掴まれた腕が痛い。
 おれの腕を掴むソイツの手の指先が白くなっている。そんなに力を入れていてはお互い痛くなる一方だ。
 おれ達の頭上には曇天の空が広がっている。おれ達の立つ切り立った崖の遥か下には、荒れ狂う海が広がっている。落ちたらまず助からないだろう。
「こっち見ろよ」
 ソイツが言った。
 おれの腕を掴むソイツの手のひらが、微かに震えている。
 ソイツは確かに笑っていた。皮肉な笑みだ。人を馬鹿にしたような笑みだ。目を細めて、見下すように笑っているのだ。
 なのにその手は震えていた。完璧な矛盾だ。目の前のソイツは必要も無いのに強がっていた。それを指摘したって意味がない。その強がりは、中途半端な覚悟から生まれたものじゃない。おれが一番よく知っている。
「覚悟できたかよ」
 ソイツはいつの間にか笑みを消していた。まっすぐにおれを見つめていた。
 だから、おれもまっすぐに見つめ返した。
「当たり前だ」
「怖いか?」
「そんなはずねぇだろう」
 そう、答えてやれば、ソイツは微かに微笑んだ。先程のあの皮肉な笑みなんかじゃない。安堵感に満たされたような、キモチワルイほどに優しい笑みだ。あぁ、キモチワルイ。
 ソイツはおれの腕を離した。
 サァッと血が通る感じがして、指先がジンジンと痛んだ。どんだけ強く掴んでんだよ。おれの腕にはくっきりと五本指の後が残っていた。
「早く来いよ?」
 そんな声が聞こえてきて、ハッと前を向くと、ソイツが崖の下に吸い込まれていくところだった。
 ソイツは落ちたのだ。
 崖の下をのぞき込むと、ソイツがこちらに腕を広げたまま、ぐんぐん海面へと引っ張られていくのが見えた。
 と、同時におれの足元から、ジャラジャラとやたらに大きい金属の音が聞こえてきた。
 大きな鉄の鎖は、ソイツの右足首とおれの左足首を繋いでいた。
 ばかばかしい。こんなのでおれを逃がさないつもりだったのか。そんなもの無くたって、おれは逃げたりしないのに。
 鎖に引っ張られて落ちるなんて情けない。
 おれは自分の足で、思いっきり地面を蹴った。
 気色悪い浮遊感のあと、おれはぐんぐん重力に従って海面に近づいていった。ごうごうと耳元で風が唸る。先に落ちてったアイツはどこだ? こんなに荒れた海を見てたって皆目見当もつかない。ひとまず何も考えないようにしていたら、突然激しい衝撃を体に感じて、息が詰まった。
 それからどれだけ時間が経ったのか。上下左右、とんと想像もつかないところにおれはいた。
 海の中にしちゃやけに静かだ。静か、というよりは、無音だ。
 そんなわけのわからない場所でただじっとしていると、いつの間にか目の前にヤツがいた。
 ソイツはまた笑っていた。
 おれはその笑みを形容できる言葉を持っていなかった。生まれて初めて見る表情だからだ。開放感に溢れてるのに、どこか哀しげな笑み。おれもそんな顔できるのだろうか。
 ソイツは言葉を発しない。おれは正直息が苦しかった。不思議だけど、ここはやはり水中らしい。逃した空気がゴボゴボとどこかに登っていった。
 ソイツはスイッとこちらに寄って来た。おれの肩に手を置いて、不思議な笑みを浮かべたままおれの顔をのぞき込む。
 息を止めてるのに必死だったおれは、とうとう抱えていた息を吐き出した。息は吸えない。ここは水中だ。
 おれが逃した空気がまたどこかに登っていく。アレを追って行ったらきっと助かる。でも無理だ。なんとなくだけど、きっとおれは助からない。
 ソイツが顔を寄せてきた。キスしてやったらソイツは大人しく目を閉じる。
 まさか最後に見たものが、目を閉じた自分の顔だなんて笑えるよな。
 そんなことを面白おかしく考えながら、おれもゆっくりと目を閉じた。




end












ふどふどの日に上げたかったヤツ。なんかよくわかんない



2011/08/12 22:42
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