「頓珍漢」という言葉がある。
物事のつじつまが合わない、もしくは、間抜けな行動をとる人のことを示す言葉だが、その語源は昔、まだ日本に鍛冶屋という職業が溢れていた時代にまで遡る。

鍛冶屋とは打ち物、つまり熱した金属を槌で打ち、刀や刃物、農具などに加工することを生業としている。機械化がまだ進んでいない時代、町には煌々と火を灯した鍛冶場が至る所にあった。
全身に玉のような汗を浮かべた男達が、手にした大槌小槌を次々と真っ赤に焼けた鉄に振り下ろす。この時、職人たちの息が合っていると「トン・テン・カン」と小気味の良い音がする。
反対に、職人の息が合わないと「トン・チン・カン」と間抜けな音がするらしい。「頓珍漢」はこの音に当て字をしたものだという。
 
 



校内のあちこちから響く音は、まさに「トン・チン・カン」に似ている。一週間後に控えた学園祭に向け、どのクラスも準備に大忙しだった。
釘打ちなんて図工の授業でしかやったことのない高校生達は、たびたび目測を誤ってベニヤ板だけを打ったり、自分の指を打ちつけたりする。そのなんとも間抜けで微笑ましい音に耳を澄ませながら、なまえは黙々と図書室で作業を進めていた。
 
学園が懇意にする書店から届いたばかりのその本は、まるでこの世に生まれたばかりの赤ちゃんのようだ。カバーも背表紙も艶々と光っていて、中に綴じ込まれたスピン(糸状のしおり)まで愛おしく思える。
しかし、このまま貸し出しに回してしまうと、あっという間にカバーの艶は失われ、折れたり、酷いときには破れてしまったりするのだ。今でも時折「なんかぁ、知らないうちに破れちゃっててぇ」と悪びれもせず破損した本を持ってくる生徒もいる。

そんな風にさせないためにも、学園の司書であるなまえが、カバーの上からさらに透明なフィルムを掛ける。スマートフォンの画面に保護フィルムを貼る作業に似ているが、面積が広いぶん、本の方がずっと大変だ。気泡や埃の入り込むことがないよう、知らず知らずのうちに息を止めているのが常だった。
 

フィルムの余分な部分を鋏で切り取りながら、なまえは去年の学園祭のことを思い返してみる。朝一番、開催を知らせる花火が(なぜか)美術室から打ち上がり、普段からテンションの高い生徒達はいつも以上に興奮していた。多くの一般客が来校し、出店はどこも満員御礼。最後は宇髄先生と生徒数名によるバンド演奏によって大いに盛り上がった。

そんな中、一つだけ静かな場所があった。
言わずもがな、我らが図書室である。

図書委員は比較的大人しい性格の生徒が多く、出店はおろか、展示での参加でさえ「あんまりに目立つことは…」と顔を見合わせた。クラスや部活の出し物が忙しいのは図書委員担当のなまえも十分承知だ。「だったら休憩所にしちゃおっか」と自他共に一番楽な道を選んだのである。
 
ところが、祭りの明るい雰囲気の裏には、必ず陰が差すものだ。学園祭当日、図書室は居場所をなくした不良たちの吹き溜まりとなってしまった。

「なんで私たちじゃなくてあの不細工たちがステージに上がれるわけ?!どうにかしてよお兄ちゃぁん!」
「そうだよなぁ、俺たちだってあんなに頑張ったのになぁ?「ジャンケンで負けたから」ってだけで不公平だよなぁああ?」

そう思わないかぁ?先生ぇよおお。
謝花兄弟を中心とした不良たちにそんな風に話を振られ、なまえは滝のように汗をかくしかなかった。学園祭の最後を飾るバンドは、毎年一グループのみと決まっている。なまえに出来ることと言えば、苛立っている彼らをこれ以上刺激しないことだけだった。
今年はあんな思いしたくない。絶対にしたくない。
強く強く、そう思った時である。
 

