小説 | ナノ


三月の雨は、いつだってとても冷たい。
ようやく春がくる、……街中がそんな陽気でいっぱいになったと思った矢先に降るからだ。



「寒い………」


色とりどりの傘が昇降口から次々に吐き出されていく。私はそれを眺めながら、天気予報を見ずに家を出てきたことを後悔していた。


委員会が終わった途端に雨脚が強まり、まずそこで足止めを食らう。
両親は遅くまで働いているので、傘を持って迎えに来てくれることはありえない。
さらに部活の友達はとっくに帰っているだろうから、誰かの傘にお邪魔することもできない。
とどのつまり、


「ツイてない……」


この一言に尽きるわけだ。



せめてもう少し小降りになってくれれば、スクールバッグを抱えてダッシュしようという気にもなる。
けれど、待てば待つほど地面を叩く滴の鋭さが増していくようで、そんなわずかな望みを抱くのすらばからしくなってきた。


「チッ、」


ああ本当に、舌打ちしたい気分だよ…………ん?



いまいましげなその音は、勿論私によるものではない。
驚いて振り返ると、男子生徒が一人、うらめしそうに雨空を睨み付けていた。

あの顔、あの髪型……確かにグラウンドで見かけたことがある。転校生で同じ学年の、浪川蓮助、だ。



「……なんだよ」

「あ、えと、その」


うわわわまずいまずい。我を忘れてガン見しちゃってたみたいだ。
浪川蓮助の気迫に満ちた声と眼力にやられ、私は慌ててまた前を向いた。気のせいかな、背中に強烈な視線を感じる。気のせいだよね、気のせい……


「あんたさあ……」

「ひっ?!」


気のせいどころか肩に置かれたこれはなんだ!手だ!浪川蓮助の手が私の肩に載っている!


「ごごごめんなさい、決して髪型に注目していたわけでは」

「は?何をごちゃごちゃ言って…、」


うわあああ顔を覗き込むな!
声にならない叫びが私の喉の奥で右往左往。ばっちり目が合ってしまったせいで、浪川蓮助の瞳がとても綺麗なブラウンだということを知った。とか心底どうでもいいわ!

私は慌てて目を反らす。
相手も少し気まずそうに視線をさ迷わせたのがわかった。


「……いきなり話しかけて悪かったな」

「い、いいえ……」

「迎えを待ってるのか?」

「いや……雨がやまないかなあって、…雨宿り」


なぜか成立している会話に内心驚きながら、私は再び陰鬱な天気に思いをはせた。
浪川蓮助もさぞかし私のことを哀れんでいるだろう、もしくは嘲笑っているのだろうか、この雨がそう簡単にやむはずは無いのにと。

ふ、と息を吐くと、驚いたことにそれは白かった。


「しっかし、寒いな…」


浪川蓮助も同じことを思っていたようで、少し肩をすくめる。屋内でトレーニングをしてきたのだろうか、身に付けているのはサッカー部のジャージのみ。この気温ではかなり堪えそうだ。


ところで。


「あの……いつまで、いるの」

「?」


浪川蓮助は私の問いかけを不思議に思ったようだった。
昇降口から出てくる生徒の数はだんだん少なくなっていく。


「…だから、早く帰らないと…ジャージじゃ風邪引いちゃうよ」

「ああ、いや、俺も傘ねぇんだよ」

「……え」


当然のように言い切った浪川蓮助。私は思わず彼の横顔を凝視した。
それじゃあ雨がやむまで、もしくは弱まるまで、ずっとこの人と並んで立ってなきゃいけないわけ…?

そ れ は 気 ま ず い !


「えーと…」

「でも確かにあんたの言う通りだな、やむの待ってたら体が冷えきりそうだぜ」

「!」


よーしよしよし、良い流れだ!突如方向転換した浪川蓮助のその言葉に、私は思いがけない安堵を覚えた。
雨は依然として強いけれど、これは走って帰ってくれるフラグ?!


「そ、それじゃあ、」

「ああ、走るぜ」

「そっか〜あはは…気をつけてね…」

「…………何言ってんだ?」

「え?」


浪川蓮助と私はお互いにきょとんとした。

あれ、待て、待てよ、ここで黙り込んではいけないんじゃないか、いや絶対にいけないぞ姓名、何かとてつもなく嫌な予感がするんだが……!


