恋人が、なんの前触れもなくおれの部屋を訪ねて来ることは、ほぼ日常茶飯事だった。
 英国紳士と呼ばれるだけあって、やはり一般的な礼儀作法なんかはちゃんと身につけている彼が、初めて、電話ひとつよこさずに部屋に入ってきた時はさすがに驚いた。
 慌てた様子も隠そうとせずに、何故ここに来たのかを問えば、彼はただ真っ直ぐな視線をこちらに向けながら、
「宿舎の前を通りかかったら会いたくなった。それと、ありのままの貴様を見たいから連絡はしなかった」
 と言った。思わず脱力しかけたのを覚えている。その後、おれが何も言わずに―――何も言えずに突っ立っていると、彼はくるりと踵を返し、
「そんなに嫌なら帰る」
 なんて言うものだから、おれはあわてて彼の手首をつかんで、
「いいからゆっくりしていけ」
 と、彼をとどまらせることに成功したのだ。
 その日以来、エドガーは頻繁にここを訪れるようになった。そして、何をするでもなく、ただ普通にだらだらと過ごし、夕方ごろに帰って行くことを繰り返した。
 そして今日も、ちょうど一時間程前にエドガーはやってきて、今はベッドの上のおれの隣で、珍しくうつぶせに寝っ転がりながら、なにやら本を読んでいる。
「何読んでんだ?」
「知らん。さっきフィリップに借りた本だ」
「なんだか小難しそうだな」
 読むか?と、顔も向けずに差し出された。
「さっき借りたんじゃなかったのかよ」
「だいたい展開は読めてしまったからな。まぁ、君にはちょうどいいんじゃないだろうか」
「おいそれどういう意味だよ」
 思わず眉をしかめて問うと、彼はようやくこちらを向いた。一房の後れ毛がサラリと肩から落ち、不覚にも見とれてしまった。
「些か繊細さに欠けるが、豪放磊落な貴様にはちょうど良い話だ」
 フッと、楽しそうに―――しかしどこかしら悪そうに笑うエドガーは、恋人という関係を差し引いても、充分に美しいと思う。それが恋人だから尚更なのだが。
「いや、遠慮しとく。そういう本は柄にあわねぇ」
「だろうな」
 閉じた本をベッドの上に置いて、エドガーがこちらに寄ってきた。
「何をしているんだ?」
「見りゃわかんだろ。音楽聞いてんだよ」
「そうか。何を聞いているんだ?」
 そう言って、エドガーは、おれの右耳に顔をグッと寄せた。おいおい、近すぎやしねーか?
「うむ。意外と普通な曲なんだな」
「どんなの聞いてると思ったんだよ」
「もっと、こう、ガチャガチャしたやつかと」
 言いながらエドガーは、おれの左耳からイヤホンを引き抜き、自分の左耳に装着した。そして、ほんの一瞬、本当に一瞬だけ、満足そうに笑った。
 エドガーは時折、必要以上に背伸びをしたがる。そして彼は、おれに、ありのままの自分を見せてくれようとする。だから突然素直になったり、強がったり、たまに行動が矛盾する。でもおれは、そんなエドガーのことがやっぱり好きなのだし、無理をしてほしくないと思う。
 そんな思いをこめて、エドガーの肩をそっと抱くと、彼は抵抗することなく、肩に頭を乗せてきた。
 その優しい雰囲気を壊したくなくて、きりのいいところで音楽プレイヤーの電源を落とす。
 窓から差し込むオレンジ色の光が優しく部屋を照らした。
「どうして…」
 ぽつりとエドガーが呟く。
「どうしてわたしは、貴様なんかを好きになってしまったんだろうか」
「…その言い方はひどいぞ」
 おれの文句を無視して、エドガーは続けた。
「どうしてわたしは、テレス・トルーエを愛してしまったんだろうか」
「……エドガー?」
 顔をのぞき込もうとすると、彼は顔をさげてしまった。見るなと言うことだろうか。
「どうしてわたしは…、どうしてエドガー・バルチナスは、テレス・トルーエを好きになってしまったんだろうか…」
「…あぁ、」
 彼の言わんとすることが分かってしまって、思わず彼の体を強く抱きしめた。
「テ、レス…?」
「いい。仕方ないことだ。……でも…、住んでいる場所が、例え地球の反対側だとしても、おれはお前に会えたことを、後悔したりはしない」
 エドガーが、驚いたように顔を上げた。
「なんだよその顔。…おまえの考えてることくらい分かるっつーの」
 ぽかんと、呆けたままの表情でいるエドガーがなんだか可愛くて、二、三度優しく髪を梳いてやると、彼の体がゆっくりと離れていった。
 もったいないな、なんて考えていると、おれの右手にエドガーがそっと指を絡めた。
「エドガー…?」
「別に、貴様に会えなくなることを悲しいと思ったり、その事で、貴様に出会えたこと後悔していたわけではない」
 エドガーは、ふいとそっぽを向いたまま言った。
 よくまぁ、こんなに嘘がへたで、ここまでやって来れたなと思う。
 はぁ、と溜め息をつくと、エドガーの肩がピクリと震えて、チラリと目だけがこちらを向いた。
「……、おれは出会えたことを後悔したりはしないが…、会えなくなるのは、寂しいな」
 エドガーはようやく顔をこちらに向けた。彼の青い瞳が、続きを促している気がして、少し恥ずかしくなった。…でも、本心なのだから、包み隠さず言ってしまおうと思う。
「だから、よ。この大会が終わって、離れ離れになっちまったらさ、お前に会いにイギリスまで行ってやるよ」
 僅かにエドガーの目が大きくなった。こんなセリフ似合わないってことくらい本人が一番知ってるんだ。んなにじろじろ見んじゃねぇよ。
「テレス。顔赤いぞ」
「うっせー…、夕日のせいだ夕日の」
 エドガーがクスクスと笑う。嫌みっぽいそれではない、本当に可笑しそうな笑みだ。
「笑うな」
「あぁ、すまん。…テレス」
「あ?」
 笑いをおさめたエドガーが、フッと柔らかな笑みを浮かべた。
「わたしに会いに来いテレス。そして、そのままわたしと共にイギリスで暮らせ」
「おいおい、それはおれのセリフだ馬鹿」
 また、面白可笑しく笑い始めたエドガーに、今度は本当に脱力してしまった。仰向けに倒れて天井を仰ぐと、部屋の隅に掛かった時計が目に入り、そろそろ帰ってしまうのかと、少しだけ寂しく思われた。



end












ツンデレのデレ



2011/02/06 20:34
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