このままで。

Always been this way.

Unknown Color

 単色の世界の先に、久し振りに見る人混みが広がる。硬質な地面を歩く感覚はもはや新鮮。後ろを振り返ると、昨日ぼくたちの行く手を阻んだ砂嵐の気配は何処にもない。
 意識せずとも確実に溜まっていた疲労感。旅を始めてから最長の砂漠を進む日がようやく途切れると思うと、少し気が軽くなった。


 日本を出立してから二週間余り。行く先は初めから決まっていた。その中で、仲間の顔ぶれは変わっていた。
 違うのは人だけじゃない。ぼくは、根付いていた他人への無関心が無くなりつつあった。賑やかな一行といる中で、孤独を感じる方が難しくなった。ポルナレフやジョースターさんに何かあったら、放っておけない。助けを求めていたら、すぐに行く。心配だと思ったら、勝手に付いていくかもしれない。ようやく掴み始めた、きっとこれが、『仲間』という感覚。彼らを心から信頼出来ることに、誇りを覚える。断言出来る。それでも━━

「おれにもようわからん」

承太郎、君への気持ちは、『仲間』とは違う。


 着いたホテルでの部屋割りは、大抵ぼくと承太郎が一緒。最初に泊まったホテルで、ぼくが承太郎と同室で良いと名乗り出たからだ。
 歳が近いのだから、学生同士なのだから。
 誰も口にはしなかったが、そのまま部屋割りが決まったのはそういうことだからだろう。
 今回も案の定、二人部屋に通された。勿論嫌がることもない。鍵を受け取り早々に部屋へ向かう承太郎に付いていった。

 共通点がある相手で振り分けされても、違う人間。上手くいかない事態は当然起こりうる。ぼくはそれが異常に多かったのだと思う。そもそも、他人に同調するのが嫌だった。
 それはおそらく、彼も同じ。


「ここだぜ」

 承太郎が開けたドアの先に、ベッドが二つ、テーブル一つとその上に灰皿。冷蔵庫の中身は出ていない。三階のこの部屋の窓からは、暗くなり始めた空と、家や店の屋根とが見える。静まり返る空間に、ぼくと承太郎を除く人の気配は無い。……敵も見当たらない。
 用心してとは言え、気を張り続ける日々は息苦しい。おちおち二人でいる時間も安心できないなんて。
 同じように部屋を見渡していた承太郎が、カーテンを掴む。確かめるとカーテンを閉め、ぼくに照明を付けるように言った。明るくなった部屋にも、やはり違和感はない。承太郎が振り返る。敵はいないようだ、と彼の目が語った。

「ハイエロファントも、部屋から何も感じ取っていないですよ」
「そうか」

 噛み合っている。誰と組み合わせてもぎこちなかった心の歯車が、彼とは上手く噛み合うようになっている。自惚れが過ぎると思われるだろうか。
 腰掛けたベッド。白で統一された寝具は少し眩しい。 

 徐に承太郎の手がズボンのポケットに伸びる。
(……吸うかな)
 見つめていると、不意にその手は止まった。あれ、と頭に疑問符を浮かべる。一呼吸置いて、はあ、という承太郎の溜め息が聞こえる。

「……煙草がねえ」
「え?」
「忘れたとは言わせねえぞ」

 承太郎がポケットから取り出した物。その手に煙草などなくて、透明なケースに入った見覚えのある模様が見えた。ああ、そういえば。

「ジョースターさんの優しさじゃないか。トランプは身体に悪くない」
「優しさなんかじゃねー、ジジイのおふざけに巻き込まれてるだけだぜ。それより、てめーがすり替えた犯人だろ。しかも忘れてやがる」
「ばれてましたか」

 だって、仲間からの頼みを断る事は出来ないもので。言い訳すれば、返る言葉はぼくだって予言出来る。

「「やれやれだぜ」」

 重なった声。

「……ふ、っくく、ハッハハッ!」

 想像通り過ぎて、嬉しいよりまず笑えてくるよ!
 そんなぼくの横で、承太郎は帽子の鍔を僅かに下げる。不機嫌そうにベッドへトランプの入ったケースを放つと、わざとらしく音を立てて腰を下ろした。
 ひらり、一枚のトランプが舞う。もうひとつのベッドの隅に腰掛けていたぼくの足元までやってきた、スペードのエースのカード。拾い上げてよく見てみると、少し黄ばんだ数ミリのセロテープが付いていた。ジョースターさんのカードにこんな加工がされているということは……。目的は見当が付く。

「ジョースターさんじゃあないけど、ぼくは君の次のセリフ、当てられましたね」

 子どもが親にやり遂げたことを自慢するかのように、誇らしげな話し振りをしてみせた。誉めてほしい。なんて幼稚な願望だろうか。

「……あれはイカサマじゃあねえのか」
「勿論。まず、ぼくはそんなに器用じゃあないから」

 ああ、とうなずいたけど、それは貶してるのかな?

