| 「……喜峰くん?」
「あ…名さん、こんばんは」
夜の川原。冷たさを増してきた風の吹く、ひっそりとした音だけが聞こえる。
気分転換でもしようと散歩に来ていた私は、そこでサッカー部のユニフォームを目にした瞬間ハッとした。背番号11番。喜峰くんが、土手の斜面に腰を下ろしている。
「どうしたの、こんなところで」
「はい…少し、考え事を」
喜峰くんは小さく微笑む。つらそうな笑い方だ。部にいるときの積極的な彼からは想像も出来ないほどに、その声は弱々しい。
思わず、隣に座り込む。体が勝手に動いたようなものだった。自分の軽率な行動を後悔しつつ、居てもたってもいられない私は口を開いてしまう。
「……聞かないほうがいいこと、かな?」
「……え…?」
伏し目がちの横顔を見つめていたせいで、視線をこちらに向けてきた喜峰くんと目が合ってしまった。どき、なんて、必要以上に反応してしまう心臓が我ながら情けない。
「あ、え、えと、力になれるならなりたいな、と思って」
「…気を遣わせちゃってすみません」
「いえいえ、大丈夫だよ、……」
相変わらず物憂げな喜峰くんの言葉に、自分の無力さを思い知らされる。喜峰くんは何も切り出そうとはしない、きっと私には言っても仕方のないことなのだ。それならそれで喜峰くんの選択を精一杯尊重するだけなのだけれど、私はどうしても、喜峰くんの精神の中に入っていけない自分を嘆きたくなってしまう。
あまりに一方的な気持ちの膨張に嫌気が差した。それでもせめてマネージャーとして彼を支えたい、そんな都合のいい口実にまた、自己嫌悪して。
「……気が済むまで考えたらいいと思うけど、風邪、引かないようにね」
暗くなってきたし。そう告げて私は立ち上がった。ここにいても喜峰くんを困らせるだけだし、何より惨めな自分をこれ以上感じていたくはない。そう、思ったのだけれど。
「名、さん」
「……ん?」
「あの、…バレバレ、ですよ」
「え、何が?」
「打ち明けてくれないんだ、って思ってること」
「っ……!」
ニヤリと笑う彼は、いつもの喜峰くんそのもの。なんだ、意外と元気じゃん。私は拍子抜けすると共に、頬に熱が集まるのを感じた。
「せ、先輩で遊ばないの!」
「図星なんだ……本当に可愛いですね、」
「っ……ちょっと?!私真面目に心配してるんだけど!」
「あはは、すみません」
悪いと思っているのかいないのか。喜峰くんは白い歯を見せる。生意気な後輩だなどと思いながらも、ようやく私の好きな笑顔を見ることができて、本当は安堵させられたり。 それでもまたすぐに、切なげな表情が姿を現してしまうのだけれど。
「……名さんに、話せないことってわけじゃなくて」
「うん、」
「カッコ、悪いんですよ……こんなことで悩んでる自分が」
「……どんなこと?」
「………」
「………」
「……焦ってるんです」
焦り。
喜峰くんが吐き出したそれは、彼の悩みを推測をするには簡潔すぎる。私が黙って先を促すと、現れたのは、不本意だ、と言わんばかりの表情。それでも話す気にはなってくれたらしい、ひとつ咳払いをして、喜峰くんは視線を前に向ける。
「………フォワードとして、キャプテンとツートップで今までやらせてもらってきました」
静かに語り始める喜峰くん。私は相づちを打たず、ただただ彼の言葉に耳を傾ける。
「名さんもよく知っている通り、キャプテンは強くて、みんなから頼りにされて、その上化身まで使えて…俺とは次元が違う。そんなキャプテンが羨ましくて、どうしようもなく憧れて、プレースタイルを真似たこともあったんです……けど、全然ダメで。俺は俺でしかない、俺にしかできないプレーをしないとって、そう痛感して。……なのに気がつくと、やっぱりどこかで、キャプテンと自分を比べてしまっているんです」
小さいですよね、俺。
一気に喋り、最後、ふっと息を吐くようにそう言うと、喜峰くんは膝の間に顔を埋めてしまった。
どんな敵が相手だろうと、常にフィールドの先頭に立ち、華麗に戦いを繰り広げる。そんな喜峰くんの姿を何度も見てきたからこそ、私は、今目の前にいるこの人が本当に喜峰くんなのかどうかわからなくなり。
同時に、彼のことが愛しくて仕方なくなった。
「……あ、もう一番星が出てる」
私は空を見上げ一人呟く。喜峰くんは顔を上げない。きっと私が、彼の話とまったく関係の無いことを言ったせいで動揺しているのだろう。想像して、少し優越感に浸ってみたりする。
