味のしない飴玉
「久々知先輩、委員会のプリントです。」
放課中、次の教科の予習をしてるであろう先輩がノートから顔をあげる。眼鏡を外す仕草に思わず胸が高鳴った。
「あぁ、☆か。放課なのに悪いな、ありがとう。」
運悪く委員会の先生が担任になってしまい、雑用をよく押し付けられるのだが、久々知先輩にプリントを届けるという雑用を与えてくれた先生には心から感謝している。
「それじゃあ、失礼します。」
特に世間話などする間柄ではないので、早急に先輩の教室から立ち去ろうとすると不意に呼び止められた。
「これ、やるよ。」
ポケットに手を突っ込んで取り出したものを両手で受け取ると飴が一つ手のひらに転がっていた。
「あ、りがとうございます。」
それを大切にポケットにしまい、久々知先輩の教室を足早に去る。
自分の教室に続く階段で、やっと足を止めて深呼吸をする。ポケットから貰った飴を取り出して頬張る。優しい甘さが口の中に広がった。
「兵助から貰った飴、そんなにおいしい?」
突然声が降ってきた。顔を上げると、人の良さそうな笑みを浮かべた先輩が階段の手すりから顔を出していた。
「お、はま先輩…?」
何なんだろう、いつから私たちを見ていて、初対面の筈なのに何でそんな事を聞くのだろう。
「あ、僕の事知ってるんだ。そうだよね、いっつも★ちゃんが兵助の事を見つめてる時に横にいるもんね。」
当たり前かぁ、と言って笑っている尾浜先輩に驚きと動揺と嫌悪が私の頭を巡っていた。
「いきなり何ですか?」
感情がばれないように、拳を握る。飴の包み紙がくしゃりと鳴った。
「いや、★ちゃんって健気だよね。兵助の事大好きなのにそれを隠そうと頑張っちゃう感じが。あんまりにもまどろっこしくて、思わず声かけちゃった。」
悪びれもせず、にこにことこちらに笑顔を向ける尾浜先輩。ばれてしまう私も私だけれど、何故ほっといてくれないのだろう。
「尾浜先輩には関係ない事です。」
渾身の思いで尾浜先輩を睨み付けてみるが、尾浜先輩には全く通用しないようだった。
「あれ、大好きを否定するかと思ったのに。それじゃあ肯定してる事になっちゃうよ?」
誰か、誰でもいいから助けてはくれないだろうか。尾浜先輩の口を塞いで、私をここから連れ出してはくれないだろうか。必死に助けを求めてみるが、階段に人気は全くない。
「兵助が好きなら、好きって言っちゃえばいいのに。」
顔に熱を感じる。きっと私の顔は赤くなっているだろう。羞恥ではない、尾浜先輩に対する怒りで、だ。
「先輩には関係ないって言ってるでしょう?私はこのままでいいんです。ほっといてください。」
思いの他、声を荒げてしまった。思わず自分の口を手の甲で抑える。幸運にも予鈴が私たちの空間に鳴り響いた。
尾浜先輩は目を丸くして私を見つめ、またにこりと笑った。
「僕に強気でこれるなら告白なんて訳ないのに。まぁ、頑張りなよ。じゃあね。」
やっと解放され、気が抜けそうになるのを必死で抑え、震える足で階段を下りる。
「あ、★ちゃん。」
また尾浜先輩に呼び止められ、上を向くと何かが落ちてきた。反射的に受け止めて手の中の物を確認すると、今まで握っていた包み紙と全く同じ飴が私の手にあった。
「さっき★ちゃんが兵助にもらった飴、俺があげたんだ。俺ってちょっと恋のキューピットじゃない?」
私は何も言わずに階段を駆け下りた。息を切らし、自分の席に座って呼吸を整える。一体何なんだ、あの人は。
授業が始まっても、尾浜先輩の顔が頭にちらついて黒板に意識が行かない。
口の中にあった筈の飴はもう溶けていた。幸せだと感じた甘い飴は、尾浜先輩のせいで味がわからなくなってしまった。