「てめーの不器用さは、悪い意味じゃねえだろ」

 それって誉めているのかな?違っていても、嬉しいんだけど。遠回しに、君はぼくを認めてくれている。
 結局は推測でしかない、つまらない思考。止まることはなく、ぐるぐると抜出せない迷路を構築する。自分で深みにはまっていってしまうのは、やはり器用じゃないということか。
 想像が想像を生み出して、ショートしそうなほど脳内細胞が活発化している。そう思える。思いたい。たかが一言を深読みして、耳まで赤くするとはどういうことだ。
 閉じたままだったケースに、イカサマに使った━━少なくとも使おうとはしていたはずの━━カードを入れた。ケース越しのトランプは青い格子模様。均整のとれたその形とは裏腹に、ぼくの頭の中はくしゃくしゃになっている。
 二人きりに加えて黙っているのに耐えられず、無理矢理話題を作った。

「昔、家にあったトランプと似てます、これ」
「やってたのか」
「マジックの真似事を。手先が器用なら出来るんだと思って」

 くだらないことに夢中になっていた子ども心を、今は理解出来ない。他人に心は開かなかったが、あの頃の自分は、もう少しきらきらと目を輝かせて、何かに没頭できていたのかもしれない。

「おれは、ピアノが弾ければ楽器はなんでも出来ると思ってた時があったぜ。親父はミュージシャンだし、おふくろもピアノは弾けた」
「楽器といい、相撲といい、君って結構関心が広いんですね」
「家系なんだろう、そういう」

 見ていればわかるだろう、という口振り。冷たくあしらうことも多々有れど、承太郎はやはりジョースターさんの孫。似ていることを、理解するより感じている。
 好奇心と行動力。承太郎の広い視野と洞察力は、こういうところにあるのだろう。


━━そういうところも、好きだな。

 好きだな。
 繰り返して何度目かの、単純な四文字だった。

「君が一番好きなもの、聞いても良いかい」
「好きというより、興味があるなら、海だな」
「へえ!それは知らなかったよ」
「まあ……わざわざ言うことでもねえからな」

 海が、好き。語りながら瞳のグリーンは穏やかな光を湛えて、ぼくの知らない目になった。長い睫毛が綺麗だ。その口が、君の言葉が伝える砂浜の白。波打つ青。ずっと先では空と触れ合っていて、手前では波止場の灰色のブロックで水飛沫が起きている。脳裏に浮かぶぼくの風景とは、きっと違う。見ているものは同じじゃないから。
 まだぼくらは、共有しているものが少ない。君が話してくれて、少しずつ増えていく。

 一通り承太郎が話し終えると、静寂が部屋を包んだ。二人とも、次の話題が見付からない。でもそれは、心地好い沈黙。

「……好き、」
「あ?」
「僕も好きな海があるんだ。旅行の途中で見るだけの海もたくさんあったけど、一番に好きなのがある」
「……どこだ」
「秘密だよ」

 承太郎の関心をこれだけ引く海が、狡い。だからあえて引き合いに出す。小さな対抗心だった。眉間を曇らせているのは、話に引き込めた証だと思う。

「代わりに教えるけど」
「代わり?」
「君が好きだよ」

 勢いで言ってしまった言葉。また二人の空間は静まり返る。さっき承太郎が話し終えた後とは違う。心が張りつめていて、いち早くここから立ち去りたくなった。

「……やっぱり不器用じゃあねーか」
「じゃ、じゃあ、君は器用に返事をしてくれるのかい?」
「出来ねえな。おれも好きだとしか言えねえぜ」

 余韻が響きを増して、ぼくの頭の中でこだました。
 居たたまれないようで、承太郎はまた帽子を深く被る。立ち上がると、生成り色のカーテンに向かって決めセリフ。

「……えっ、と」

 閉ざされた籠の中では、空の広さも移り変わる色も、想像するしか無かった。鋼の檻の中で、秘めていた憧れがあるだけだった。
 初めて知った彼の心。雨よりもごくわずかに、乾いた地面に滲む。ぼくに染み渡る。

