「死者蘇生なんてできると思う?」
 今日は朝から雨が降っている。弱くなり強くなりしながら地面を叩くそれに、おれは少なからず憂鬱な気分になった。窓の外に広がる家々の屋根は雨に煙っている。
 特にやることもないので、大して面白くもない文庫本の活字を目で辿っていると、そう不動が問うてきた。
 ベッドの上にいるおれからは、ベッドに寄りかかる不動の頭のてっぺんから肩甲骨くらいまでしか見えないし、もちろん表情も見れない。しかし、その落ち着いて淡々とした声に飛角とした感情は読み取れず、それはまるで「ついでになんか買ってこれる?」とでもいうような日常的な響きを含んでいた。
 ぼんやりと活字を辿る目線を上げて、彼の後頭部に目をやる。不動は振り返りもせずに先ほどの問いを復唱した。
「なぁ。死者蘇生なんてできると思う?」
 死者蘇生。
 死者蘇生ってあれか。死んだ人が蘇るという小説や映画の中のあれか。
「そんな非科学的なこと不可能だろう」
 おれは死んだ人が蘇るとかいう映画やドラマが大嫌いだ。蘇るというのは、『死ぬ』という生命体の全てが必ず通らなければならない『絶対』に反している。恋人が死にました? 願ってたら蘇りました? あぁなんてくだらない。
 不動は、緑がかった暗い色のブイネックのシャツの袖を捲った。
 不動は実に現実的な人間だ。ふわふわした、現実と妄想を混ぜたような不安定なことは決して口にしない。常に自らの立場を理解し、能力を判断した上で、可能かつ現実的なことを言う。
 だから、死者蘇生だなんて単語を不動が発するのは、寝言か自分の聞き違いにしか思えない。が、さっき確実に聞いてしまった。二回も。
「不動、」
 呼びかけるが返事はない。
「不動は幽霊を信じるか?」
「…信じるかよ」
「じゃあ、死者蘇生は?」
 不動がちらりとこちらを振り返った。彼は再び前を向くと、ひとつ伸びをしてから、頭をコツンとベッドに乗せた。不動が逆さに見える。不動からは、おれも逆さに見えてるのだろう。
「死者の蘇生は不可能だよ」
 不動はきっぱりと言い切った。その声はどこか清々しさを感じる。じゃあなんで聞いたんだなどと言う気にはなれなかった。
「ヒトって複雑じゃん」
 不動は自分の右手を上にのばして天井に手のひらを向けた。
「ガッコーで習うけど、遺伝子がどうとかDNAだとかめんどくさくて複雑なんだよ」
 頭の中に生物教師の話が一瞬流れていった。
「そうだな」
「クローンってのはさ、あくまでソイツに似た誰かであって、ソイツじゃない。誰か全く別のヒトなんだよな」
「全く別というわけじゃないだろ。見た目は似るだろうし、体質も近いかもしれないし、何より同じ遺伝子を持っている」
「うん。それはそうかもしんない。けど、ヒトの性格は過ごしてきた環境トカで形成されるだろ。だから、同じヒトなんて作れないんだ」
 最後の方はまるで独り言だった。もしかしたら、自分に言い聞かせていたのかもしれない。不動はぼんやりとした眼差しを天井に向けている。
 おれも読んでいた文庫本をシーツの上に置いて、不動の見ている天井を眺めた。そこに何かあるというわけではなく、いつもと変わらない照明があるだけだ。ちなみに照明は点いておらず部屋は少し薄暗い。
「おれがさ、」
 しばらくしてから不動が口を開いた。彼を見ると、目があう。
「おれが、何言いたいか、わかんないだろ」
 非常にゆっくりとした口調だった。彼の目をじっと見つめてみても、怒りだとか喜びだとか、これといった感情は見当たらない。けれど、どこか力強い瞳だった。
 おれは「わからないな」とだけ答えた。本心だ。
「だろうな」
 不動は再び前を向いて、自らの膝を抱いた。丸くなると、不動が小さく見える。
「じゃあさぁ。もし、鬼道クンの大切な人が死んじゃったとしてさぁ。……会いたいと思う?」
「…その、大切な人に?」
「うん」
「……思うだろうな。すごく」
 先ほどそういったドラマや映画は嫌いだと言ったが、あれは別だ。思うのは自由だ。
「じゃあ、会えると思う?」
「思わない」
「科学がずっと進歩して、蘇生は無理でも、死んだ人と同じ思考をもったロボットかなんかができたとしてさ、そのロボットを大切に思える?」
「無理だな」
「……そう」
 不動が少し笑った気がした。
「何が言いたいんだ?」
「んー…?」
「用件を言ってくれ。こういうのは苦手なんだ」
「だぁよねぇ」
 根を上げて降参すると、今度こそ不動は笑った。クスクスと肩が揺れている。
「…別に、何か結論を知りたくて話したんじゃねぇんだ。ふと思っただけで」
 不動は穏やかな顔のまま続ける。以前の間柄であれば決して見ることのできなかったであろう優しい笑み。
「天国で待ってるからってよく言うけどさ、あれは残された人に向けての慰めでしかないんだよ」
「随分冷たいことを言うな」
「まぁね」
 耳を澄ますと雨の音がする。不動の長い睫毛がゆっくりと動いてまばたきした。
「で?」
「なにが?」
「だから、何になるんだ?」
「あぁ。おれ、思ったんだよ」
 不動がこちらを振り向いて、また笑った。年相応な無邪気な笑みにも見えたが、先ほどの穏やかさがかすかに残っている気がする。
「おれは」
 不動はそこで一呼吸分の間を開けた。
「おれは、後悔しない、―――最期に未練が残らないように生きたい」
 思わず自分の眉が上がったのが分かった。
 不動が何故おれにこれを告白したのか、分かる気がした。
 誰だって後悔したくないし、誰だって死ぬときは未練を感じるものだ。どんなに良く生きたって、振り返れば必ずどこかに取りこぼしが見えてくる。それは、避けられない。
 賢い不動はそんなこと分かっているだろう。だからきっと、不動の言う後悔というのは、自らの判断で事前に防ぐことができるミステイクのことだ。
「ならば不動」
「うん」
「今のおれ達の関係は、後に後悔する事柄か?」
「いや。続こうがそうでなかろうが、後悔はしないな。今死んだら未練は残るけど」
「そうか」
 それからしばらく部屋には沈黙が流れた。不動がベッドの上に顎を乗せて「腹が減った」と訴える。
 時計を見ると、正午まであと十七分だった。




end












ヤマナシオチナシイミナシ




2011/05/13 21:31
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