「…名前」
こんなにも自分の名前が呼ばれた事を疑問に思うのは、そう無いことだろう。
私を胸の中に閉じ込めながら、彼は私の名前を呟いた。どうして今、私の名前を?まさかこの白い猫が私だと、彼は分かっているのだろうか。そんな筈が無い。私がアニメーガスだと、彼が分かる筈が無い。ずっとそう思っていたのに。
「人間に、…名前に戻ってくれるかい?」
もし、仮にだ。彼が私をミアだと思っているとして、私は自ら彼に正解を差し出す様な真似はしない。意地でも白を切る。私がミアだと、猫のアニメーガスだと、誰にも知られてはいけない。特に、今此処にいる彼には。
私はシリウス達がアニメーガスになる前の繋ぎ。彼らが来るまで、少しだけリーマスの傍にいられればそれでよかった。
「まぁ、そう簡単には姿を見せてくれないか…」
もし私が、彼を人狼だと知っていたら。そして、満月の日にそんな彼の傍にいたら。彼は私の事をどう思うだろうか。私を、嫌うのでは無いだろうか。きっとリーマスは、私と距離を置くのだ。今よりももっと。私は彼に嫌われたくはない。
「しょうがない。…僕は今日1日君と一緒にいる事にするよ。そして名前に会う。」
開いた口が塞がらないとはまさにこの事だ。私を抱いたまま彼は人間の私に会う事は出来ないというのに。
「もし名前がいなければ、ミア、君が名前という事になるね」
真っ直ぐに私を見つめる彼の瞳を見て、私はもう隠すことは出来ないのだと悟った。もう彼に、嘘はつけない。
私は彼の瞳を見つめながら、一度だけ鳴き声を上げる。リーマスには私の言いたい事が伝わったのだろか。私を抱きしめる彼の腕の力が少し弱まった。
このまま此処から逃げ帰ろう。そして私は、もう二度と此処へは来ない。もうすぐシリウス達にも、彼が人狼だということが分かるはずだから。しかし彼らがアニメーガスを成功させるのは、小説通りならば後2年後だ。それまでリーマスを1人にさせる?こんなにも小さな子猫が近くにいたって何も変わらないのかもしれない。ただの気休めにしかならないのかもしれない。だけれど、その2年の間、私は彼の傍にいたい。それに、このまま私が何も知らないとしらばくれたとしよう。きっと其処で私とリーマスの関係は終わりだ。表面上はまた前の様に仲良くなれたとしても、本当にはなれない。ならばもう、選択肢は一つしかない。
私はリーマスの腕の中から抜け出し、彼と少し距離を開ける。お互いが正面を向く形になった。そして、私は人の姿へと戻る。名前・フラールへと。
「……っ」
俯いていた視線を上げれば、当たり前なのだが其処にはリーマスがいて、驚いた様な、酷く泣きそうな表情をしていた。まるで信じられない物を見るかのような顔だ。彼もきっと、私なんだと確信していたのでは無いのかもしれない。”ミアは名前・フラールなのかもしれない”と思っていただけなのだろう。それが真実だったわけだが。
「…本当に、君は…名前なのか?」
沈黙を破ったのは、震えるリーマスの声だった。
「そう。…私、アニメーガスなの」
「アニメーガス?」
「白い猫のアニメーガス。」
視線を落とした彼は、何を話そうか、迷っている様子だった。
「私、リーマスが人狼だって知ってた」
「…どうして?」
「リーマスが医務室へ行っていたり、両親のお見舞いだといなくなるのは決まって満月の夜だっから。
それに、満月の前はとても具合が悪そうで、満月の後には新しい傷が増えてた」
貴方が小説の中の登場人物だったから。本当の事は、どうしても言えない。
「君は、本当に優秀な魔女だね」
自嘲するように笑った彼は、俯いていた視線をまた私に向ける。
「…本当に優秀な魔女だったら、こんな所にはいないよ」
本当に優秀な魔女ならば、登録もしないアニメーガスにはならないし、こんな危険な場所には来ないだろうから。
先ほどの私の言葉に彼は顔を歪め、捲したてる様に大きな声を上げる。
「そうだ…僕が人狼だと分かっていながら、どうして君はこんな所にいるんだ!
君なら人狼がどんなに危険で卑しい存在なのか分かっているだろう?
もし僕に噛まれたら、君も人狼になるんだ」
私は、彼にそんな事を言わせたいわけではなかった。リーマスにそんな事を言わせてしまった自分が、本当に無力で、吐き気がする程嫌になる。
「…リーマス、貴方がそんな事を言わないで」
止まる事を知らない涙が、私の頬を伝う。泣きたいのは、きっとリーマスのほうなのに。
「私は、貴方が狼になる日に、自分で自分を傷つけてしまう夜に、リーマスを独りにしたくなかった。
きっと気休めにしかならないかもしれないけれど、少しでも貴方の傍にいたかったの」
彼の頬に、一筋の綺麗な涙が伝う。私は彼に近づいて、それを自分の指で拭った。
「貴方を傷つけてしまってごめんなさい…」
私が彼とこの先も友達で居られるようにするには、どうしたらいいのだろう。
「お願い、…私を嫌いにならないで…っ」
それは私の、ただの我儘だ。