| 私は今日、浪川に三つの嘘をついた。
「浪川、信号青だよ」
「ん?ああ…」
私の言葉に上の空で返事をした浪川は、携帯電話の画面に視線を張り付けたまま、横断歩道へ一歩踏み出した。そこで我にかえったのか、ハッとしたように勢いよく顔を上げる。残念、気づかれてしまった。
「てっめ……まだ赤じゃねぇか!」
「やーい引っかかった」
物凄い剣幕で私を睨んでくるその目をにまにまと見つめ返すと、浪川は悔しそうに詰め寄ってくる。
「お前な…いくらエイプリルフールだからって、ついていい嘘と悪い嘘があんだろ!」
「やだなあ、流石に轢き殺されそうになったら助けるよ」
「そういう問題じゃねぇ…!」
あくまで自分が被害者であるという立場を貫き通したいらしい。浪川の眉間に寄るシワがそれを物語っている。 だけどお兄さん、ちょっと待ってよ。せっかく爽やかに晴れたこの良き日に二人でお出かけしているというのに、携帯電話を気にしてばかりのあなたも悪いとは思いませんか?
私がそう反論すると、浪川は一瞬気まずそうに言葉を詰まらせた。視界の片隅で信号が色を変える。
「そ、れは……まあ、そうだな」
「でしょ!てことでおあいこね」
「……わかったよ、行くぞ」
携帯電話を無造作に鞄に突っ込むと、浪川は私の手首を掴んだ。そのまま引っ張られるようにして、黒と白の縞の上を歩く。横断歩道を渡りきると、パッと手が離れた。ほのかに感じていた温もりは、消える。 そのまましばらく雑踏の中を歩いた。いつになく無言の状態が続いているのが気になる、少しだけ。
「……つーか腹減ったな、先に飯食うぞ」
「…はいはい」
ようやく口を開いたかと思えば、私の意見を聞かずに断言してしまうその態度はまるで女王様だ。となると、私はお付きの大臣クラスだろうか。くだらないとわかっていながらそんなことを考えずにはいられなかった。
「お前、注文してこいよ」
「え?」
「俺は席取っとくから」
ファーストフード店に入るなり、浪川は早口でそう告げて奥へと進んでいく。どうせなら浪川の分もまとめて注文しようと思ったときには、既に呼び止めることのできる距離ではなくなっていて、仕方なく断念した。 なんとなくざわつく心。店の騒がしさと似ているような気がする。
「お待たせー」
「ああ」
浪川は二階の窓際の席を取っていてくれた。外を見ると、活気のある日曜日の街並みが広がっている。 私はしばらく立ち尽くしたまま人混みを眺め、浪川に視線を戻した。
「……なんでまたケータイ見てるの?」
「っ!」
純粋な疑問であり他意は無い。それなのに浪川は、焦ったように私を見上げた。
「……別に、なんでもねぇよ」
「ほんとに?……今までそんなにケータイ気にしてたことあったっけ」
「………さぁ、な」
歯切れの悪い返答がいちいち気にかかる。こいつはここまで携帯電話に依存していただろうか、いや、していなかった。一生懸命考えを巡らせてみて改めて思う、本当に、こんなことは珍しい。
まさか、
「……とりあえず座れよ」
「………やだ」
「は?って、ちょ、姓…っ!」
浪川が面食らったその隙をついて、私は机の上の携帯電話を奪い取った。青を基調としたクールなデザイン。触るのはこれが初めてだ。 ためらうことなく画面を開く。これくらいしなければ、いつまでも事実を濁されたままだと思った。きっとそこには、私ではない誰かとの連絡の軌跡が……
「………え」
「あーくそ、見られちまった……」
「浪川これ、何」
表示されたままだったとあるページ。すっかり拍子抜けした私を見て諦めたのか、浪川は深いため息をついた。再度座るよう促されたので、ずるずると席につく。正面に浪川を見据えた瞬間、そっぽを向かれた。
私は再び画面を見やる。『エイプリルフールについて』……そんな題に続き、下には延々と項目が連なっていて。
「……お前と、会う約束してから、今日はエイプリルフールだって、気づいて」
不意に、浪川が呟いた。
「気になって調べたら、色々出てきたんだよ……嘘ついていい時間とか、ついたらまずい嘘とか、そういうジンクス的なものが」
「……?」
「それで、その、お前に……」
「私に?」
「……お前に、余計なこと言って、愛想つかされねぇようにって、勉強して、た」
………はい?