「あんたも一緒に走るんだよ」











「……は、はぁ、ちょっと、もう無理」

「っは、体力ねぇなー、」

「……っ」


ばしゃばしゃという耳障りな音を聴きながら、私は前を走る浪川蓮助の背中を睨み付けた。
顔に当たる水滴が煩わしくて仕方ない。すっかり水分を吸収しきったのか、靴は重たいし。なぜか手を引かれているせいで、勝手に立ち止まることもできない。

私は心からこの雨を恨んだ。
こんなことになるなら、最初から一人で走って帰ればよかったなあとか思ったりして……


「おい、止まるぞ」

「え?…あわわっ」


唐突に浪川蓮助がブレーキをかけたお陰で、勢い余ってその背中に飛び込んでしまった。ぐしゃぐしゃに濡れたジャージの感触が、私の制服やら教科書やらもさぞかしひどいことになっているんだろうということを思い起こさせる。敢えて確認はしないけれど。


そこで、大丈夫かよ、と振り向いた浪川蓮助と目が合って、思わずどきっとしてしまった。


個性的な髪型はなんとか形を維持しているものの、濡れた前髪が肌に貼り付いて、片目が隠れてしまっている。さらには頬や髪からしたたり落ちる滴が、なんというか、俗に言う「おいろけアップ!」的に働いていて、これはちょっと直視できない。


「……い、いきなりすぎ…」

「悪い。けど、あんたの家ここだろ」

「え?!」


抗議の言葉はあっけなく弾き返された。びっくりして辺りを見回すと、暗がりの中、そこには見慣れた住宅街、そして私の家がたたずんでいる。


「なんで、私の家……」

「ふん、やっぱりな。俺毎朝ここ通ってるから、たまにあんたが出てくるところ見かけんだよ」


してやったり顔な浪川蓮助。私は思いがけない事実に言葉も出ない。
私のこと、知ってくれていたのか。


「じゃ、早く入るんだな」

「え、ま、待ってよ」

「なんだ?」

「……」


呼び止めたものの、実は話すことなんて何もない。ただ、このまま浪川蓮助とのつながりが断たれてしまうのかと思うと。


「……あ、あの、傘!うちにある傘、貸してあげ、る」

「……ふっ、」

「な、何……?」

「あんたさ…こんな濡れてんだから今更傘さしたって意味ねぇだろ……ふ、ははっ」


く、確かに。これは浪川蓮助に一理ありだ。
それにしたって、そこまで笑わなくてもいいでしょうが!


私が悔しがっているのを見抜いたらしく、浪川蓮助はますます可笑しそうな顔をして。


「あんた面白い奴だな。この俺の目に狂いは無いってことだ」

「は……?」

「姓、だっけか。下の名前は?」

「え……名、だけど」


おそらく表札を見たのだろう、名字までチェックしているとは抜かりが無い。私は半ば感心しながら呟いた。


「ふん、名……か」

「っ!」


不意に名前を口にされて、いやただの確認だってことはわかってるんだけれど、わけもなくどぎまぎしてしまった。
だってよく聞いてみればすごく私好みの声だし、なんと言っても、おいろけアップ!の効果が絶大すぎる。

あ、あれ?私、……


「ん、なんだよ、顔赤くないか?」

「えええいやややそんなことはない!」

「ならいいけど、もう家入れよ。風邪引くぞ」

「そ、そっちこそ」

「ん。じゃあまたな、名」

「……!」




ザアザアとうるさく鳴る雨は、視界を、そして思考すらも、霞ませていく。
突如始まり、突如終わりを告げた時間。これが現実なのかどうか、どこかで疑っている自分がいる。
ふわふわとした感覚の中、私は、小さくなっていく浪川蓮助の背中を見つめていた。


次にいつ話ができるのかも、次が在るのかすらもわからない。
だけど。
もしも再び会えたなら、そのときは、名前くらいは教えてくれるだろうか。


雨音と共に耳をかすめた「またな」が、私の意識の中で鳴り続ける。
少なくとも、この雨が止むまでは、きっと。




20120311
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