G事件
私は今住んでいるマンションのベランダにいます。
雲のない星のまたたく夜。月が今は憎たらしいほどに丸く輝いています。
私は今、とても気分が落ち込んでおりました。
なぜって、家に、あの有名な黒く素早い虫が出たのです。
頭にゴのつく虫です。
イギリスの実家に住んでいたときにはお会いしませんでしたので今世では初めて見ました。
私は帰ってからソファで本を読んでいたのですが、ふと何かの気配を感じ、観葉植物の横を見ますとそれがいらっしゃいました。
そのものは私が見ていることに気がついたのでしょう。一度動きを止めてそれからすぐに、また目にも止まらぬ速さで動き物陰へと姿を消していったのです。
そうして私はベランダへと避難をしていました。
どうしましょう。
ベランダの柵をぎゅうっと握り締めて考えます。
こんな日にテールはいません。
今はイギリスにいるからです。ちなみにテールはイギリスへ行くのに飛行機を使うわけではなく、魔法使いの方法で行っているので呼べば今夜遅くには来てくださいます。
それまでベランダで過ごしますか、それともどこか時間を潰せる場所へ行くべきでしょうか。そうすると一度部屋へと入らなければなりませんし。
確かに魔法薬学などで似たような虫を相手にしたことはありますが、あれは他に人がいましたし授業だと割りきっていました。
プライベートに出たのが悪いのか、それともアレはそんな他の虫を凌駕しているのか。
私は迷いながら夜景を見て考えていました
すると、なにやら空に不自然な物体が浮いているのが目に入りました。
その物体はこちらへと飛んできているようです。はじめは時間を間違えた鳥かと思いましたが、それにしては大きいような。
そしてそれが何かが分かるほど近くへと来たとき、私は思い出しました。
そういえば今朝新聞に怪盗キッドからの予告状が届いたとの記事がありましたね。決行の日は明後日となっていましたが。
なんで今日飛んでいらっしゃるのでしょう。
彼は私の姿を捉えているはずですのにあえてこちらへと飛んできて、真っ白い翼を閉じて私が手を離したベランダの柵へと降り立ちました。
「今晩は。お嬢さん夜遅くに失礼します。美しい花に誘われ思わず貴女の元へと飛んできてしまいました。どうぞ、私に今ひと時羽を休めることをお許しください」
やってきた白い怪盗は原作で知ってはいましたが、彼は胸に手を当て微笑みながら甘い台詞をおっしゃいました。
……ですが、これは。
私は彼の腕を逃がさないようにぎゅっと掴みました。
「いいところにいらっしゃいました。私ちょうど困っていましたの」
「へ?」
私が普段はしない満面の笑みで笑って言いますと、怪盗は嫌な予感がしたのでしょう頬を引きつらせて笑顔を返しました。
「怪盗キッドがゴキブリ退治・・・」
私は怪盗を家の中へと強引に招き入れました。
そして丸めた新聞紙を持った怪盗がポソリと何かを呟きましたが、私は無視しました。
本当にちょうどいいところにいらしてくださいました。まさに天の助けです。
「ベランダしか扉は開けていませんのでこの部屋にいるはずです。怪盗さんよろしくお願いいたします」
「ええ、貴女のお役に立てるのでしたらがんばらせていただきます」
怪盗はすこしヤケが入ったようにおっしゃりました。
怪盗が物の少ない部屋の家具の隙間を探っているのを私はベランダへ続く窓の前でそれを見守ります。もちろん、いつでも逃げられるようにするためです。
やはり男の人は便利ですね。
私はこれで安心と胸を撫で下ろしていました。
ピーンポーン
チャイムが鳴るまでは。
うちのドアホンはチャイムを鳴らすと外の映像が自動で映り誰が来たのかすぐに分かるつくりになっています。
ですので私と怪盗はチャイムの音でドアホンの画面を見ました。
そして見た二つの影に共に固まりました。
一人はバイト先である喫茶店の同僚安室透。彼だけでしたら住所は教えていないはずですが、まだバイトのことでしょうかと希望が持てましたが。
もう一人はコナン少年でした。
絶対にこの怪盗が連れてきたに違いありません。
「早く虫を駆除して帰ってください」
「できればもうお暇させていただきたいのですが」
