text | ナノ

ビールのグラスを傾けて、ゴクゴクと中身を飲み干す彼は、私達を見ながら呆れたように溜息を吐いた。

「それで、何でこんなに報告が遅いんだよ。お前らいつから付き合ってんだ」

私の隣には蛍くんんがいて、斜め前の席には夜久さんが枝豆を食べている。そして私の目の前には不機嫌そうにおつまみをつつく黒尾さんがいた。そんな黒尾さんをチラリと見た蛍くんは、面倒くさそうな態度をまるで隠したりしない。

「黒尾さんも忙しいかなぁ、って思ってたんです」

「いやいや、そういうのいいからな?」

「僕たちの優しさじゃないですか」

「お前に優しさはない!」

「黒尾、お前本当に面倒くさい」

「そうですよ黒尾さん。夜久さんを見習ってください」

「苗字ちゃん?なんか月島に似てきてない?」

蛍くんといざこざがあったあの日から、もうひと月が経とうとしていた。そろそろ季節は夏本番だ。黒尾さんに報告しようとは思ってはいたけれど、新社会人である彼は忙しい時期だろうから私達の事に時間を割いてもらうのも申し訳がないし、タイミングが無かったというのが本音である。

「はぁ、俺はどんだけお前らを応援してたと思うんだ。…まぁでもよかったな。おめでとう」

どこか嬉しそうに笑う黒尾さんは、やはりどこまでもお節介で、私の大好きな先輩だ。

「黒尾さん、ありがとうございます」

「やけに素直じゃん?ツッキーも苗字ちゃんを見習え」

こんな頼りになる先輩を持てて私は幸せだろう。黒尾さんには絶対に言えないけどね。
黒尾さんたちへの報告はだいぶ遅くなってしまったわけだが、私達がまず真っ先に報告をしたのはもちろん山口くんだ。朝一で宮城へと帰ってしまったという彼に直接会って話す事は出来なかったけれども、私達の事をしっかりと報告させてもらった。

「ツッキー!名前ちゃんおめでとう!」

電話の向こうで、彼はいつものように眉根を下げて笑っているであろう声色で、私にそう言ってくれた。嬉しそうに笑う彼に、私は何度もお礼を言ったのを今でも覚えている。私の背中を押してくれたのは間違いなく彼であって、山口くんには感謝してもしきれないだろう。

珍しくほろ酔いの黒尾さんと、呆れ顔の夜久さんと別れた私達は人通りの少ない星空の下を2人で肩を並べて歩く。蛍くんとの関係は、付き合ってからもそんなに大きく変わる事もなく、ただ一緒にいる時間が格段と増えたのは確かだ。この自然な関係が私にはとても心地よかった。それは、もちろん相手が彼だからなのだろうけれども。

「ねぇ、名前ちゃん。あの日の事覚えてる?名前ちゃんが泣いた日」

いつの間にか、もう時刻は0時を回っていて、今日でちょうど私達が付き合ってひと月だ。

「あの日の事は忘れてください…」

「嫌だね。一生忘れない」

「ああー、もう恥ずかしい」

蛍くんの前で泣いた事なんてほとんどない私は、なぜあの時にあんな風に泣いてしまったのかものすごく後悔をしている。理由が理由なだけあって、恥ずかしくて死にそうだ。

「まさか名前ちゃんが泣くなんてね。思ってもみなかった」

私はどちらかといえば、ひとりで誰にも見られないところでひっそりと泣くタイプだろうか。人前で泣く事なんて、ほとんどない。

「あれ、わざとなんだよね」

「あれ?」

「そう。名前ちゃんに嫉妬してほしくて、わざと他の子と仲良くしてた」

まさかの彼の発言に、私は開いた口が塞がらない。蛍くんがそんな事をするタイプだとは思ってもみないからだ。

「泣かせてごめん」

私の手をぎゅっと握った蛍くんは、月明かりに照らされて、少し悲しそうな顔をしている気がする。だけどそんな表情もつかの間、すぐにいつものように得意げに薄く笑った。

「でも名前ちゃんの泣き顔も見れたし、こういう結果にもなれたし、後悔なんてしてないけどね」

「蛍くんが恐ろしい…」

「何を今さら。そんな僕を好きになったのは名前ちゃんでしょ?」

そんな恥ずかしい事をサラリと言ってしまう彼に、私はやっぱり一生勝てないんだろう。だからちょっと、私も反撃したくなってみたのだ。大好きな彼に、私の思いを伝えたい。

「うん、だいすき!」

少し驚いた顔をした彼の胸に、私は勢いよく飛び込んだ。



運命には逆らえない fin.