不意に、図書室の引き戸の開く音がした。ドアの方へと顔を向けてみれば、そこに立っている人物にハッとする。
 
「煉獄先生……!」
「あぁ、みょうじ先生!お仕事中にすまない、学園祭用にお菓子作りに関する本を借りたいんだが!」
「勿論です!こっちの棚にありますよ」

そう言って立ち上がり、なまえは製菓の本が並んだ棚へと煉獄を案内した。「随分色々あるんだな!」と顎に手をやった男に、なまえは再び口を開く。

「あれ?でも煉獄先生のクラスは、たしかたこ焼き屋さんですよね?」

飲食系の出店をやる生徒が、レシピを求めて図書室に足を運ぶパターンは多い。学園生活に必要と認められれば、その場ですぐにコピーしてもらえるからだ。今回の同僚も勝手にそのパターンかと思っていたが、“お菓子作りの本”というチョイスに違和感を覚えた。

「うむ!女子生徒から「せっかく作るなら映えるものも作りたい!」と要望があってな!普通のやつと、可愛くて甘いやつ、二種類作ることになったんだ」

なるほど、となまえは納得した。年頃である女子高生にとって、“映え”は最重要課題だ。年に一度しか無い学園祭ともなれば尚更である。

「生徒と一緒にレシピまで考えるなんて、煉獄先生は本当に生徒想いですねぇ」
「なんの!俺は料理自体はからっきしだから、これくらいしか手伝えなくてな!ついさっきも生徒たちから「当日、先生はお店にいなくていいから」と釘を刺されてしまった!」
「えぇっ?!それは……」

なんて酷いことを言うのだろう。そう憤慨すると同時に、なまえは先日起こった調理室でのボヤ騒ぎを思い出していた。
あれは確か、煉獄先生が代打で担当した授業ではなかったか……?
 
パンケーキの本を二人でのぞき込みながら首を捻っていると、今度は煉獄が口を開く。

「そういえば、図書室は今年も休憩室か?」
「あ、はい。でも、実はまだ迷っていて。去年、行き場の無い子達の吹きだまりみたいになってしまったので……」
「あぁ、謝花兄妹とその取り巻きか」

立ち退きには随分骨を折ったからな!そう言って、煉獄は凛々しい眉をふにゃりと緩める。実際、去年は男性教師陣総出で不良達を追い払ったのだ。あの日、半泣きになったなまえの手をとったのは、他でもない煉獄であった。

「はい。だから、今年はもう鍵をして閉めちゃおうかなって。――でも、不良の子達が本当に行き場を無くして図書室に来ているんだったら、完全に締め出すのもそれはそれで可哀想な気がして……」
「去年散々怖い目にあったのに?」
「うっ……。でも、根っからの悪い子たちではないかもって思って……」

そうなのだ。そこが一番やっかいなのだ。
もし彼らが根っからの不良であれば、なまえだって即座に図書室の閉鎖を決めていただろう。しかし、彼らには彼らなりの理由があった事を、共に過ごしたなまえだけが知っている。

なんと去年、彼らは学園祭でのバンド発表に向けて、本当に一生懸命練習をしていたらしいのだ。毎日のように仲間の家やライブハウスに集まり、ああだこうだと言い合いながら音合わせをしていた。
懸命に努力し作り上げて来たものを取り上げられるのは、誰だってツラい。実際、教師達に追い立てられ渋々退室するときだって、「クダ巻いて悪かったわね」となまえに飴やチョコレートを握らせてくるような子達なのである。

そうぽつぽつと零せば、隣で本を開いていた煉獄はパタンと本を閉じた。今度は和菓子作りの本を棚から引き出しながら、しみじみとした口調で言う。

「――不良達の居場所作り、か。やっぱりなまえ先生は優しいな」
「私みたいなのは優柔不断って言うんですよ」
「いや、みょうじ先生は優しい。先生のような人がいなければ、彼らは本当に居場所を失ってしまうだろう」