それは絶対に許しません。せっかくの駆除してくださる人を逃がすつもりなどありません。絶対に駄目です。
後から考えると私は虫のせいで混乱していました。
「とりあえず、このローブを被っていてください」
私は怪盗に存在を隠すローブを被せてからインターフォンの通話ボタンを押しました。
「はい、安室さんとコナンくんですね。こんな夜遅くにどういたしましたか?」
『その声はミリアさん?』
「はい、そうです」
やはり私の家だと知らなかったようなので、彼らの目当ては後ろで大人しく様子を見守っている怪盗なのでしょう。
『夜分すいません。ミリアさん、先ほど何かベランダに異変はありませんでしたか?』
「特にありませんでしたが」
『……そうですか、ですが確かにベランダに怪しい人影が見えましたので。もしよければ調べさせていただけないでしょうか?』
「ええ、構いません」
安室さんは笑顔で尋ねてきますが、どこか不機嫌そうな様子です。いつも以上の敬語ですし、目が笑っていません。
おそらく私が怪盗を隠していることに気がついているのでしょう。
私が部屋に入ることを許可しますと、後ろで律儀にローブを羽織った怪盗が「おいっ」と抗議の声を上げましたが無視です。
私はインターフォンの通話を切ってから怪盗に向き合いました。
「いいですか。そのローブを着ていればあなたの存在はバレませんので絶対に脱がないでくださいね。あと、声は隠せませんので何も言わないで下さい。もし虫を殺さずに逃げようとしましたら容赦いたしません」
「いや、すげえ存在感あるぞこのローブ。どう見てもバレバレの域超えてるだろ」
「大丈夫です。だから脱がないでください」
「できればあいつらが来る前に逃げたいんだけど」
「駄目、です。貴方がいないと私、本当に駄目です」
「はい」
怪盗用の気障な台詞を忘れて怪盗は抗議してきましたが、虫のいる部屋に独り残されることを想像して駄目だと伝えますと、怪盗は部屋にいることを頷いてくださいました。
おそらく部屋まで走ってきたのでしょう、すぐに再び鳴ったインターフォンの音に従い私は二人を迎えるために玄関へと行きました。
扉を開けた後のコナン少年の行動は素早かったです。彼はドアが子供一人入れる隙間になったときに滑り込むかのごとく許可も取らずに部屋へと入りますと一気に怪盗のいるリビングへと駆けました。
「こんばんは。ミリアさん」
「ええ、こんばんは安室さん」
安室さんは笑顔で挨拶をしてきましたが、どこか責めるような瞳をしていました。
ですが、こちらもいくら恩人であろうと生きるか死ぬか(虫が)の瀬戸際ですので譲るわけにはいきません。
「どうぞお茶をお出しいたしますので上がってください」
「ありがとうございます。こんな夜遅くに急に押しかけてすいません」
「いいえ、怪しい人影を心配して来てくださったのでしょう。こちらこそありがとうございます」
そういう設定ですので私はお礼を言い、すでにコナン少年が入っていったリビングへと安室さんを案内いたしました。
リビングへ行くと、怪盗は本当に姿が見えていないと悟ったのか普通にソファへと胡坐をかいて座りながらあちらこちらを探すコナン少年を見つめていました。
けれどコナン少年。見た目が子供だとしても人の家を漁るのはあまりよろしくないかと思いますが。
「お姉さんってここで一人暮らしなの?」
「基本そうですね。たまにお手伝いさんや大学の友人が来ますが」
「そうなんだ。今日は誰も来ていないの?」
これは、何かを勘づいたのでしょうか。
来ていないと答えればあれれーおかしいなという流れでしょうか。
ですが来ていたと言えば誰が来たのと聞かれるのでしょうね。
来ていたとバレたとしても怪盗がいることはバレませんし、構わないでしょう。
「誰も今日は来ていませんね」
「そうなの?あれれーおかしいな」
やはり勘づいていました。
コナン少年には来訪者が男だということと、まだそれが来てからほとんど時間が経っていないということを気づかれてしまいましたので。
私は知らないという体でコナン少年と安室さんに部屋の中を探してもらいました。
その間にコナン少年が私の下着を誤って見つけるという少年誌にお約束のハプニングがありながらも結局キッドは見つけられませんでした。