「……ありがとう」

 ただただ、いとおしい。

 歩み寄って、手を取る。絡んだ指は無意識で、見つめた碧玉の煌めきが揺らいだ。期待で寄せた顔に顔が近付く。息が触れたところで羞恥心に負けた。彼の耳元へ唇は逸れた。

「これからで、いいかい」
「……そうだな」

 パレットに混在していたの様々な絵の具が、またひとつ混ざった。ぽとりと滲んだ色は優しい。
 好き。
 二人でバラバラだった言葉が、ようやくひとつに溶け合った。
 これからを描くキャンバスはまだ白。瞼の裏で探すのは、二人のいるずっと先の未来。

 承太郎の胸元を擽る前髪。全てを受け入れてくれるような温もりに、そのまま意識を手放した。



 随分最近の夢を見た。それとも、もう昔のことだろうか。


 聞き覚えのある靴音が、病室の前でテンポを遅くした。止むと同時に、ノック音。扉の向こうに立つ彼の名を呼んだ。

「承太郎」
「入るぞ」

 がらりとドアが開く。近付く足音。包帯の巻かれた目には、何も映らない。

「ジジイが財団と連絡を取っている。おわったらここを出るぜ」
「そうか。当然だね、ゆっくりはしていられない」

 それなのに、すまない。
 みんなの力になりたい。たとえそれが一時のことでも、燦然としていた日々がもう戻らないように思える。モノクロのスナップ写真を寄せ集めただけの記憶。その中の時は戻りもせず進みもせずにいた。

 承太郎が歩み寄る。さっきより彼を感じて、少しだけ鼓動が速度を増した。無言のまま、寄り添うように承太郎が腰掛けた。
 静寂。
 不器用なぼくは、またあてのない思索に耽る。

 足枷は重くて、長く太い鎖は全身の自由を奪っている。こんなことが起きるのはぼくだけでいい。
 霞んでいる輪郭は、存在まで不確かだと言っているかのよう。掴めない距離感は、触れられない恐怖を煽る。踏み出せない焦れったさは、また罪悪感にも似ていた。
 
 近付く承太郎の手に注意を払っていなかった。顔面を撫でた風でそれを悟ると、身体を強張らせた。一瞬、殴られるのかと思った。
 衝撃の代わりに、頬に触れた温もりと、包帯越しに輝いた光があった。

「忘れたとは言わせねえぞ。約束しろ。てめーの海、教えろよ」
「……海、かい?」
「知りたくてしょうがねえ。だから、一人のものにするな。一人になるんじゃあねえ」

 かしゃり、という無機質な音は、新たな一枚が撮られたのか、それとも鎖が切れたのか。
 ぼくにしかわからない色が、辺り一面を包んだように見えた。色を取り戻した幻覚だったのだろうか。しかし、フラッシュを焚いた刹那のようなこと。
 小さく頷くと、包帯越しにぼくの涙ごと包む彼の手に自分の手を重ねた。

「一緒に行こう。せっかくの海だし、夏が良い。次のぼくの誕生日、ならどうだい」
「……いいな」

 きっと次の夏に行くのは、知らない海。あの海にぼくと君がいる光景は、今まで無かったから。二人がいる新しい海は、何色なのだろう。

「約束の為にも、おれらのとこに来い」
「待っててくれるかい」
「たりめーだ」

 ぼくの髪を梳く手が、くっきりとぼく自身の形をなぞる。両の頬を包む手は固い感触。

「……てめーしか知らねえってのが気に食わねえ」
「まだ言ってる!?それ、嫉妬ってやつ?」
「ああ、海にな」
「……えっと、つまり、」

 視界が暗い。言葉を遮るように承太郎が距離を詰めたのは照れ隠しだと悟る。言わんでいいと咎めるものだから、尚更そうだと思わせた。触れそうだった額同士が離れていくところで、当てずっぽうに唇を近付けた。重なった柔らかさ。

「君を信じてるよ」

 花の香りが漂う。もう一呼吸。

「ああ」

 確かめるように伸ばした手が承太郎の頬の線をなぞる。また唇を向けて促すと、臨界はゆっくりと溶け合った。





花承闇鍋企画提出作品。お題は「純情カップル、『それ、嫉妬ってやつ?』」でした。
プロットからイメージを広げたかなみさんのイラストに、私が肉付けした形になります。かなみさんの素敵なイラストのおかげで、どんどん物語を膨らませていけました。しかしうまくまとまらず2部構成になりました。
かなみさん、本当にありがとうございました。

pixivに投稿したものはこちらです。

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