見知らぬスタジアムの観客席で、見知らぬチームの試合を見下ろしている。
 くだらないケアレスミスの連発でなかなか進まない試合は見ていてもあまり燃えるようなものではないが、自分ならこうするだろう、ああするだろうと考えながら見れば少しは楽しめるものかもしれない。
 ぽんぽんとあっちへこっちへボールが飛び交う。お世辞にも素晴らしいと言えないプレイに観客達は歓声をあげる。鬼道の頭上には重苦しい鉛の空が延々と広がり、周囲の景観も、まるで灰色のフィルターでもかかっているかのようにどこか色が無く寂しげだ。鬼道は小さくため息をつきながら観客席にもたれこんだ。
 それから幾ばくも経たないうちに、鬼道の視界の端に鮮やかな色がはじけた。
 思わずそちらを見やると、よく見慣れた、けれども奇抜な髪型をした少年が、盛り上がる観客達の間にポツンと立って、じっとこちらを見つめていた。
「不動……」
 その呟きは実に小さく、歓声を上げ続ける観客達の声に飲まれて消える、……筈だった。
 しかし不動は、まるでその声が聞こえたかのように頷き、手を動かしてこっちを来いと鬼道に伝えてきた。
 僅かに思案したあと、鬼道は観客達の前を屈んで進み、不動の隣にまで来た。そして、何ともなしに振り向いた鬼道は驚きにかすかに目を見開いた。
 たった今まで座っていた席が無いのだ。どこまでも人、人、人。空いたままの席なんてどこを探しても見当たらない。
 摩訶不思議な出来事に鬼道が呆然と突っ立っていると、そんな鬼道の手を不動が掴んだ。
 鬼道がまた驚いて不動を見る。不動は「ここ出るぞ」と言うと、鬼道の手を掴んだまま走り出した。
 揃ってスタジアムを出ると、そこは背の高い木々に囲まれた色のない花畑だった。色がないと言っても、赤い花は赤く、黄色い花は黄色く、青い花は青く見える。ただ、胸を打つような鮮やかさがない。空も相変わらず薄暗い。
 そんな味気ない花畑の小道を、不動は鬼道の手を握ったままゆっくり歩いていく。鬼道はそんな不動の背中に声をかけた。
「不動…」
「なに」
「どこに、行くんだ?」
 そう聞くと、不動が突然足を止めた。その背中にぶつかりそうになった鬼道も慌てて動きを止める。
 不動が振り返った。
「……どこだろうな」
「なッ……」
「なぁ鬼道、おれらどこまで行くんだろうな。その先に何があるんだろうな。そこでおれら幸せを見つけられるのかな」
「な、に言って…」
「まぁ、今は何もわかんねェけど」
 鬼道の言葉を遮って、再び不動が歩き出した。
 随分と曖昧な世界に飛び込んでしまったものだと、鬼道は思った。それでいて心のどこかで、この状況に嬉々としている自分がいることに、思わず苦笑がこぼれる。叶わぬはずの願いさえ、今なら叶う気がしてならない。それもこれも、なにもかも、握る不動の手が温かいせいだ。
 しばらく歩いていると、小さな池のほとりにやってきた。不動はそこでゆっくり立ち止まると、またこちらを振り向いた。
「鬼道」
「なんだ?」
「あっち向いて」
 鬼道はよく理解しないまま不動に背中を向けた。
 その際に握っていた手がするりと解けて、ほんの少しだけ寂しくなる。
「ふ、どう…?」
「絶対動くなよ。じっとしてろ」
 いつもより真摯な不動の声に、鬼道は言われたとおり体を動かさず次の動作を待った。
 左耳をきゅっとつままれたかと思うと、軽い衝撃と、それを追うように鋭く、焼け付くような痛みが走った。
「いッ…!!」
 思わず体を硬直させる。血が出ているのか、ジンジンとした痛みが続いていた。
 鬼道には背後の不動が何をしているのかさっぱりわからなかった。それでもしばらくすると、一通りの作業が終わったのか、不動がぽんと肩を叩いて「終わり」と一言言ってくれた。
 力を抜いた鬼道はへなへなとその場に座りこんだ。不動も、そんな鬼道の目線に合わせるようにしゃがみこみ、かすかに微笑んで自らの右耳に手をやった。そこにはシルバーのピアスが一つ、色の無い世界でキラキラ輝いている。
「鬼道、これとおんなじヤツがお前の左耳にもついてんだ」
「ほ…本当か?」
「ハッ、嘘ついてどーすんだよ」
 不動は楽しそうにクツクツと笑っている。そんな彼を見つめながら、鬼道は心の内でとても歓喜していた。ずっと昔に恋心を抱いたまま、なかなか合うこともままならず、朝も昼も夜も、常に焦がれ続けた相手が、自分に証をくれたのだ。ずっと欲しかった。共に過ごした日々は次第に揺らいでゆく。そこで得たものの証が――例え叶わぬ恋だとしても――、ずっとずっと欲しかった。
 痛みの恐怖だとか、不安だとか、そんなものはすべてどこかに飛んでいってしまった。
 ただ、今この時を共に過ごせることが嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
 そんな感情に胸を踊らせていると、スッと不動が立ち上がった。鬼道はそんな彼を呆然と見上げる。
「どうしたんだ?」
「行かなきゃ」
「え?」
 不動の言葉に、先程までの晴れ晴れとした気持ちが姿を消し、漠然とした不安が鬼道を襲う。鬼道は慌てて立ち上がり、不動の肩を掴んだ。
「い、行くってどこにだ」
「いィだろどこでも」
「よくない……ッ、お前、それで…、帰って来てくれるのか? もう会えないんだろう!? また…、おれを一人にするのか!!?」
「おっ落ち着け鬼道!」
 不動に引き剥がされる。
 今度は不動が鬼道の肩を掴んだ。
「何言ってんだバカ。んなわけないだろ?」
「だが今までおれは…!!」
「信じろ鬼道! おれを信じろよ!!」
「…不動……」
「バカだろお前。おれらいつでも会えんだろ? 今離れたらまた明日会えばいい。んで、毎日毎日会えばいい。だろ?」
 不動が顔を覗き込む。
 じっと視線を絡ませていると、荒げていた鬼道の呼吸も落ち着きを取り戻し、鬼道は視線をかすかに揺らした後、足元に落とした。
「会えるのか?」
「そう」
「毎日?」
「そう」
「………寂しくなった時、いつでもか?」
「当たり前だバカ」
 不動の答えに迷いがないのを知ると、鬼道は力なく笑った。
「バカバカ言うんじゃない、バカ」
「うっせバカ」
 二人してクスクス笑いあった後、そっと不動が体を離した。
「行くのか」
「あぁ」
「…そうか」
 不動がこちらを向いたままゆっくり後ろ向きで進む。「転ぶぞ」と忠告してやると、「んなヘマしねぇよ」と返事が返ってきた。
「近いうちにまた会おう」
「あぁ。じゃあな」
「あぁ」
 不動はくるりと背中を向けると、迷いのない歩幅で歩いて行った。本当は走って行ってその背中に抱きつきたかった。でも、アイツを信じて待とう。鬼道は自らの左耳に触れた―――。









