小説 | ナノ


「キャプテン!!!」


グラウンドに響いたその声は、明らかに冷静さを欠いていた。

凪沢くん、いつにも増して真剣というか、必死だなあ……そんなことを思いながら顔を上げて、私はどきりとした。


グラウンドの中心に集まっていく部員たち。
そっちのけにされ、ころころとベンチまで転がってくるサッカーボール。



浪川が、倒れてる。










「惜しい人を亡くしたな…くっ」

「本当に……キャプテンのいない世界なんて、俺、これからどうしたらいいか」

「あのな、湾田、喜峰……」


俺を勝手に殺すんじゃねえ!
保健室の白いベッドの上でそんな怒声を上げたのは、他でもない浪川だ。
横になっているところを部員たちに囲まれ見下ろされているせいか、少し恥ずかしそうにしている。

私は輪の外からほっとため息をついた。かなりの高熱を出してはいるものの、怒鳴る元気があるのなら心配ないかな、と。
来週末に組まれた帝国学園との練習試合を、浪川はとても楽しみにしているのだ。


「でもよォ、マジでビビったぜ。お前全然体調悪そうな素振りとか見せてなかったし」

「こんなに熱が出るまで頑張るなんて、どうかしてます」

「わかってやれぃ。……サッカーに対するおぬしの熱心さはかぁくが違うからのう、浪川」

「………うるせぇな」


口々に責められつつ、深淵の言葉に照れたのか、浪川は頭から布団を被ってしまった。
それをまた湾田が、可愛いぜキャプテーン、なんて言ってはやしたてる。

額に載せた氷の袋が落ちてしまわないだろうか。一応病人なんだから大人しくしてもらわないと。
私が懸念したちょうどそのとき、


「とにかく、早く元気になってくださいよ。愛しのキャプテンのこと、俺たちずっと……待ってますから」


喜峰くんが迫真の演技を繰り出した。あはははは、と誰からともなく笑い声を上げて、部員のみんなはぞろぞろと保健室を後にする。
ガラガラとドアが閉められ、一気に部屋が静かになった。



私もグラウンドに戻らなきゃな。処理していないデータがまだ沢山ある。
この様子なら浪川もなんとか大丈夫そうだし、迎えが来るまで先生にお願いしておけば平気だよね。

私は盛り上がった白い布団を見、くるりと踵を返した。



「姓」



…………え?


くぐもった声がして、慌ててベッドの方を振り返る。
依然として布団を被ったままではいるけれど、浪川は確かに今、私の名前を呼んだよね。


おそるおそるベッドに近づき、声をかける。


「浪川…?どうし、」


言い終わる前に、物凄い勢いで布団がはね除けられた。と同時に、私の視界がぐらりと揺れる。

え、なんだこれ。私今ベッドのわきに立ってたんだよね。浪川が収まってる布団を見下ろしてたんだよね。


……なのにどうして、浪川の真上にダイブしているのかな?


「名……」

「は、あの、あの、え?!」


放心状態からなんとか意識を取り戻してみれば、少し汗ばんだ、尋常じゃない熱さの手が私の手首を掴んでいるし、つやの良い髪が私の耳をくすぐっているしで、心底驚いた。
上半身が密着しているせいで息も苦しいし、離れようにも、いつの間にか背中に回されている浪川の片手がそれを許してくれない。

っていうか名前!呼び捨てにされたの初めてだよ何このタイミング!


「名…あつ、い……」

「ちょ、ちょっと浪川…!」


吐き出される息がとても熱くてびっくりしてしまう。熱を出しているから当然なんだけれど、こんな距離で吹き掛けられると流石に。


「んー……すげ、いい匂い…だな……」

「く、っそ、このサメ頭……」


私はぬいぐるみではない、姓名だ。気安く抱き締めてくれるなよ。
どうやら熱にやられて寝ぼけているらしい浪川を心の目で睨みつつ、この状況をなんとか打破する方法は無いか考える。

幸い先生は職員室で浪川の親に連絡を取っている最中だけれど、いつ保健室に帰ってくるかわかったものじゃない。


「ね……浪川、放して、浪川も苦しいでしょ?」

「ん……いくぞ、やろ、ろも……」

「寝言言ってんなよ放せ頼むから」

「やら……このまま…」


聞いているんだか、いないんだか。
熱にうなされている人間の相手をすることがこんなにも大変だったなんて知らなかった。

とにかく、みんなが出ていってからそれなりに時間が経っている。早くグラウンドに戻らなければ、先生どころか他の部員にもあらぬ疑いをかけられてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい。

これまでずっと、隠してきたのだ。
私が浪川をどう思っているのかということを。


そうこうしているうちに、浪川は両手で私を抱き締めてきた。その力強さに改めて、男の子ってすごいなあと実感する。
だけど内心はそれどころじゃないし、なんと言ってもかなり苦しい。

こうなったら、浪川が病人であるという事実に一瞬目をつぶるしかない。
私は大きく息を吸い込んだ。


「……起きろ浪川ああああ!!!」

「うおっ?!」


今だ!
大声にハッとしたらしい浪川が腕の力を弱めたすきに、私は大きく後ろに飛び退いた。
ひんやりとした空気が、今の今まで感じていた浪川の体温を呆気なく奪い取っていく。

そこでベッドの上のその人が、ゆっくりと体を起こした。


「姓…?え、な、どうしたんだ?」

「は……自分が何したか覚えてないの?」

「………ああ、全く」


なんということでしょう!私は孤独にナレーションした。

浪川は完全に目が覚めたようで、乱れた布団を前に呆然としている。どうやらベッドの上で私を抱き締めていたとは想像だにしていないみたいで、苛つくと言えば苛つくんだけれど、そうかと言って覚えていられても対応に困るし、なんだかやりきれない。


「俺……暴れたりしてたのか…?」

「え、ああ、うーん、寝言っぽいことは言ってた、かな?」

「げ、マジかよ……悪かったな、見苦しいとこ見せて」

「いやいや………」


随分とまあひどい見当違いをしてらっしゃるが、それでも事実を伝える気にはなれなかった。

キャプテンの浪川からしてみれば、私という存在はマネージャーであり仲間であり、それ以上でもそれ以下でもない。一連の行動から何を期待したって仕方がないのはわかっているし、何も無かったことにして今まで通り振る舞っていくべきだということも、わかっている。

……でも、本当は少し、嬉しかった。




「……じゃあ、私行くね」


そろそろ先生が戻ってくると思うから、そう告げて、私はドアへ向かおうとしたのだけれど。



「…………浪川…?」


くい、とジャージの裾を引っ張られる感覚。
私は驚いて振り返った。

相変わらず顔の赤い浪川が、私からは目をそらしながらも、しっかりと片腕をこちらに伸ばしていて。


「……もうちょっとだけ…」

「え?」

「もうちょっとだけ…ここに、いてほし、い」

「っ……!」


浪川のその発言は、とうとう私の顔を火照らせた。
ずっと我慢していたのに。絶対にこの胸の内を、さらけ出したくはなかったのに。
……だけど全ては、後の祭りで。


「ふ……なんだよ…名も熱出たか、」

「ち、違う!って……あれ?浪川、もしかしてまた寝ぼけてる?!」


柔らかい笑顔で再び名前を呼ばれたせいで、私の鼓動は加速する。
浪川はそんな私を満足そうに眺めて。


「へへ……さあ、どうだろーな」



20120312
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