「いってらっしゃーい」
「おー」
遠くから聞こえる母親の声に適当に返事をして、家の扉を開く。もわっとする空気が気持ち悪い。まだ午前中だというのに、相変わらず外は暑い。
「…あちぃ」
夏の暑さに苛立ちながら、自転車の鍵を回しカゴに鞄を放り投げる。自転車に乗ればまだ少しだけ風が涼しい。でも暑いことには変わらないわけで。きっと教室はクーラーがかかっていて涼しいだろう。早く学校に着いてしまいたい。自転車なら学校なんてあっという間だ。あともう少しというところで、知っているような背中を見つけた。珍しく染めていない黒髪に、華奢な身体。スカートから伸びる足は、夏には似つかわしいほどに白い。もしかしたら、そんな気がして少しだけ自転車の速度を速める。
「苗字?」
「…ん?」
振り向いた女は、やはり自分が思う彼女だった。黒いイヤホンををして、少し驚いたように目を見開く。
「わっ、二口くんだ。おはよー」
「ん、はよ」
自転車からおりて、何気なく苗字の隣に並ぶ。彼女は徒歩だし、そのまま行ってしまおうかとも思ったけれど、結局行く場所は同じなのだ。一緒に行くのも悪くない、なんて。
「今日もあついね〜」
「ほんとなー。夏休みまで学校行きたくねぇし」
たわいもない話をしながら、暑いコンクリートの上を歩く。どうして夏休みまで学校に行かなければならないのか。去年までは夏休みも毎日のように行っていたわけだけれど、それとこれとは話が違う。どうせなら、ほんと、部活に行きたい。バレーがしたい。
「部活とか顔出さなくていいの?」
「たまに行くよ。でも一応引退してるからな」
「そうだよねぇ。
二口くんスポーツ推薦でしょ?高校は」
「あれ、なんで知ってんの」
「友達から聞いた」
どうやら俺がスポーツ推薦で高校へ行くということは、結構広まっているらしい。まぁいいけど。それよりこの暑さ、どうにかならないのか。溶けてしまいそうだ。
「苗字は普通に受験すんの?」
「うん、そうだよ」
「大変だなー」
「ぜんぜん、そう思ってないでしょ」
少しだけ口を尖らせて眉を寄せる彼女が面白くて、思わず笑ってしまう。俺は正直、もう学校も決まっているし、受験もないのと同じだ。その分バレーを頑張らなくちゃいけないのだけど。スポーツ推薦だなんて、よく羨ましがられるのも事実。でも、バレーで推薦されて学校に行けるなんて、それがどんなに大変で嬉しい事か。それを知らないで言われるなんて、本当ムカつく。
「だってよくわかんねーし」
「二口くんはバレー頑張ってるんだもんね。私も勉強頑張ろ」
そう言って笑った彼女に、少しだけ胸が騒ついた。なんだ、分かってんじゃん。
「俺、バレー好きだからさ。」
「うん」
「苗字も勉強がんばれば?」
くしゃっと控えめに撫でた彼女の頭は思ったよりも小さくて、俺たちとは違うんだなって、そう思った。それにしても、今日も暑いな。