしかしてマリッジブルーというやつか?」

マリッジブルー。それは式の準備中、結婚情報誌やネット記事で何度も目にした言葉だった。そんなはずないと笑い飛ばしてしまいたいのに、何となく俯いてしまう自分がいる。

「...煉獄さんって、本当に素敵な人ですよね」

ぽつり。つい零れ落ちた言葉に、煉獄さんが「そうか?」と困ったように笑う。

「褒められるのは嬉しいが、急にどうしたんだ?」
「いえ、私には本当に出来すぎた旦那さんだなぁって思って。煉獄さんと結婚するって言うと、みんな「良い人と出逢えて良かったね」って言ってくれるんです」
「うむ、それで?」
「勿論、私も心からそう思います。煉獄さんと出逢えて嬉しい、毎日幸せだなって。...でも、煉獄さん自身は私なんかでいいのかなって」

一度零れ出した不安は、なかなか自分でも止められない。

「顔もスタイルも普通だし、ホントになんの取り柄もない。明日だって煉獄さんの隣に立つのが本当に私なんかでいいのか...」
「...俺がなまえの事を自慢しても、みんな「良いお嫁さんで良かったな」と言うぞ?」
「えっ?」

思わず顔を上げれば、そこにはいつも以上に優しく微笑む煉獄さんがいた。一体私なんかの何を自慢していると言うのだろう。聞くより先に煉獄さんが口を開く。

「結婚の報告をすると良く言われるんだ。「式の準備面倒だろ」「男には苦痛だよな」と。でも俺は本当に、たった一度だってそれらを面倒だと思った事はなかった。何故だと思う?」
「えっ?うーん...」

煉獄さんからの問い掛けに、私はうんうんと首を捻る。「...自分の結婚式だから?」私の答えに、煉獄さんは真剣な表情で「相手が“君”だからだ」と答えた。

ことん、と音を立てて煉獄さんがマジックをペン立てに戻す。陶器で出来た少し歪なペン立て。付き合って少しした頃、二人で陶芸体験に行って作ったものだった。
煉獄さんがロクロで形を作り、私がヘラで模様をつけた。「初めての共同作業ですね」なんて冗談を言った講師に、二人でどぎまぎしたのを覚えている。

「素直で努力家、誰にでも優しい。ちょっと天然な所もあるが、そんな所さえ愛おしくて堪らない。...−だから俺はいつもこう言い返すんだ。「大好きな人との結婚式の準備が面倒なわけがない!」と。そうするとみんな「よっぽど良いお嫁さんなんだなぁ」と言ってくれる。俺もそう思う」
「煉獄さん...」
「だから、」

“私なんか”なんて自分を卑下しないでくれ。
そう言って、煉獄さんは私の頭をその大きな手で撫でる。

「俺は、君だから隣にいて欲しいんだ」

頭を撫でる優しい手付きに、身体の中にぽっと火が灯るような感覚があった。本当に、明日結婚する人が煉獄さんで良かった。そう思った途端、私の両目からぽろぽろと涙が落ちる。

「コラ、あんまり泣くと目が腫れてしまうぞ」
「っ、煉獄さんが優しい事ばっかり言うから〜!」

拭っても拭っても止まらない涙に、煉獄さんが「そうだろうか?」と笑う。丸い瞳の奥がほんの少しだけ意地悪く光った。

「頑張り屋のなまえにはもっと優しくしてもいいくらいだ。なんなら今からベッドでゆーっくり慰めようか?」
「行きません!私はこれからお風呂に入って超高級なパックをして明日に備えるんですから!」
「そうか!では、お楽しみは明日の夜にとっておこう!」

元気になって良かった、と煉獄さんが私の額に口付ける。ぎゅっと抱きしめられ、私もその広い背中に自分の腕を回した。
明日、彼の選んだドレスを着るのが楽しみだった。

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