 聞き慣れた目覚まし時計の騒がしい叫びが耳を打つ。
 鬼道はもぞもぞ起き上がり、目覚まし時計を止めた。
 頭がまだぼんやりしている。そんな中で鬼道は無意識のままそっと左耳に触れた。なんてことのない自分の耳。ピアスもなければそのための穴も無い。
 そこまで考えて、鬼道は今見た夢をぼんやりとだが思い出した。
 色の無い世界。ずっと恋い焦がれていたアイツ。アイツがくれたピアスと言葉や気持ち。
 細かいところは思い出せないが、それでも鬼道は必死に頭を回転させて思い出そうとした。そして、覚えている限りのことを一通り思い出して、鬼道は自嘲した。
 なんて愚かな夢を見たのだろう。なんて愚かで、幸せな………。
 この気持ちはしまっておいたはずだった。自分にすら気づかれないように、小さく小さく畳んで隅にしまっておいたのだ。その上、最後に彼を見てからもう随分と時間が経っている。だというのに、この気持ちがこんなにも鮮やかに燃えることができるだなんて。
 まるで笑い話だ。もう会うこともない相手に勝手に恋心を抱いて、挙げ句の果てに夢にまで見てしまうとは。
 ふうっと息を吐くと、少し気分が落ち着いた気がした。
 女々しい自分を嘲る一方で、たとえそれが夢だとしても、愛する人に会えて喜んでいる自分がいることに気づき自己嫌悪の念を抱きつつも、いつまでもそんなことに構ってはいられない。
 鬼道はベッドから降りると白いシャツに袖を通した。




end












鬼道さんの耳を犯したのは縫い針っていうシーンを入れらんなかったです。




2011/09/17 22:45
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