−とんとんとん。

窓を叩く小さな音に、私は一度閉じかけた目蓋をゆるゆると持ち上げた。−とんとんとん。再び部屋に響いた音にゆっくりと身体を起こし、ベッドから脚を降ろす。少し前に暖房を切った自室は、既に吐く息が白むほど冷えてしまっている。急いで肩にカーディガンを羽織り、氷細工のように冷たい錠に手を掛けた。カチャン。乾いた音を立てて開いた窓の隙間から、ぴょこんと小さな生き物が顔を出す。

「遅くなってすまない!もしや既に床に就いていただろうか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」

そう言って両手を差し出せば、小さな生き物は嬉しそうに私の胸に飛び込んでくる。ぴこぴこと小刻みに動く尖った耳が、私の冷えた顎先をこしょこしょとくすぐった。

金色に輝く柔らかな毛並みに、ふくふくとした大きな尻尾。きゅるんとした大きな瞳がとても可愛らしい。

「待ってましたよ、コン寿郎さん」

私の言葉に、腕の中の生き物がキュゥンと甘えた声で鳴いた。





コン寿郎さんと出会ったのは一週間ほど前。どっさりと雪が積もり、朝早くから道路の雪かきに駆り出された時の事だった。
寒いのは苦手だが、雪かきはもっと苦手だ。しかし、降ってすぐに雪かきをしておかないと、柔らかな雪はあっという間に氷の塊になってしまう。ガチガチに固まってしまう前に道の端へと寄せておかねばならなかった。

とはいえ、雪をすくったシャベルはとてつもなく重たい。慣れない作業にはぁはぁと息を切らしていると、裏庭の方からキュン、キュン、と動物の鳴き声が聞こえてきた。
知らないうちに迷い犬でも入り込んだのだろうか。不思議に思って行ってみると、そこにはなんと小さな狐が転げ回っていた。
雪で遊んでいるのかと思いきや、前脚を両目に当て、キュン、キュン、と悲痛な声を上げている。

イタチやタヌキが出たという話は耳にしたことがあったが、狐を見たと言う話は聞いたことがなかった。どうしようかと迷ったものの、今なお辛そうな声を上げる小狐を放っておく事も出来ない。

「だ、大丈夫...?」

恐る恐る近付いてみれば、小狐は両の眼をゴシゴシしながら「眼に何か刺さった」と言う。それは大変だと慌てて小さな手をとりよけてみたが、まぁるい瞳には何も刺さっていなかった。

「大丈夫。なんにも刺さってないですよ」

そう言って頭を撫でてやれば、小狐はしぱしぱと瞬きを繰り返す。きっと真っ白な雪に反射したお日様に何かが目に刺さったと勘違いしたのだろう。

「本当だ!何ともないな!」

何も刺さっていない事が分かると、小狐は嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。彼が雪を蹴り上げるたびに舞い上がった粉雪が小さな虹を作る。元気を取り戻した小狐に私もホッと胸を撫で下ろした。

「初対面で格好悪い所を見せてしまったな!俺の名前はコン寿郎。君は?」
「私?私はなまえです。みょうじなまえ」
「なまえか!良い名前だ!」
「コン寿郎さんのお名前も素敵ですよ」

そう褒め返せば、大きな両眼がきゅっと糸のように細まる。嬉しいのだろう、大きなの尻尾がぶんぶんと左右に振れた。柔らかな肉球の小さな手が、きゅっと私の指を掴む。

「助けて貰った礼に恩返しがしたい!何か困っていることは無いか?」
「そんな!いいんですよ、お礼なんて」
「そう言わず!何の礼もせずに帰っては、俺が父上に怒られてしまう!」

そうまで言われてしまうと、何も願わない訳にもいかない。迷いに迷った末に私が口にしたのは「...何かあったかい物が欲しいかな」だった。

「あったかいもの?」
「はい。寒いのが苦手なので、何かあったかい物があると嬉しいです」
「...そうか!承知した!」

そう言ってコン寿郎さんはにっこりと微笑む。「また夜に訪ねるから待っていていくれ!」と言い残し、ぴょんと垣根を跳び越えて行ってしまった。

表の方から両親が私を呼ぶ声がする。まっさらな雪に残った足跡を見つめながら、私は「すぐ行く!」と両親に向かって叫んだ。

礼儀正しい小狐は、一体どんなあったかい物を持ってきてくれるのだろう。白銅貨で買った毛糸の手袋だろうか。
そう思うと、苦手な雪かきももう少しだけ頑張れそうだった。





その日の夜、コン寿郎さんは再び私の前に現れた。
−とんとんとん、という音に急いで窓を開けると、昼間の元気は何処へやら、耳も尻尾もしょんぼりと下げたコン寿郎さんが悲しそうな顔で立っている。
なんでも、秋の間に大切に仕舞っておいたお芋が今回の大雪ですっかり埋まってしまったらしい。

「とても甘い、美味い芋があったんだ。あの芋を食べればなまえの寒さも吹き飛ぶと思ったのだが...」

「不甲斐なし」と自分を責めるコン寿郎さんを、私はまぁまぁと宥める。口には出さないが、相手はただの小狐だ。元よりお礼など期待していなかった。

「気にしてませんよ。それよりこんなに寒い中、雪を掘り起こして寒かったでしょう。お手々がかじかんでいませんか?」
「なんてことは無い!俺は寒さには強い方だ!」

ほら!と差し出された両手はぬいぐるみのように柔らかく、驚くほどあたたかい。「あぁ、良かった。可愛いお手々が冷えたら大変ですから」という私の言葉に、コン寿郎さんはぽっと頬を赤らめた。そっと手を引っ込め、もじもじと尻尾を握り締める。

「......俺では、駄目だろうか」
「うん?」
「あたたかい物は持ってこられなかったが、...その、俺を抱くと少しはあたたかい、かもしれない」

コン寿郎さんの申し出に、私はきょとんと彼を見つめる。
その日から、彼は毎晩私の部屋を訪ねて来るようになった。





「ガッカリしただろうか」

コン寿郎さんの言葉に、私は笑って首を横に振る。不安げに眉を下げる小狐をベッドへと下ろすと、自分もその横に身体を横たえた。
あの日から、コン寿郎さんは、毎晩私と共に眠っている。あたたかな身体はまさに天然の湯たんぽだ。

「ガッカリなんてとんでもない。コン寿郎さんおかげで、今年の冬はいつになく快適ですよ」
「本当か?俺に気を使って嘘を言ってはいないか?」
「言ってませんとも。むしろ、何か物を貰うよりずっとずっと嬉しいです」

さぁどうぞ、と腕を差し出せば、コン寿郎さんは安心したようにそこに頭を乗せる。毛布と布団を引き寄せ「おやすみなさい」と私がふわふわの身体を抱き締めれば「おやすみ」と頬に小さく口付けられた。

ふわふわの毛並みに顔を埋めれば、そこは干したてのお布団のような匂いがする。とくん、とくん、と規則正しく聞こえてくる鼓動がどこまでも耳に心地良かった。
あたたかで、柔らかくて、幸せだ。


その日、私は久しぶりに夢を見た。コン寿郎さんが実は地域のお狐様で、私の事を是非嫁に欲しいと言うのだ。
黒の紋付袴を着たコン寿郎さんはそれはもうイケメンで、気付けば私も白無垢を身に纏っていた。

コン寿郎さんの唇がゆっくりと私のそれに重なる。受け止めた口付けは、甘い甘いお芋の味がした。



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