「お疲れさまですー」
「苗字ちゃんお疲れ〜」
レジに立っていた二人に声を掛けて事務所に入る。ロッカーから赤い制服を取り出して着替えを済まし、髪の毛も下のほうで一つにまとめた。勤怠を打って時間を確認すれば、あと数分でバイトが始まる時間だった。今日も22時までバイトだ。4時間なんてあっという間かもしれないけれど、やはりバイトだと長く感じてしまう。早く終わらないかなぁ、と考えながら事務所を後にした。
「苗字ちゃん苗字ちゃん」
一緒に入っている一つ年上の男の先輩が私の名前を呼ぶ。比較的この時間帯はお客さんもあまり来なくて暇である。よく一緒に入っている人達とお喋りをしながらできるので、仕事をちゃんと熟せば何も言われないし楽しいバイトだ。
「どうしたんですかー」
「今度先輩がご飯行こうって。
初任給で奢ってくれるらしいよー」
「ホントですか?やった!」
先輩とはつい最近辞めてしまった、今年から社会人のあの人の事だろう。年も近かかったのでよくご飯や遊びに連れて行ってもらっていた。バイトを辞めてからは、たまにメッセージがくるくらいでまだ一度も会えていなかった。まぁ、二ヶ月くらい前までは一緒にバイトをしていたんだけど。
「焼肉行こうぜ!肉!」
「いいですね〜、楽しみにしてます!」
そんな感じでいつものようにバイトをこなし、気が付けばもう上がりの時間だった。深夜の人と交代をして、一緒に入っていた先輩とバイト先を出る。くだらない事を話しながら途中まで一緒に帰るのがいつもの日課だった。
「名前ちゃん」
そんないつもの日常が今日だけは違った。バイト先の前に蛍くんがいたのだ。彼はヘッドフォンを首にかけて、手をポケットに入れながら私達の前に現れる。
「蛍くん?どうしたの?」
「迎えに来た。帰るよ」
確かに今日はバイトだと言っていたし、バイト先の場所もなんとなく教えてはいたのだけれども、でもやはり突然の事に驚いてしまう。蛍くんは隣の先輩をちらっと見てから、急かすように私を見た。
「なに、名前ちゃんの彼氏?」
「え、友達ですよ」
「へぇ〜」
ニヤニヤと笑っている先輩はこの状況を楽しんでいるようだった。あの人がいたら絶対もっとからかわれると思うけど。
「じゃあ私はこれで!お疲れ様でした」
「おうー、また後で連絡するわ」
「はい!
…蛍くん帰ろう?」
このままこうしていても仕方がない。先輩と別れて蛍くんの隣に並ぶ。先輩に手を振って私達は歩き出した。
「びっくりしちゃった。蛍くんどうしたの?」
「べつに。名前ちゃんがちゃんとバイトできてるのか心配になっただけ」
「できてるよ!
来るなら言ってくれればいいのに」
夜も遅いし、彼も疲れているだろうに。なんだか少し申し訳ない気持ちになってしまった。
「こんな夜遅くまで危ないでしょ」
「でもいつもの事だから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよばか。」
確かに終わる時間は遅いけれど、バイト先のコンビニから家まではそんなに遠くない。歩いて10分くらいだ。一年以上あのバイト先で働いているけれど、特に何もないし本当に大丈夫だと思う。
「さっきの人は先輩?」
「ああ、うん。そうだよ」
「ふーん。仲良いの」
「たまにご飯とかは行くけど…」
「二人で?」
「え。…他の人も一緒に何人かでだけど」
「そう」
いつの間にかもうマンションが見えてきた。ここから蛍くん電車に乗って家に帰らなければいけない。
「蛍くん、駅まで一緒に行くよ」
「いいよ別に」
「いいから!」
「それじゃあ意味ないでしょ。
名前ちゃんバイトで疲れてるんだから早く休みなよ」
正直に言うと、彼が何をしたいのかが分からなかった。これだけのためにここまで来たのかと思ってしまう。これだけなのも、なんだか寂しい。
「蛍くんお腹空いてる?」
「なんで」
「家でご飯食べようよ」
バイトが終わってお腹も空いているし、ご飯を食べながら話もできる。ちょうど良いと思った。そんな私の言葉に、彼はほとほと呆れたようにため息をつく。私にも理由はなんとなく分かった。
「名前ちゃんはバカですか。」
「もちろん何もしないでね」
「しないわけないでしょ」
「蛍くんは私の嫌がる事はしないでしょ?」
やけに得意げな私を見て、彼は先ほどよりも大きく息を吐く。私も彼の事を言えないくらい策士かもしれない。
「はいはい、わかったよ」
「蛍くんは何食べたい?
冷蔵庫に何があったかなぁ」
マンションに入りながら今日の献立を考える。今朝見た冷蔵庫の中身を思い出しながら。
蛍くんは基本的に私の嫌がる事はしない。この間の事はまた別の話だけれども。私はそんな優しい蛍くんが好きだ。これが友愛なのか、はたまた恋愛としてなのかは私にはまだ分からなかった。でも彼と一緒にいるのはとっても心地が良いんだ。