そう何度も言われると流石に照れてしまう。赤くなった顔を隠すように「こっちの本のほうが可愛いのが載ってるかも」と棚に伸ばした手を、男の無骨な手が掴んだ。
どくん。なまえの心臓が、大きな音を立てて跳ね上がる。

「――こういうのはどうだろうか、みょうじ先生」
 
心做しか近くなった男の顔を、なまえは戸惑いながら見上げる。普段よりトーンを落とした煉獄の声音が、甘い響きとなって女の鼓膜を揺らした。

 



学園祭当日、いつも静かな図書室は、華やかな衣装に身を包んだ生徒たちでごった返していた。家庭科室から持ち込んだ鏡の前で、派手なネイルを施した細い指先が器用にヘアアイロンを操っている。

「イッタイ!痛いって!!そんなに引っ張ったら俺禿げちゃうってば!!もっと優しくやってよ!!」
「あんなブッサイクな髪型でステージに立とうとしてたヤツが何言ってんの?!この後メイクも一からやり直すんだからね!!むしろ感謝して欲しいくらいよ!」

みょうじ先生助けてぇ!と涙を流す善逸に、なまえは苦笑いしながら手を振る。今年の学園祭も、ステージの最後を飾るのは宇髄先生率いる“ハイカラバンカラデモクラシー”に決まっていた。


「悔しい悔しい悔しい!!」

数日前。ジャンケンに負け、目に涙を浮かべて地団駄を踏んでいた梅に「ちょっと手伝って欲しい事があるんだけど……」と声をかけたのはなまえだ。反対側のテーブルでは、謝花兄がボーカル担当である炭治郎に歌の稽古をつけている。


「まさに適材適所だな!」

なまえの横に立っていた煉獄が、腕組みをしたまま朗らかに笑う。なまえもうんうんと頷いた。
口は悪いが、面倒見が良くてオシャレ。その場では「ふざけんな!」「絶対行かないから!」と言いつつも、当日になればこうして手を貸してくれるのだから不良というのは不思議だ。

「みんな楽しそうで良かった……」

ほっと安堵の息を吐き出せば、ぽんとあたたかな手がなまえの肩を叩く。見上げると、煉獄の大きな瞳と目が合った。

「行き場のない生徒たちに役割を与えられて良かったな!みな生き生きとした表情をしている!」
「はい!謝花さんたちもこれはこれでいい思い出になるんじゃないかなって思います」
「そうだな!それで……」

肩に置かれた煉獄の手に、微かに力が籠る。

「後夜祭のステージが始まるまで、まだまだ時間があるだろう?みょうじ先生さえ良かったら一緒に学園祭を見て回らないか?」
「え、でも……、」

皆仲良くやっているとはいえ、図書室を生徒だけにして大丈夫だろうか?そんななまえの不安を感じ取ったのだろう、煉獄はにっこりと笑いながら口を開く。

「彼らだってもうすぐ大人だ。みな熱心に活動しているし、教員が付いていなくても大丈夫だろう!」
「……そうですね!他のお店の見回り・・・もしなきゃいけないですし!」

見回り、と煉獄はなまえの言葉を繰り返す。そういう意味で言ったのでは無かったが、その輝かしい笑顔にわざわざ異を唱えるのもはばかられた。
やはり、こんなやり方では彼女には伝わらないか。
そう心の中で独りごちながらも、煉獄は笑顔を絶やさなかった。

「――では、とりあえず俺のクラスでたこ焼きでも食べるか!!」

そう言って、煉獄はなまえの背を押して歩き始める。綿密な下調べの甲斐あって、自身が担任するクラスには若い女性の好きそうな“映え”を意識した、可愛くて美味しいたこ焼きが並んでいる。

とりあえず今日の所は、この頓珍漢な同僚の胃袋を掴むことにしよう。
煉獄はそう心に決めたのだった。

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