私は自分の耳を疑った。浪川の視線は自然な感じで窓の外に向けられているように見えるけれど、瞬きは多いわ、顔は赤いわで、全く様になっていない。
「あの、浪川くん」
「……なんだよ」
「それってさ、ヘタな嘘ついて幸運が逃げちゃったら嫌だなとか思ったりしてた、ってこと…?」
「………」
否定しないところを見ると、どうやら本当にそうらしい。だから携帯電話の画面に釘付けで、用心のために口数も少なくしていたというわけか。エイプリルフール特有の、嘘にまつわる噂話を気にして。なるほどそれなら合点がいく。……けれどね。
「馬鹿だ…本物の馬鹿だよ浪川、これぞ四月馬鹿」
「う、うるせぇ、バカバカ言うな!」
「くうう……蓮助くん可愛い」
私が噛み締めるようにそう漏らすと、浪川は弾かれたように立ち上がり、財布を掴んだ。
「……買ってくる」
「行ってらっしゃーい」
キッと睨まれたけれど、スマイル0円で受け流す。大股で去る浪川の背中を、穴の開くまで見つめた。果てしない安堵の気持ちが、私を襲う。
それからはぶらぶらと街を歩いて買い物を楽しんだ。事実が露見したため開き直ったのだろう、浪川の口数はいつも通りのものとなり、他愛もないことで笑ったり怒ったりした。
緩やかに過ぎていく時間の中、人気のない通りに差し掛かったところで、ふと切り出される。
「……姓さ、」
「ん?」
「もしかして、俺が浮気してるかもしれねぇって思った?」
ケータイのことで。 そう言って浪川は足を止めるので、私もそれに倣い立ち止まった。自信満々な表情が憎らしくて、思わず挑発的な笑みを浮かべてしまう。
「何言ってんの、浪川にはそういうの百年早いよ」
「でも、もしあのまま俺が隠し通してたら、お前俺のこと信じられたのか?」
なかなか鋭い質問だ。一瞬胸がざわつくけれど、私は平静を装う。
「当たり前でしょ。浪川が嘘ついてるかどうかなんて、すぐわかりますー」
嘘だ。本当は不安で仕方がなかった。浪川は何を考えているのだろうか、もう飽きられてしまったのだろうか、ならばなぜ私と一緒にいてくれるのだろうか。 浪川といると、ミジンコ並みに小さなスケールのことが無性に気になって、際限なく疑問が生まれてしまう。
「ふん、どうだかな」
「何よ、やる気?」
含みのある笑い方をされて、もしかしたら感づかれているのかもしれないという思いが私をどきりとさせる。それでも後には引けないので、強気な姿勢を保つ他は無いのだけれど。そもそもこの一件で醜態を晒したのは明らかに浪川の方なのに、あまりにあっさりと形勢逆転されてしまっていることが悔しくてならない。
無言の威嚇を食らわせてやると、浪川は思いついたように私を見て言った。
「そんなに自信があんなら当ててみろよ」
「は……当てる?」
「ああ。嘘か本当かの二択で、俺が問題出すから」
「へえ、楽しそう……いいよ」
要するに、それが浪川の本心かどうかを見極めればいいという話なのだろう。どこまでも自信家だ。知らず知らずのうちに挑戦者ポジションに位置付けられてしまっている自分に気づいてげんなりするものの、売られた喧嘩は買うしかない。
さて、まずはどんな言葉が飛んでくるのか。意気込んだそのときだった。
「じゃ、一問目」
私はやはり大臣クラスらしく、尋ねる暇も与えてはもらえない。問題が来るのかと思いきやいきなり顔を近づけられ、咄嗟に目をつぶった。唇に、柔らかく触れるものを感じる。
いつの間にか頬に添えられている片手がくすぐったくて仕方ない。けれど、浪川の手は可笑しいくらい優しくて、私は、そんな数秒の間に、ぐるぐると頭をかき回される気分がして。
「………ほら、言えよ」
「っ……、」
解放されてなお感触の残る唇。浪川はふわりと笑う。
まるで、信じろ、と言われているみたいだ、なんて錯覚したせいで、途端に胸が熱くなってしまった。
答えはとっくに決まっている。
これが私の、三つ目の、
「……………嘘」
20120402 (※心はエイプリルフール)
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