試験が終わると夏季休暇がやってきた。
一年前のこの時期は久しぶりに日本へ帰って、知りたい事をたくさん教えてもらえたっけ。そういえば、ふたりには話しておかないといけない。まだ少し先の未来が私の知っている物と変わっていなければ、必ずあの人と向かい合わなければいけないのだから。お祖母様が言っていた通り、私のこの力にも目をつけられてしまうかもしれない。
「レギュラス」
実家の自室で机を挟んで真向かいに座る彼の名前を呼ぶと、レギュラスはその真っ黒な瞳を目の前の本へ向けたまま空返事をした。どうやら今読んでいる本は、相当面白いらしい。表紙にスニッチが描かれているから、恐らくクィディッチの本だろうか。
「それ、面白い?」
「うん。ものすごく面白い」
昔からレギュラスは箒に乗るのがとても上手かった。私はあまり箒に乗るのが得意でないので、一年生の時にあった箒の授業はすごく憂鬱だったし、今でも上手く乗りこなす事なんて出来ない。そういえばレギュラスは、二年生になったらシーカーになるんだと思う。前の記憶が正しければ、彼はスラグホーン先生にとても褒められていたから。
「クィディッチ、やるの?」
私のその言葉にやっと顔を上げたレギュラスは、その大きな瞳を何度か瞬きして、キョトンというような表情を作る。この表情は私が好きなものだった。とてもかわいい。それを言ってしまうと、彼は拗ねたように怒ってしまうのだけれども。
「…僕が?」
「うん。箒に乗るの上手いし、好きでしょ?」
「別に普通だよ。名前が特別下手なだけ」
「それは言わなくていいの」
私はレギュラスが箒に乗っている姿を見るのが好きだ。その姿は本当に楽しそうで、そんなレギュラスを見るのが好きだから。
「レギュラスにはシーカーが似合うと思う」
「…シーカー?」
「うん。クィディッチにあんまり興味ないけど、レギュラスがやる時は必ず観に行きたいって思う」
「名前はさ、自分で乗るのは下手くそだけど、誰かが乗っているのを見てる時は楽しそうだよね」
「そう?」
「うん、そう。」
それはきっとレギュラスだから。特に興味がないクィディッチだって、やる人が変われば私の感情も変わる。箒だって、全部同じ。
「箒に乗れなくったっていいもん。レギュラスに乗せてもらうから」
「はいはい、いつでもいいよ」
呆れたように笑う彼に、思わず私は拗ねたような態度を取ってしまう。これではどちらが年上か分からない。
ああ、また話す機会を逃してしまった。本当はシリウスも呼んで、ふたりに話さなきゃいけないのに。まだまだ先延ばしにしたい。もしかしたら、否、優しい彼らはそんな事ないかもしれないけれど、私のこの力の事を話したら嫌われてしまうかもしれないから。私は昔からずっと、まだまだ臆病なままだ。
「名前?」
「どうしたのレギュラス」
「難しい顔してる」
「…そんな事ないよ」
いつだって目敏いレギュラスは、本当によく人の変化に気付いてしまう。そしてたまに、大胆な行動をとる事があったんだ。
「散歩、しに行こうよ」
「え?…ちょっ、レギュラス!」
私の掌を優しく握ると、そのまま部屋を飛び出して玄関へと向かう。急かされるように靴を履くと、目の前には見慣れた少し汚れた箒の姿。二年前にお父さんに買ったてもらった私の箒だ。そんなに使った事はないのに、私のせいで汚れてしまっている。
「後ろに乗って」
箒に跨いだレギュラスは後ろを指差しながら、私にその箒へ乗るように促す。今の私は先程の彼のように、キョトンとした顔をしているんだろう。決して可愛くはないんだけれど。そして言われるがままに箒を跨ぐ。
「ちゃんと捕まってないと落ちちゃうからね」
その言葉に怖くなってしまい、ギュッとレギュラスにしがみついた。落ちるなんて、冗談じゃない。今は杖も持っていないのだから。
「レギュラス、ゆっくりだからね?早くしちゃ…っ!」
私の言葉を聞き終わらないままに、レギュラスの操縦する箒は大空へと勢いよく飛び出した。この浮遊感が、私は苦手なのだ。
きゅっと目を瞑り、彼の洋服を強く握る。頬に当たる生温い風と、その風のせいで割れた前髪が少しだけ憎い。
「ほら、とっても綺麗だ」
止まったらしい箒と、レギュラスの声に恐る恐る目を開けてみれば、目の前に広がるのは綺麗な赤。怖くて下なんか向けないけれども、目の前に広がる景色だけは自分で確認することができた。思わず漏れる感嘆の声に、レギュラスが小さく笑う声が聞こえる。
「こういう景色が見れるから僕は好きなんだ。1人にもなれるしね」
そう言って私の方を振り向きながら笑ったレギュラスの顔が、私はどうしようもなく好きだ。
まだもう少しだけ待ってほしい。きっとすぐに話すから。誰に言い訳をするのでもなく、私は心の中でそう呟いた。