「何を飲む?」そうキッチンから問いかければ、なまえは俺に目もくれず「コーヒー」と短く答えた。
リビングのソファーを我が物顔で占領する彼女は、いわゆる幼馴染兼恋人というやつで。学校から帰るなり「やっほー杏寿郎、Switch貸して!あ、誕生日おめでと!」と人の誕生日をまるでオマケのように付け加えながら、意気揚々と我が家に上がり込んだ。

今日は月曜日ということで、優しい両親は仕事。自慢の弟は既に一度帰宅し、今は近所の友人達と近くの公園へと遊びに出掛けている。どちらも日暮れまでは帰ってこないだろう。つまり、俺は今大好きな彼女と誕生日に家に二人きりだ。

「砂糖は?」
「いらない」
「ミルクは?」
「いらない」
「何も入れないでいいのか?少し前までは紅茶でも苦いと言っていたくせに」

キッチンの棚からインスタントコーヒーを取り出しながらそう問えば、なまえは芝居掛かった口調で「チッチッチ」と指を振る。

「女の成長って、男が考えているよりずっと早いものよ」
「.....なんの影響だ?」
「昨日観た映画!女スパイが超かっこよかったの!こう、ワイングラスをクルクル〜ってしてね...」
「いいのか?本当に淹れるぞ?今ならまだ間に合うぞ」
「だからいいってば!今日はそういう気分なの!」

ふん!と顔を背けた彼女はまたゲームの世界に旅立ってしまい、現実に一人取り残された俺は仕方なくスプーンで茶色い粉を掬う。きっと一口飲むなり「やっぱ苦い!」と放り出すのだろう。いっその事先に砂糖もミルクも入れてしまおうかと悶々としていると、おや?とある事を思い出した。

「そう言えば、今みたいな会話、去年もしたような気がするのだが」
「あーそうそう!杏寿郎が無理矢理私のくちびるを奪った日ね!」
「−ッ!?」

なまえの言葉に、俺は思わず淹れたばかりのコーヒーをひっくり返しそうになる。一年前の今日、誕生日ということで柄にもなく気が立っていた俺は、蓮っ葉な事ばかり言うなまえの口を自分の口で塞いだのだった。

「あれは...!」

君の態度があまりにも酷かったから、と言い返そうとして、やめた。ここで喧嘩を始めては、また去年の二の舞になってしまう。自分も彼女ももう十八なのだ。一つ歳を重ねた分、互いに成長すべきだと思った。

コホン。咳払いを一つし、俺は気を取り直してリビングへと向かう。色違いのマグを二つテーブルに並べ、なまえの隣へと静かに腰を下ろした。
「...今日の誕生日会、なまえも参加してくれるんだろう?」出来るだけ優しい声音でそう問いかければ、なまえは「もっちろん!」と画面を見たまま言う。

(−...あぁ、やっぱり駄目だ)

自分の気の短さに呆れつつも、するり。その白い手からゲーム機を取り上げる。なまえはと言うと、俺の予想通り「あー!」と不満げな声を上げた。

「なにすんの!」
「それはこっちの台詞だ。人の家に来ておいてゲームに夢中だなんて、君も本当に学習しないな」

またキスして欲しいのか?
さっきの仕返しとばかりに凄んでやれば、なまえの頬にカッと赤みがさす。「変態!」という言葉と同時に飛んでくる拳に備えたが、いくら待っても攻撃はやってこなかった。
どうやら怒ると手が出る癖は治ったらしい。なんだ、女の成長が早いという言葉もあながち間違ってはいないのだな。そう思いながらゲーム機の電源を落とせば、それと同時に何か柔らかな物が俺の頬に触れる。

ちゅ、と小さな音を立てたそれは、あっという間に俺の頬から離れていってしまう。何が起こったのか理解出来ないまま目をぱちくりさせていると、先程より随分近くに恋人の顔があった。「あーもー!」となまえは焦れたように叫び、ソファーの上のクッションをぼふんと俺に投げる。

「そこでフリーズしないでよ!せっかく恥ずかしいの我慢してこっちから誘ってるのに!」
「誘っ...、!?」

その言葉の意味を理解した瞬間、頭の中で思考回路が音を立てて爆ぜる。
幼馴染である期間が長かった分、恋人になってもいきなりベタベタするようなことは俺たちには無かった。時折おふざけのように手を繋いだり、ままごとのようなキスをするくらい。それ以上の事をしようとするとなまえが慌てたようにはぐらかすので、こちらとしても手が出せなかったのだ。

「なまえ自身がプレゼントという事か?!」
「言葉にしないでよ!自分でも頭おかしいって思ってるんだから!」
「おかしくない!これっぽっちもおかしくなんかないぞ!」

本心からそう答えれば、なまえは「ほんとに...?」と潤んだ瞳でこちらを見上げる。長いまつ毛に縁取られた大きな瞳には“引かれたらどうしよう”という不安が色濃く映っていた。「おかしくない」「全くおかしくない」そんな不安を一刻も早く消し去りたくて、俺は何度も同じ言葉を繰り返す。

「むしろこんなに嬉しい事はない。でも、その、無理はしていないか?」
「してない...って言ったら嘘になるけど、でも」
「でも?」
「杏寿郎だったら、いいかなって」

もじもじとスカートの裾をいじるなまえに、俺は思わず頭を抱える。恋人の可愛い度合いが年々高まっている気がして、こんな時どうしたらいいのか分からない。

「一生大切にする」
「...うん、約束だからね」
「あぁ、約束だ」

そっと差し出された細い小指に、俺も自分の小指を絡める。指切りげんまんなど必要ないくらい本気だったが、彼女が望むならなんだってしてやりたいと思った。

瞼の裏でばちばちと火花が弾けるのを感じながら、リップクリームの塗られた唇を食む。縮こまる舌を吸い上げる度に、腕の中のなまえがぴく、と小さく震えた。大丈夫だ、と言い聞かせるようにその薄い背中を撫でる。
もう去年とは違う。俺はちゃんと、君に優しく出来る。

二階の自室に移動し、そっとなまえをベッドに横たえる。白いシーツの上で真っ赤になっている彼女は、まるでショートケーキに乗った苺そのものだった。

Happy Birthday!

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