おれの足元に、芋虫みたいにうずくまって呻く、鬼道。
 ガンガン降り注ぐ太陽光がじりじりおれの後頭部を焼く。いつも煩わしいだけの蝉の声がいやに遠巻きに聞こえる。今のおれを現実に留まらせてくれてる唯一の音。いっそ耳元で鳴いて欲しい。
 現実味がなかった。こんなこと有り得ない、有り得ないって頭ん中で繰り返す。でもダメだ。現実味がなくても、嘘っぽくても、確かにそこには鬼道がうずくまってて、おれはわけわかんねぇ汗でびっしょりで、右の拳がじくじく痛んでた。
 おれは寒気を覚えながらも、しきりに脳裏に浮かび上がる古い光景を忘れようとしていた。誰だ、誰だ、誰かの握り拳が、誰かの体に、叩きつけられる。これは、誰だっけ。あ、違う。これは、そう。父さんだ。多分。もうよくわかんねえ。頭の中でもう一度握り拳が叩きつけられる。今度は、鬼道、に。
 おれはどうやら、鬼道を殴ってしまったらしい。酷いことに、おれの拳は鬼道の腹に入ったようで。背中丸めて呻く鬼道がゲホゲホと唾液を吐き出す。
 寒気と震えが止まらなかった。こういう時に限って言葉は出ない。第一、なんて言えばいいんだよ。自分で殴って、すぐ謝るってなんだ。変だろ。おれらしくない。あ、でもどう考えてもこっちが悪いに決まってる。
 頭はぐるぐる空回り。肝心なことは何も浮かばなかった。ああどうしたらいいんだ。鬼道、死なねえよな、まさか。でもいてえだろうな。
 おれは変化を待っていた。誰か鬼道を探しに来ればいい。早く見つけてやってくれ。痛そうだから。それか、鬼道がむくっと立ち上がって、おれを強く睨みつけながら殴ってくれたりしねえかな。死ぬほどいてえ殴り方してくんねえかな。ま、どちらにせよおれは早く逃げたいだけなんだけど。
 顎の先や前髪からポタポタ汗が落ちる。普段の練習ん時よりずっと汗をかいている。冷や汗、かな。喉がやたらと渇いてた。
「不動ーっ!!」
 不意に円堂の声が響いた。ハッとして振り向くと、捜したんだぞーと笑いながら、こっちへ駆けてくるのが見えた。良かった。
 円堂は何も気づかない様子で笑っていたが、おれの足元の赤いマントに気がついたのだろう。目を見開いて慌てたように走ってきた。円堂はおれのわきを通り抜けて、慌ただしく鬼道の体を抱きかかえる。
 おれは二、三歩後ずさりをした。ぶっちゃけもう逃げたい。
 円堂が何度も何度も鬼道を呼ぶ。鬼道はそれに、大丈夫だと途切れ途切れに答え、おれを見た。
 背筋を冷たい氷でなぞられたようだった。目が合う。鬼道の目には困惑と、少しの侮蔑の色。頭の中でガンガン鳴り響く警告のサイレン。
「ふ、どう…」
 名前を呼ばれた瞬間、おれは駆けだしていた。足がもつれそうになった。心臓がギリギリ痛い。目の前がチカチカして、あ、貧血だ。早く休まなきゃ、とは思うけど今は無理だ。走って走って、いつもの何倍も疲れて走って。
 やっと木陰に入って、木にずるずる背中を滑らせながら座り込んだ。バカみたいに吹き出る汗は止まった。寒気もだいぶ治まった。でも心臓と右の拳だけは、ずっとずっと痛かった。





きえないこぶし

 2012/08/18


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