「くそ、どこに行ったんだ」
せっかく子供を演じていたのに悪態をついてしまうほど焦燥しているコナン少年ですが、怪盗なら貴方の隣にいます。
ふざけてコナン少年のほっぺを突っついていますが、調子にのっている怪盗にまったく気がついた様子はありません。
安室さんも私の座っているソファの隣へと座り顎に手を当てたまま考えていますが、分からないようです。
もうどうでもいいので早く帰ってほしいです。
早く帰って虫を退治してほしいのですが。
内心そう思ってぼうっと宙を見ていますと、ふと部屋の隅の壁になにやら黒いものがあるのに気がつきました。
……はい、あの素早くて黒くてあの虫ですね。
「きゃあああああ!!!!」
私は思わず隣にいた安室さんの腕へと抱きつきました。
突然の私の悲鳴に三者の視線が私へと向きます。
「え、ミリアさん。どうかしましたか?」
「あれが例のあの、あれが」
「あれ?」
私は安室さんの腕へと顔を埋めながら虫のいた方を指差しました。
すると、上から小さく噴出すように笑ったような音が聞こえてきました。
「ああ、ゴキブリか。ミリアさん大丈夫だから少し手を離してくれますか?」
その言葉に私は安室さんに恐る恐る従い手を離しますと安室さんは素早く立ち上がり、テーブルの上にあった新聞紙を丸めますと虫の元へ行き
パシンッ
丸めた新聞紙を虫へと叩きつけました。
「もう大丈夫ですよ」
安室さんは私へと振り返ると笑顔でそうおっしゃって下さいました。
それから数十分ほど家の中を捜索し私にも尋問をして探偵たちは帰って行きました。
一応コナン少年が盗聴器的なものを仕掛けていないか魔法で探り、無いのを確認しました。
コナン少年の道具をすべては私は覚えていないのですが。さすがに盗聴器はないですか。犯罪ですしね。
と内心思ったところで、そういえば探偵バッジを盗聴器代わりに使っていたことを思い出しました。犯罪スレスレですね。
私は安全を確認してから怪盗へとローブを脱ぐように言うと少しだけ気まずそうな表情をした怪盗はお礼を言い私にローブを返しました。
「ありがとうございました。もう用は済みましたので帰ってくださって構いませんよ」
「ひどくね?」
怪盗はもう気障な台詞を言うのをやめたようです。
ひどいとは言いますが。虫は安室さんが退治してくださいましたし、怪盗がいる意味はもうありません。
「なあ、そのローブってどうなってんだよ。本当に隣にいても気づかれなかったぞ」
「さあ、どうなっているのでしょうね。それにしても貴方はコナンくんたちに追いかけられていたのになぜわざわざ私の家に降り立ったのですか」
「変な風が吹いたんだよ。だから飛んでいられなくて丁度外に出ていて危険が少なそうだから、貴女の家に降りさせてもらったんだ。まさかここまで探偵たちが追いかけてきてるとは思わなかったしな。けどまさか探偵が来て逃げようとしたとき引き止められるとは思わなかった」
怪盗は私がはぐらかしたことに眉を寄せましたが、深くは聞いてきませんでした。
もしも深く聞いてくるようなら記憶を消すつもりでしたが、今回くらいのことなら大丈夫でしょう。彼だって今日のことを話せるとすれば爺やくらいでしょうし。
「ええ、虫の件はありがとうございました。そうです、先ほど二人へお土産に渡したパイの残りがまだありますが、食べて行きますか?外で見張っているかもしれませんしすぐに外に出ることはできないでしょう?」
「それ分かっていてさっきは帰れって言ってたのかよ」
「怪盗さんならどうにかなるでしょう?」
「私に高い評価をありがとうございます。でも、せっかくだからいただいてく。パイ美味そうだったし」
「あら、ありがとうございます」
素直にお礼を言いますと、怪盗はにっかりという言葉が似合うような自然な笑顔をしました。
虫で混乱したせいもありましたが。
私はホグワーツではスリザリンでしたので人懐っこい人はあまり馴染みがありませんので思わず、私もくだけて会話をしてしまいます。
こうして私たちは夜遅くまで一緒に過ごしました。
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[mokuji]