小説 | ナノ


「なーみかわっ」

「………」

「ちょっと、シカト?」

「………」

「もしもーし、浪川聞いてるー?」

「…………姓、」


ふふ、怒ってる怒ってる。私は浪川の背後で密かにほくそ笑んだ。
さらりとした感触が、私の指先全体を包み込んでいる。

これまでの経験上、浪川が怒声をあげるまで、あと二秒。


「……何度言ったらわかるんだよ!俺の髪に触るなあああ!!!」










怒り狂った浪川と校内で追いかけっこを繰り広げていたところに、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴る。


「はあ、はあ…ったくお前は…俺の髪いじって何が…楽しいんだよ…、」

「っへへ…浪川の髪、というより…浪川をいじって…楽しんでるんだけど、ね」

「何だと…?」

「いえ何でも」


私たちはお互いに肩を上下させつつ睨み合った。もっとも私は浪川をからかっているだけなので、本気なのは浪川だけなのだけれど。


「とにかく、次に俺の髪をどうにかしようもんなら、女だろうと容赦はしねぇからな!」

「どうにかってあんたね…」


私は浪川の剣幕に思わず呆れを覚える。後ろから少し髪を手ですいただけなのに、ここまで言われなきゃならないなんて。本当に浪川の、自分の髪に対する敏感さは筋金入りだ。



『その髪型ってどうなってるの?』

『ばか、やめっ…触るな!!!』


初めて浪川の髪を触った日のことを思い出す。顔を真っ赤にして飛び退かれて、私は心底驚いたっけ。
そのときは罪悪感も多少はあったというのに、いつの間にやら、浪川をわざと怒らせて楽しむのが私の習慣になってしまった。部活中はポーカーフェイスな浪川の意外な一面に、ハマってしまったのかもしれない。


「おー、お前ら何してんの」

「あ、湾田」


気がつくと廊下には、自分の掃除場所に向かう生徒たちの姿が見え始めていた。湾田もその中の一人で、対峙している私たちを不思議に思ったらしい。


「ちょっと鬼ごっこをね」

「違う!こいつが…」

「あーハイハイわかったわかった」

「湾田ァ…!」


流石はチームメイト、キャプテンの扱い方を熟知している。湾田は怒りに震える浪川を適当にあしらうと、今日から自分たちの掃除場所が体育館になったことを告げて、


「ほんじゃまあ、行くか」


……言いながら、浪川の前髪をもふもふと弄んだ。
なんて素早い動き、ニヤリと笑う湾田に感心しつつ浪川を見ると、案の定その目には涙が溜まっていて。


「だ、か、ら………触るなああああああ!!!」










「へえ、キャプテンにはそんな弱点があるんですか」

「浪川には私が言ったって内緒だよ?」

「あはは、わかってますよ」


その日の部活終了後、ボールを片付けながら昼間の浪川のことでつい思い出し笑いをしてしまったのを、喜峰くんに見られてしまった。観念してわけを話すと、喜峰くんも可笑しそうに笑う。フィールド上の浪川とのギャップに意表を突かれたみたいだ。


「でも俺、恐ろしくて触る気になんてなれませんよ」

「わかるよ、私も最初は怖かったもん…今じゃ日課みたいなもんだけどさ」

「日課って……名さんって意外と勇者なんですね」

「ふふ、まあね」


そこでまた喜峰くんと笑い合う。当のキャプテンはもう着替えに行ったのだろうか、まさか自分が後輩とマネージャーの話のネタにされているなんて思ってもいないんだろうなあ。