「ねえ、見てよ喜峰くん」
「………」
「綺麗だよ、一番星」
言いながら、依然として突っ伏したままの喜峰くんの黒い髪をなでた。さらさらと心地いい感触が指に伝わる。
「あのね、喜峰くん」
「………」
「一番星の少し下にね、もう一つ、小さい星が出てるんだ」
「………」
「……喜峰くんみたいじゃない?」
「………え?」
私の言葉に驚いたのか、喜峰くんはようやく顔を上げ、空を見た。
「もしかして…一番星がキャプテンだって言いたいんですか」
「うわ、当たり」
「……流石の俺も傷つきますよ」
恨めしげにこちらを見る喜峰くん。でも私が言いたいのは、そういうことではない。
違う違う、と笑うと、喜峰くんは首をかしげる。
「あのね、なんていうか、星って、大きさとか光度とか、色々あるでしょ、あんな風に」
「…はい」
「……それでもね、私はどの星を見ても、ああ綺麗だなって思えるんだ」
言いながら、私は一番星と、その下でチラチラと光る星に目をやった。そこで大きく息を吸い込む。
「サッカーもさ、同じように考えればいいんじゃないかな」
「……同じように?」
「うん、……浪川は浪川でキラキラしてるけど、喜峰くんは喜峰くんなりの輝き方があって。二人とも一生懸命頑張ってるから、どっちが綺麗とか、無いんじゃないかなあって……えーと、だから、比べるほうが馬鹿らしいっていうかさ、その」
話が支離滅裂になってきたところで苦し紛れに視線を喜峰くんに戻すと、案の定きょとんとしている。うひゃあ、恥ずかしい。自分の世界で語りすぎてしまっただろうか。無い頭を振り絞って、元気づけようと頑張ったのだけれど。
「あー、と、とにかく、喜峰くんはカッコいいの!だからそのままで大丈夫!だよ!」
「………」
「ご、ごめんね、変なこと言って……」
「……名さん」
「ん…?」
「………詩人になれるんじゃない?」
「え」
喜峰くんの表情が一転して笑顔に変わったことに驚いた。今の今まで瞳に切なさを宿していた少年はいたずらっぽく笑い、私を見つめてくる。
「うう……そんなに可笑しかった?」
「いえ、違うんです……なんていうか、不思議だな、と」
「不思議…?」
「はい、……自分じゃ何度言い聞かせてもダメだったのに、今の言葉は、スッと心に入ってきたから…びっくりして」
「ほ、本当に?」
「ええ、………名さんだから、なのかな」
「っ……」
恥ずかしげもなくそんな台詞をさらりと吐いてしまうあたり、少しは気分も良くなったのだろうか。 じわりと熱くなる頬に手をあてつつそんなことを考えていると、不意に、喜峰くんは、私の左肩に額を載せてきた。先ほど指先に感じたさらさらとした感触が、今度は首筋を緩やかに刺激する。
「……、喜峰くん…?」
「…………とうございます」
「え?」
「……ありがとうございます、こんな俺を、受け止めてくれて」
「……!」
吐き出されたのは、小さく、かすれた声。
喜峰くんのこんな声を聞いたのは初めてだし、眼前に迫る肩は今にも壊れてしまいそうで、私は気がつくと、その背に腕を回していた。今日は自分の、あまりに衝動的な一面を思い知らされてばかりだ。これも『喜峰くんだから』、なのかな。
私は細い背中をぽんぽんと叩きながら言う。
「……いいんだよ、そんなの」
「………」
「寧ろ喜峰くんの悩み事なら、沢山聞きたい、し」
「…………イヤです」
「っえ、な、なんで……ひゃっ、」
いきなりトゲのある言葉が飛び出してきたかと思えば、喜峰くんの両腕が私を包み込んできた。相変わらず頭は私の肩に載せたまま、回される腕の力だけが強められる。
「俺が言ったことは全部忘れてください」
「え……?」
「名さんの前では、やっぱり、カッコいい喜峰岬でいたいから」
「……!」
「だからこんなのは、今日だけです」
拒絶されたかとひやりとしたのもつかの間、ぎゅっとしがみついてくるような言葉と腕とに、再び微笑ましい気持ちになる。けれどきっと、ここで今の喜峰くんを庇ったとしても、この人は弱音を吐いてしまった自分を許さないのだろう。だから、あえて私は何も言わないことにした。
その代わり、しばらくはこうしていてもいいだろうか。せめてこの空が、私の頬をくすぐる黒髪と、同じ色に染まるまで。 小さな星がちらちらと瞬くのを見つめながら、そんなことを思う。
20120331
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