ただ、君の幸せを願う
明日の支度をしよう、と重い腰を上げたら、机の上にあった携帯が震えていた。
表示された名前に動揺しつつも通話ボタンを押して耳に当てる。
「あ、もしもし。兵助?まだ起きてる?」
「あぁ、起きてるよ。お前明日早いのに眠らなくていいのか?」
幼なじみの★は眠られないから、と電話越しで苦笑している。今からちょっと出掛けないかと聞かれ、時計を一瞥して今出るとだけ言って電話を切った。
夜もだいぶ冷えなくなってきた。春はもうそろそろなんだろう。家の門を出て左へ曲がると、★が小さく手を振って待っていた。
「ねぇ、公園行こうよ。私と兵助でよく行った公園。」
幼い頃は二人手を繋いで歩いて行ったのを思い出して笑みが零れる。じゃあ行こうか、と手を差し伸べようとして、やめた。
「懐かしいよねー、遊具がちっちゃい。私達も大人になったんだねぇ。」
「お前は未だに泣き虫だけどな。」
うるさいよと耳を引っ張られて笑いながら謝る。★は手を離して俺に笑いかけた。綺麗だと素直に思う。ずっと小さい頃から横に居たと思っていたのに、俺の隣には大人の女の人が立っていた。
「ねぇ、兵助?兵助は気付いてなかったかもしれないけど、私ずっと兵助の事好きだったんだよ。」
明日の為に伸ばし続けている髪を耳に掛けて、★は空を見上げながらそう言った後、驚いたかと聞いてきた。
俺はコートのポケットに手を突っ込んで、知らなかったと★の言う通り、驚いた表情で★を見た。
「やっぱり。昔っから兵助って鈍感だよねー。」
屈託の無い笑顔を向ける★を直視出来ず、そうだなとだけ言って俯いた。
「明日、だな。まだ現実味が湧いてないんだろ。」
足下にあった石を蹴り上げる。★もそれに倣って石を蹴っ飛ばした。
「明日だねー。本当に兵助の言う通り現実味が湧かないんだよ。私、結婚するんだね。」
そう、明日になれば純白のドレスを身に纏った★を笑顔で祝福しなければいけないんだ。
「幸せに、なれよ…。」
★の頭をクシャクシャに撫でる。
「ちょっと!幸せになるからっ、頭ぐしゃぐしゃにするなっ!」
笑いながら止めろと喚いている★から漸く手を退ける。
「兵助もさ、幸せになってよ?自分の事に無頓着すぎるんだから。」
弱い力で、脇腹を小突かれる。
いいんだよ、俺は。
「俺はお前が、★が幸せならそれで良いんだよ。」
バカ兵助、とはにかむ★を、抱き締める資格の無い俺は只黙って★を見つめていた。
★の携帯が騒々しい音で鳴る。明日早いのに何処ほっつき歩いているんだと★のおばさんからメールが来たようだ。
「やば、帰らなきゃ。兵助も帰る?」
慌てる★の背中を押してやる。
「俺はちょっとコンビニ寄りたいから、気を付けて帰れよ。」
わかったと頷き、★は走り出す。その背中に手を振った。
★が見えなくなった所で、呟こうと思った言葉は、両目からこぼれ落ちる熱い物によって遮られ、最後まで言えずに…。