「よーし、片付け終了だね!」

「お疲れ様でした…手、洗いに行きます?」

「うん、行こ行こ」


喜峰くんと連れ立ち、私はグラウンドの端の水道へと向かった。
蛇口をひねると、砂ぼこりでパサパサになった手のひらを、冷たい水が滑り落ちていく。


「そういえば…」

「ん?」


早々に手を洗い終えた喜峰くんにタオルを渡しつつ、急に切り出された話に耳を傾ける。


「名さんの髪って、綺麗、ですよね」

「…え?いきなりどうしたの」

「いや、その……ふと、思ったので」

「は、はあ…ありがと、う」


喜峰くんが目を泳がせるので、私までしどろもどろになってしまう。なにこの感染。
私は急いで手を洗うと、水を切るのも忘れて、喜峰くんに告げた。


「……も、戻ろうか」

「はい、あ、タオル…どうぞ」

「…ごめん、ありがとう」


貸したタオルを再び手に取る。戻ろうとは言ったものの、なぜか足が動かない。何か言われたわけでもないのに、喜峰くんが私を引き留めているような、そんな気がして。


「……あの」

「…ん?」

「名さんは、キャプテンとは違いますよね」

「…えっと、どういう意味?」


手を拭きながら、喜峰くんの言葉に首をかしげる。
てっきり説明してもらえると思ったのだけれど、喜峰くんは、違う方法で、私にその真意を伝えてきた。


「っ……!」

「……柔らかい、ですね」


私の髪に触れる指。もちろん喜峰くんのものだとわかっているはずなのに、なぜか、心ここにあらずの私。


「か、かなり傷んでるでしょ?」

「いえ……そんなこと、ないです」

「あの、よ、喜峰くん、」

「ずっと、触ってたい……駄目ですか?」

「……!」


夕日に照らされて陰影を帯びた喜峰くんの顔。一年下の後輩とは思えないくらいに、その表情は大人びて見える。

だけど、私は………


「名さん、」


喜峰くんが何か言いかけた、そのときだった。





「触るな」





聞き慣れたその台詞が、私のすぐ後ろで放たれた。

え、と振り向く暇もない。気づけば喜峰くんの手はそこにはなくて、代わりに私は腕を強く引っ張られている。

誰に?


「な、浪川…?」


なんと、とっくに着替えを済ませて帰ったと思っていた浪川その人が、ユニフォーム姿のまま私の前をずんずんと歩いていた。


「戻るのが遅いから心配した」

「え、」


その声に、心臓がどきりと鳴る。
キャプテンマークがよく似合う覇気のある浪川、髪を触られて顔を真っ赤にしている浪川。どちらの浪川からも想像のつかないような、あまりにも深い、そしてどこか冷たい音色だったから。


二つの靴音だけが耳に届く。残っていた一年生も既に引き上げたらしく、グラウンドにはもう誰もいない。
背番号の「10」を見つめながら、今この瞬間浪川が振り返ったらどうしよう、わけもなくそんなことを思った。



「……お前、喜峰に髪触られて嬉しかった?」

「え?」

「どうなんだよ」


浪川の唐突な質問に、再び鼓動がおかしなリズムを刻む。なんでそんなことを聞くんだろう、胸にひやりとしたものが落ちる気がした。


「……別に…嬉しいとか、そういうのは…てゆか、たかが髪だし、いいも悪いも無いと思、う」


やっとの思いでそう言うと、浪川は急に立ち止まった。いつの間にか更衣室の前まで来ていたのだ。中からがやがやと、部員たちの声が聞こえる。


「俺は、嫌だ」


浪川はぽつりと、しかしはっきりと呟いた。私の腕を掴む力が強まる。心なしか、背中は少しだけ震えていた。


「あの、浪、川」


呼び掛けて、自分の声も震えているのがわかった。
どうやら浪川は本気で怒っているらしい、ただそれだけのことがこんなにも、怖いなんて。


「ごめん私、浪川が、そこまで嫌がってると思ってなくて」

「………」

「もう、触らないから、」

「………違う」

「…?」


いくらか優しくなった声音と共に、浪川が私の方へと振り返った。容赦なく突き刺さる鋭い視線。依然として腕を掴まれているのが不思議ではあったけれど、いよいよ鼓動が速くなってきたので、何も訴えることができない。

浪川が口を開く。


「……俺は、」

「………」

「俺は、お前が他の奴に触られるの、嫌だ」

「…………え、」

「お前に触られるのも嫌だけど、お前が触られるのは、もっと嫌だ…!」

「ちょっと、浪川っ…?!」


わけのわからない言葉を突きつけられて戸惑っているというのに、浪川はさらなる追い討ちをかけるように、私の髪に指を差し込んできた。
くしゃり、と耳の辺りを触られて、くすぐったいのと恥ずかしいので顔が熱くなる。

何がしたいの浪川、いつもの仕返しのつもりなの……言いたいのに言えないそんな文句が、次々と頭から蒸発していってしまう。


「姓を触っていいのは俺だけだ、覚えとけ、野郎共」


浪川が何か言ったような気がしたけれど、私は、そろそろ喜峰くんが戻ってきやしないか、はたまた部員が目の前のドアから出てきやしないか、そんな心配で頭がいっぱいで。

あまりにも優しい指使いを感じながら、どこか勝ち誇った顔のその人の髪を、思いきり掴んでやることしかできなかった。



20120318



>余談

浪川のアレな、実はダミーなんだわ。姓に髪触られて飛び退いた現場を俺たちに見られて、自分の気持ちがバレると思ったんだろーなー、その日からあたかも自分は髪を触られるのが大嫌いなんだぞ野郎共って風に振る舞うようになってさ。ほんとは姓だけなんだぜ、あいつが髪触られて本気で照れるの。by湾田
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