| 「化身ってさ、フィールドの外では出せないもんなの?」
「はぁ?なんだよいきなり」
これは私の前々からの疑問だった。
海王学園サッカー部マネージャーとして、チームのことはそれなりに把握しているつもりでいる。 だけど化身に関しては全くと言っていいほど知識がなく、これまで幾度も目にしているというのに、その存在は私にとって未知なるものでしかなかった。
「ねー、どうなの浪川」
「知るかよんなもん。考えたこともねぇしな」
「じゃあ今やってみせてよ」
私がそう言うと、隣を歩く浪川は心底面倒くさそうな顔をして、ため息をついた。つやのある髪がゆらりと揺れる。
「あのな姓。お前が思ってるほど化身を出すのって楽じゃねぇんだぞ」
「へー」
「真面目に聞けよ……化身ってのはな、なんだ、こう、背中の一点に気を集中させて、ここぞってとき、一気にぐわーっと出すもんなんだよ。今ここで出そうと思っても多分出ねぇ」
はあ、ようするに気持ちの高ぶりが重要というわけか。 化身って案外単純なのかな、逆によく解らぬ。
「それじゃあもし、今この瞬間、浪川的に超絶すごいことが起こったら、化身出せるかもしれないの?」
「ふん、なんだよ超絶すごいことって……」
浪川は私のボキャブラリーの乏しさを鼻で笑いつつ、まあ可能性はあるんじゃねえの、と、到底そうは思っていなさそうな口振りで言った。 私の扱い方がぞんざいなのは出会ってからずっと変わらない。いい加減にしろ。
「く……ならば覚えてろよ浪川、絶対に私の手で、フィールド外☆化身デビューさせてやる!」
「は、いつの間に俺とお前の勝負みたいになってんだよ」
浪川がくすりと笑った。 こうやって小さく笑うところも全然変わらない。 そんなことを考えていたら不意に髪をくしゃりとやられて、また悔しくなった。
「いつでもかかってきやがれ」
耳に残る、どこか優しい言葉。
「てなわけで湾田先生、ご教授願います」
「うむ、ひとえに」
「……」
「………抱きつきなさい」
「……はぁ?」
憎き浪川の宣戦布告(いや実際は私から仕掛けたんだけど)を受け、翌日私は部員の湾田の元を訪れていたのだが。
「んー、聞こえなかったか?抱きついちゃえよって」
「いやややや聞こえましたけど……なんでそうなるの」
私は浪川を『超絶すごい』状態に陥らせるためのアドバイスをしてくれるよう頼んだのであってだな。
「だァからさ、要は浪川が予想もしてなかったことをやってのけりゃいーんだろ?」
「それはそうだけど、」
「インパクト大だと思うぜ俺は。姓が抱きついてくんだからよ」
「うん……怒られる予感が大だよ私は……」
「まーまー何事も挑戦だ挑戦!若い力は素晴らしいっつーことで!以上ッ」
「え、ちょっと、湾田……!」
私が呼び止めるより先に、湾田は机に突っ伏してしまった。音速で眠りに落ちたらしく、頭のいそぎんちゃくがそよそよと……ああ、ええ、なんでもありません。
うーん、湾田に相談したのがそもそもの間違いだったな。協力してくれそうな部員を探してみようか。 そう思い立ち、昼休みも終わりに近づいていたので、私は教室を出た。
……するとそこにいましたよ、まさに今の今まで話のネタになっていた張本人が。 移動教室なのかな、浪川は少し急いでいて、私に気づかず階段を駆け上っていく。
私は直感した。 これは浪川をあっと言わせるいい機会だ。
でも……どうやって驚かせよう?声をかけるだけじゃそれこそインパクトに欠けるし、急がないと私も授業に遅れてしまう。だけどこのチャンスを逃したくはないし。あああ。
働かない頭。遠ざかっていく浪川。脳裏に浮かぶ湾田先生の言葉……
『抱きついちゃえよって』
……私は決心した。
「な〜み〜か〜わっ!」
言いながら、私は階段を二段飛ばしで駆け上がり、いや流石に抱きつきはしないけど、浪川の背中を捕らえ、
る……つもりだった。
「っ?!姓?!」
振り返った浪川の表情がぶれて。 あれ私浪川の背中を掴んだはずだよねと自問して。 それでも両手は空を切って。 ああ私は階段を落ちているのかと悟って。 でももうなす術はなく…………
て?
「あっぶねぇ………」
「…………な、浪川?!」
変だな、体のどこにも痛みを感じない。その代わりに、えらく息が苦しい気がする。 そう気づいて、私は自分の置かれている状況を把握した。
なんと、私があれこれと思いを巡らせたその一瞬のうちに、浪川が私を腕の中に収めていたのだ。 その証拠に、かかとから滑り落ちたはずの私は階段の上で抱きすくめられ棒立ち、もちろん無傷。 掴まれた手首から、浪川の熱がダイレクトに伝わってくる。
「馬鹿野郎……何はしゃいでんだよお前は……」
「ご、ごめ…私、浪川を驚かせようと思って」
「……ははっ」
「……?」
何がおかしいの? そう問う前に浪川が私を離し、階段の一段上から、一言放った。
「今回は俺が負けといてやる」
「え……」
浪川は私を見、そして後ろを振り返った。 つられるように見上げると、彼のうしろ、踊り場。
「……こいつが、お前を助けたくて仕方なかったんだってよ」
そこには、窮屈そうに身を縮めながら主を支える、荘厳な海王がいた。
20120310
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