おかしいなとは思ってたんだけど、まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
「もっと自己管理をしっかりしてください。自分を守ることができるのは最終的には自分だけなんですよ。だから、自分のことは自分で…」
「うん。わかったよ…。……わかったから、もう勘弁して」
 今日ぼくは、本当の本当に情けないことに、練習中に倒れてしまった。
 朝から目眩がしてたし、体が怠いなとは思ってたし、熱っぽいなとはわかってたんだけど、放っておいたら治ると思って、そのままいつも通り練習に励んでいた。
 でもやっぱり、小さい子が公園でするサッカーとは訳が違い、練習なんてすごく厳しいメニューばかりだから、風邪菌に蝕まれてしまっていたぼくの体は堪えられなかったわけで…。
 それはすごく反省してる。変な意地とか張らないよ、もう。
 でも、チャンスウはお説教をやめてくれない。正直頭痛が悪化しそうだ。
「わかってないから言ってるんですよ。確かにあなたの体はあなたが責任を負わなければなりません。ですが、あなたはかけてはならない大切なチームメイトなんです。変に無理をされては困ります」
「……だから、練習に出たんだよ…」
「悪化させたらどうするんですか!」
 ベッドのわきに立つ彼の姿はまるでお母さんだ。でも、もうちょっと静かにして欲しい。頭が痛いよ。
「チャンスウ、うるさい…」
 ぼくが我慢できなくなって、うっかり本音を漏らすと、チャンスウがハッとしたように黙り込んだ。それから、ちょっと眉尻を下げて、ふぅって息を吐き出した。
「すみません…。つい熱くなってしまいました」
 チャンスウがタオルの水を絞って、ぼくの額に乗せてくれた。冷たくて気持ちいい。
「ですが、心配なんですよ。チームメイトとしても、…そうでなくても」
「ごめんね…」
 謝ると、チャンスウはちょっと笑って頭を撫でてくれた。子供扱いされてるみたいだけど、普段あんまり甘やかしてくれないから、ちょっぴり嬉しくなった。
「何か食べたいものはありますか?」
「…食欲ない」
「何でもいいから胃に入れないとダメですよ」
「……じゃ、チャンスウがなんか作ってよ。…そしたら食べる」
 これは意地悪のつもりだった。だってチャンスウが料理してるとこ、見たことないし。我が儘だとは分かってる。だけど、ちょっぴり甘えたいなと思ったのも、事実だ。
 チャンスウはなんて言うかな。それは無理ですって言うかな。もしかしたら怒ったりして。くだらないこと言わないでくださいよって。それは…、寂しいな。
「そうですか。わかりました。」
「………え?」
 予想外の返事に、ちょっとびっくりして目を見開くと、慌てて取り繕うみたいにチャンスウが言った。
「作りますけど、味はあまり期待しない方がいいと思いますよ」
「作ってくれるの?」
「そりゃあまあ、病人の頼み事くらい聞きますよ。…味の期待はしない方がいいですけどね」
 風邪ひいて、チャンスウや他のチームメイトに迷惑かけてるのに、なんだかすごく嬉しくなった。きっとチャンスウは、料理なんてほとんどしたことないんだろう。だけど、ぼくのために作ってくれるらしい。それってすごい幸せ。元気だったら飛び跳ねて喜びたいくらいだ。(できれば『病人の頼み事』じゃなくて『恋人の頼み事』って言って欲しかったけどね。)
「ありがとう。期待してるね」
「だから期待は……。…わかりました」
 大人しくしてるんですよと、何度も念を押しながらチャンスウは部屋を出て行った。怠くて、口を開くのも億劫だったから何も返せなかったけど、いくらぼくでも暴れたりはしないよ。
 パタンと、ドアの閉まる音が、いつもより静かに部屋に響いた。
 耳を澄ますと、グラウンドの方からみんなの声がする。…みんな、というか、多分晴矢と風介が喧嘩でもしてるんだろう。晴矢が声を荒げてる。
 いつもよりまとまりがないのはチャンスウがいないからだ。きっと。
 冷静に考えてみれば、やっぱり迷惑をかけてしまったわけだし、元気になったらみんなに謝ろうと思った。












