あかいはる
その日は休日ということもあり、午前中だけの練習だった。春らしいどこか霞みを含んだ空の下、彼らは相変わらず汗を流す。ようやくすべてのメニューをこなした後スポーツドリンクで喉を潤す彼らに、まるで今思いついたかのように呟いたのは幸村であった。
「天気がいいからお花見でもしたいな」
唐突に告げられた発言を受けて、部員たちはそういえば今は桜の季節であったと思い出す。
部活が終わってしまえば特にやることのない彼らは二つ返事でその提案を了承し、ぞろぞろと近くの公園へと向かった。
「いいものですね、桜は」
「なんかこう眠くなるのう」
他愛もない話を交わしながら満開の桜並木を練り歩く。地域で一番広い公園だからか、あちらこちらで宴会が開かれていた。
その中に一本だけ、他の桜の木と離れたところにぽつりと植えられているものがある。柳は、なんとなくその桜を見つめていた。
「どうしたんすか柳先輩」
「いや、少し……」
少し、こういう風な桜に思い出があったような気がする。立ち尽くしたままの柳を不審に思ったのか切原が声を掛ける。そして柳が応えようとしたまさにその時、かつての記憶が一度に押し寄せてきたのだった。不思議なほど、鮮明に。
―――――
柳蓮二は傷心だった。見知らぬ街に越してきたばかりということもあったが、親友と呼べるべき人物と満足に話もできないまま別れてしまったからだ。転校は親の事情だから仕方ない。しかし、その事実をちゃんと親友に伝えきれなかったことに落ち込んでいた。
自宅で本を読んでいれば気が紛れたが、時折ため息を吐きたくなる。見兼ねた母親に気分転換を勧められて近くの公園へとやってきたのだった。
ふと前方の小高い丘の上、一本だけぽつりと桜の木がある。それもずい分見頃の桜である。なんとなく興味をそそられて近づいていくと、その根元で何かがうごめいている。子供だ。
「何を、しているんだ?」
なるべく優しく声を掛けたつもりであったが、その子供は柳の気配に気が付かなかったらしく肩をびくりと震わせた。
「べ、別に!」
震えているのは肩だけではなかった。泣いていたのだろうか、服の袖口で顔を擦ったり、しゃくり上げたりしている。
よくよく見ると、右手に赤いシャベルを持っている。小さな両手は泥だらけだ。どうやら何かを埋めるべく桜の木の根元を掘り返していたらしい。
「桜の木の下には、という話を知っているか?」
彼の目の高さに合わせて柳もしゃがみ込む。いかにもやんちゃそうな少年だった。くりっとした大きな目が涙で滲んでいる。その瞳で柳の姿を捉えたあと、首を左右に振った。
「桜の木の下に、死体が埋まっているという話だ」
柳の言葉に少年は瞳をまたたかせ、とっさに左手で何かを摘み上げた。
「死んだのか」
「うん」
それは干からびて赤黒くなった一匹のザリガニであった。それを見て柳は、この子供が死んだザリガニを埋めるために桜の木の根元を掘っているのだと理解した。
「せっかく見つけたのにすぐ死んじまったんだ」
「そうか。残念だったな」
いつの間にか、彼の目元が乾いているのに柳は気が付いた。涙の跡が渇いて頬にこびりついている。
「なあ、さっきの」
まるで内緒話をするように、少年は声を潜めた。他に人影は見当たらないのだが。
「……死体って、マジ?」
真剣な表情である。柳をしっかりと見つめた目の奥に恐怖の色が浮かんでいる。
「さあ、どうだろう」
あえて、柳は笑って曖昧に濁した。付け足すならば少し意地悪をしてみたくなったのである。恐がっている彼がかわいかったのだ。
それから二人でザリガニの墓を作ってやり、五時のチャイムの音で自然に解散した。
少年は桜の木の下の話をあれ以上尋ねてはこなかった。
柳は引っ越して初めて出来た思い出を胸に、軽い足取りで帰宅したのだった。
―――――
「やーなーぎ先輩!」
黙りこくって自分の世界に浸り切っていた柳は、後輩の呼ぶ声で我に返った。何回呼んだと思ってるんスか、と切原は頬を膨らませた。
「あ!」
突然何かを思い出したように切原が声を上げる。
「そういえば前にこんな感じの桜の下に死んだザリガニ埋めようとしてたんスよ」
「……それは本当か」
「まあ。小学校の近くの公園でなんすけど」
それを聞いて柳はわずかに声を上ずらせた。奇縁とはこのようなことを言うのだろうか、不思議な巡り合わせがあるものである。
「そん時に知らない人から何か超怖い話聞かされて、しばらくそこに近寄んなかった気がするんスよ。なんだったっけなあ」
「さあ、何だろうな」
難しい顔をして考え込む切原を横目でちらりと見て、柳は人知れずくすりと笑った。
その人が実は自分だなんて言っても彼はとても信じないだろう。だからこの思い出は自分だけのためにそっとしまっておくのだ。
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2010/09/18あかいはる/ジャパハリネット
青春といえばジャパハリ!