昼間の熱気が少しずつ落ち着いてきた頃、台所で夕飯の支度をしていた彼女がふっと顔を上げた。その視線は窓の外に向けられており、金色に光る夕日が遠い山の稜線にゆるゆると沈んでいくところだった。

眩しいのだろう、細めた瞼を縁取る長い睫毛が、光線を受け夕日と同じ色で輝いている。思わず「綺麗だな」と呟くと、彼女はハッとしたようにこちらを見て「そうですね。きれいですね」と夕日の感想を述べた。

料理が再開され、彼女の持つ包丁が再び一定のリズムをもって動き出す。今日の夕飯は素麺だ。彼女の用意した小皿には、それぞれ生姜、大葉、茗荷と様々な薬味が盛られ、コンロに置かれた鍋にはぐらぐらと湯が沸いていた。
「何束茹でる?四束?それとも五束でも」
いいだろうか、と俺はわくわくしながら素麺の束を手に取ったが、隣に立つ彼女からはなんの返答もなかった。見れば彼女は葱を切る手を止め、再び窓の外を眺めている。どうにも様子がおかしい。

カチリ。コンロの火を止めれば、鍋の中の湯は急激に勢いをなくす。「おい、大丈夫か」と手をひらひらさせながら声をかければ、彼女はまたハッとした顔で「やだ、私ったら...!」と慌てたように顔を赤らめた。
再びまな板へと向き直った彼女の手から、俺は「待て待て待て」とそっと包丁を取り上げる。
「どうした?さっきから何度もぼんやりして」
熱でもあるのか?とその額に手を伸ばしたが、自分の手の方が熱いくらいだった。「なにかあるなら正直に話してくれ」と請えば、彼女は「うぅん...」と迷ったように視線をさ迷わせる。「なまえ」名前を呼んで促すと、やっと観念したように口を開いた。
「...夕涼みに、行きたくて」
「夕涼み?」
「はい、夕涼み」
なんだそんなことか、と軽く言ってやれないのは、俺達二人に前世の記憶があるからだ。
日が暮れれば夜になる。夜になれば、鬼が出る。

俺がまだ炎柱として刀を振るっていた頃、妻である彼女には毎日のように言い聞かせていた。
日が暮れたら家中の戸を閉め、外には出ないように。
眠る時でも必ず、藤の香りの匂い袋を身につけているように、と。
「わかっているんです。現代に鬼はいない。でも、煉獄さんは夜になると、今でもちょっとピリピリするでしょう?家中の鍵を閉めて、寝室には藤のお香を焚いて...」
折角デートをしていても、夕方にはもう帰ろうって言うし...。
そう言ってエプロンの端をいじる彼女に、俺は思わず両手で頭を抱える。
俺だってわかっている。現代に鬼はいない。それでも、長年の習慣はなかなか消えてくれないものだ。
だから、夏の花火も、冬のイルミネーションも、夜の外歩きは出来るだけ避けてきた。「君を大切にしたいんだ」なんて、なんやかんやと理由をつけて。気付かれていないと思っていたのに...。

「わかった。行こう、夕涼み」
そう絞り出すように言えば、彼女の顔にぱっと笑みが広がる。なら、せっかくですから浴衣も用意しましょう!煉獄さんも着てくださいね!と張り切る彼女が可愛くて、全く敵わないなぁと頭をかいた。



水色の浴衣に身を包んだなまえと共に向かったのは、家の近くにある森林公園だった。広々とした公園の中にはちょっとしたせせらぎがあり、夜には蛍が見られるのだという。
「日が暮れたとはいえ、まだちょっと暑いですねぇ」
そう言って、彼女は朝顔の柄が入ったうちわでパタパタと首元を仰ぐ。うなじに張り付いた髪が艶めかしく、どうしてもそこにばかり目がいってしまう。
「あっ、見てください!煉獄さん、あそこ!」
子供のようにはしゃぐ彼女の示す方向に目を凝らせば、ちらちらと淡い光が舞っているのが見える。忍び足でそっと近づいて行くと、光の数はどんどん増えていった。

こんなに沢山の蛍を見たのは、前世をひっくるめても今日が初めての事だった。環境的に考えれば、きっと昔の方が蛍も多かったろうに。過去の自分が、如何に鬼殺に忙殺されていたのかを実感する。

薄暗闇の中、彼女がおもむろに人差し指を差し出す。すると、まるでその色香に誘われたかのように、紫陽花の上にいた蛍が彼女の指先へととまる。
「綺麗……」
うっとりと目を細めた彼女に、君の方が綺麗だと言いたくなるのをぐっと我慢する。
夕涼みに行きたい。夜に外を出歩きたい。
それを言うのに、彼女はどれほどの勇気を振り絞ってくれたのだろう。その健気さに頬が熱くなる。
「? 煉獄さ、」
にわかに抱きしめられた彼女の指先から、音もなく蛍が飛んでいく。幾つもの光に見守られながら、彼女の唇に自分のそれを重ねた。

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