 意識がゆっくりと浮上する。
 瞼の向こう側が少し明るく感じられて、うっすらと目を開くと、ぐわんぐわんと天井が回っていた。気持ちが悪くて慌てて目を閉じる。
 頭の中で小人が巨大な鐘をガンガンと打ち鳴らしていた。さっきよりも体が熱くて、なのに寒気がする。体中が痛くて、頭がぼーっとしてて、今自分の調子が最悪だなってことだけが分かった。ホントに情けない。
 でも、額の上のタオルだけはしっかりと冷たくて気持ちいい。誰かが新しくしてくれたのかも。
 こんな状態で起きてるのもなんだし、また寝てしまおうと思ったとき、さほど遠くないところでペラリと音がした。
 少し経ってからようやく、霞がかった頭が、それを本のページを捲る音だと判断する。
 もう一度、無理矢理瞼をこじ開けると、やはり天井は回っていたのだけど、さっきよりは酷くなかった。
 部屋は薄暗い。カーテンが閉まっている。今が何時だか想像すらつかないけれど、ひとつだけ分かることがある。この部屋の机のスタンドライトだけがついているということだ。
 ちょっと頭を傾けて、机を確認する。すると、橙色の光の下に、見慣れた背中があった。
 彼はいつもの如く読書をしているらしい。彼の後ろ姿を見た瞬間、すごく安心した。
 せっかく目が覚めたのだし、名前でも呼ぼうとして口を開くと、ぱさりと額のタオルが落ちた。
 あ、と思う前に、その音に気づいた彼が振り向いて、閉じた本を机に置き、椅子を持ってベッドのわきにやってきた。
「お目覚めですか」
 いつもより静かな声で言いながら、彼はタオルを濡らして、絞って、また額に乗せた。
 ぼくが返事をする前に、チャンスウはまた口を開いた。
「あぁ、無理して返事しなくて結構です。先程よりも熱が上がってるようですから」
 チャンスウは布団の乱れを優しく直してくれた。
 体が妙にふわふわしてて、なんとなく目に見えるものに現実味がないように思えた。
 チャンスウは、運んできた椅子に腰掛けると、ぼくの頬に手の甲を押し当てた。チャンスウの手、ひんやりしてて気持ちいい。
「チャンスウ……」
 うわ。情けないというかなんというか、かすれた痛々しい声しか出なかった。
 それでもチャンスウは、ぼくの顔に耳を近づけて聞いてくれる。
「……ね、今何時?」
 ずっと気になってたことを聞く。いや、もっと聞きたいことがあるんだけどね。
 チャンスウは上体をおこすと、ちょっと困ったみたいに笑った。
「さぁ、何時でしょうかね」
「…嘘つき」
 知ってるんだよ。チャンスウのこの顔は嘘つきの顔。ほんとは知ってるんでしょ?って意味を込めて、精一杯彼を睨みつけてやると、彼はしばらくたってから表情を崩した。
「まったく、あなたにはかないませんね。…今、夜中の一時を回ったところです」
 やっぱり。夜中の一時かぁ。そんな時間まで起こさせて、きっと明日の練習に響いてしまうだろう。申し訳なくて、罪悪感が胸のうちをぐるぐる回る。
「あなたがそんな顔をしないでください」
 ハッと目線を上げると、今度は優しく微笑むチャンスウがいた。
 チャンスウは、顔に出てますよ、と言いながら、2人の熱が交じって温くなった手を頬から離してしまった。
「あなたは自分の心配だけしてください。わたしの心配は無用です。…わたしは、自ら望んであなたの隣にいるんですから」
 これは、不意打ちだ。チャンスウ格好いい。いつも格好いいんだけど、その何十倍も格好いい。熱の所以じゃない、別の理由で顔が熱くなる。心臓が喉から飛び出そうだ。あぁ、チャンスウに殺されちゃうよ。
「……なんか…、チャンスウ、ぼくの奥さんみたい」
 照れ隠し。だけどチャンスウにはきっと分かってしまう。だって本当に、チャンスウにはかなわないもの。
 チャンスウはまた笑った。
 今日のチャンスウはよく表情を変えるな。熱のせいでそう見えてるだけかな。
 あ、そう言えば。
「ねぇ、チャンスウ」
「ん?どうしました」
 ぼくの記憶が正しくて、あれが熱の見せた夢でないとしたら。
「チャンスウの…、料理」
 最初彼はきょとんとしていたが、思い出したように、あぁと呟いた。
「食べ損ね、ちゃった…?」
 ぼくが訊ねると、チャンスウは
「まだとってありますよ。温めて来ましょうか」
 と言った。
 チャンスウがせっかく作ってくれたんだ。もちろん食べたい。でも、食欲なんてないし、それに…。
 ぼくは首をゆるく振って、立ち上がろうとするチャンスウを制した。
「…アフロディ?」
 そしてから、布団の下からもぞもぞと手を出して、チャンスウの手を握った。やっぱりチャンスウの手は冷たい。
 彼は、ぽかんとこちらを見ていた。でも、ぼくがちょっと笑うと、つられるみたいにして、彼も笑った。
「今は、このままがいい」
「……そうですか」
 安心感で胸がいっぱいだった。目をつむると、すぐに眠気が襲ってきて、深い眠りに落ちる直前、優しく頭を撫でられた気がした。












 ぱっちりと、一気に目が覚めた。
 爽やかな朝らしく鳥の囀りが聞こえる。
 窓のカーテンが開いていて、青い空がこちらをのぞいている。先の夜のようにひどい目眩や頭痛もなく、体が少し怠い以外は通常時となんら変わりない気さえした。
「目ェ覚めたかよ」
 声のした方を見ると、ベッドわきの椅子に晴矢が座っていた。
 腕を組んで、めんどくさそうにこっちを見ている。
「あ、晴矢。おはよう」
「…おぅよ」
 晴矢は短く答えると、組んでいた腕を解いて、大きく伸びをした。
「晴矢」
「ん、なに?」
「…チャンスウは?」
「ん〜、今監督と会議中」
「…そっか」
 チャンスウには悪いことしちゃったな。もちろん、他のみんなにも。
「晴矢、ごめんね」
「えっ」
 晴矢が目を丸くした。
「アフロディが謝った…。雪でも降んのか?」
「え〜、ひどい。ていうか、もう四月だよ」
「んなの知ってるわバカ」
 迷惑かけちゃってごめん。それともうひとつ。
「…ありがとう」
 また一瞬、晴矢が固まって、それから、ちょっと顔を赤くしながら目を泳がせた。
「別に、おれ何もしてねーよ」
「え〜、今隣にいてくれてるじゃない」
 居心地悪そうに眉をしかめる晴矢に微笑みかけて、体を起こす。
 早くチャンスウに会って、ありがとうって言いたいな。






おまけ
「ねぇちょっと」
「なんです?」
「晴矢どこか知らないか?」
「あぁ、彼ならアフロディの部屋ですよ」
「ふーん。あと君さぁ」
「?」
「昨日寝てないでしょ」
「!!」
「はは、丸分かりだよ。愛されてるねぇ、アフロディは」









ぐだぐだすみません。4日かかった…。ぐだぐだだよ…すみません。




2011/04/02 16:11
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