現代文の授業中
他の生徒が教科書を朗読する声を、ボーッと聞いていた

今の俺の席は、一番後ろの窓際という特等席。
一生席替えしたくない。

隣の席の名字も、他の女子と違って必要以上に話しかけてくることもなくて気が楽だ。

むしろ俺の方から名字に話しかける回数の方が多いかもしれん。

だってこいつはいつも不思議なことをしている。
今も黒板には何も書かれていないのに、必死にノートに何か書いているし…


「なぁ、何書いとるん?」


「カレーパンマン」


「…なんで?」

「カレーパンが食べたいから」


最後にやっとこちらを向いて、無邪気な笑顔を向けてきた。

カレーパンマンを食う気か?

変なやつ

つられて笑ってしまった。

こんなやり取りに、どこか癒されている自分がいるのも確かだ。



こんな風に名字を観察していると、すぐに部活の時間になる。


今日は変装の特訓と強化として、柳生の姿で練習をすることにした。

まぁ特訓というのは建前でただおもしろいからなんじゃけど

まだ練習が始まるまで時間はある。
部室で柳生に変装してから、せっかくなので他のやつも騙してやろうと
校舎をウロウロすることにした。


さぁてまずは誰から騙してやろう。
赤也は練習が始まってからでも十分からかえるし…



お、あれは…


名字だ

何やら重たそうなダンボールを持っている。
そういえばあいつは美術部だったな。
今から美術室へ向かうのだろうか。


よし、まずは名字から遊んでやろう。

たぶん今俺は、柳生の顔には似合わない悪い笑顔をしているだろう。

だってあいつがどんな風に騙されるのか楽しみでしょうがないのだ。

そんな感情を押し殺てからにこやかな表情を作り、名字に話しかけた。


「大丈夫ですか?重そうですね。私が持ちますよ。」


「え…?わっ柳生くん?!いいよ!慣れてるから!」


まんまと騙されとる
笑いたい、だが我慢じゃ我慢


「いえ、持たせて下さい。困っている方を放っておくなんて、私の気が済まないのです。」

そう言って丁寧に名字の手から荷物を持ち上げた。


さぁどうしてやろう。
このままただ美術室へ向かうのはオモシロくないし…などと、これからどんな仕掛けをしようかと斜め後ろを歩く名字の顔を盗み見た。



………何だ、その顔は…


驚いた
いつも通りマヌケ面でトコトコついて来ているのだろうと思いきや



顔を少し赤らめて、目を伏せながら


隣の席の少し変わった人間ではなく
恋をしているような、少女の顔をしていた



こいつ…柳生に惚れとるんか…?!



想像もしていなかった事態に、遊んでいる場合ではなくなってしまった。


とりあえずダンボールを美術室まで運ぶと、そそくさとコートに戻った。




なんだったんだアレは…

恋をしている人間の目はよく分かる。
テニス部の周りにはあんな目をして近寄ってくる女子ばかりだから


もし名字が本当に柳生に惚れているなら、俺はもしかして最低なことをしてしまったのでは…

コート上の詐欺師とか自分で言うくせに良心が残っている辺り、俺もまだまだやのと思う。


とにかく気になってしまい、あの名字の顔が頭から離れなかった。



次の日学校に行くと、どこかポーっとしている名字の顔があった。
いつもボーっとしているやつではあったが…今日は何かが違う。
ポーっとボーっとでは明らかに違うのだ。

昔姉の少女漫画で見たような、丸い点々が飛んでいそうな感じだ。

「おい…」

「あ、仁王くんおはよー」


「お前、柳生に惚れとるんか」

もう悩むのは面倒なので率直に聞くことにした。もし嘘を言われても見抜く自信はある。
名字は明らかに嘘がつけないタイプだ。絶対顔に出る。



「それがさぁ、わかんないんだよね…」


わからん…だと?


予想していた答えとは違っていて、大分拍子抜けだ。しかも嘘をついてるような感じでもない。


「今まで特に何とも思ってなかったんだけど…昨日柳生くんが私の持ってた荷物運んでくれてね、」

あぁ、それ俺じゃな


「その時の柳生くんがすーっごいかっこ良く見えたんだよね。」


うん、それ、俺じゃ…


名字はまたその事を思い出したのか、へへへと笑い出した。

気味が悪い…
というか、それは俺なのに
その腑抜けた顔が俺じゃない所に向いていることに気持ちが落ち着かなかった。


「そうじゃ…ちょっと来い」

「え?もう授業はじまる…いたたた!」

無理矢理、名字の手を引き、A組の教室まで引っ張った。


ドアの影から少し顔を出し、柳生を見せる。


「どうじゃ?昨日みたいにときめくか?」


「……ううん。ときめかない。普通だ…というか何か昨日の柳生くんと違う人みたい…」


ドアに隠れてときめくときめかないの話をしているなんて
ハタから見れば変質者だ。

だが、これで一つ分かった。
こいつは柳生に惚れているのではなく、柳生の姿をした俺に惚れている。


それが分かると、何やら急に楽しくなってしまい、昨日の罪悪感も忘れて再び放課後に名字のもとへと向かった。
もちろん柳生の姿をして。

美術部員に名字は屋上で写生しているはずだという情報を聞き、まっすぐに屋上庭園へ向かった。

扉を開けると、色とりどりの花と
座り込んで絵を描く名字の姿があった。


「美しい絵ですね。」


「…あ…ゃ、やぎゅうくん!」

柳生の姿をした俺に気付くと、名字は昨日のように顔を赤らめた


そう、この顔だ。

俺のことが好きな顔。
その表情を見ると、なぜか心が満たされた。




でも次の日の朝になると、名字は心ここにあらずな顔をしている。

俺を、仁王の姿の俺を見ても、あの表情はしない。

それが何だか物足りなくて、気付けば俺は
放課後になると毎日柳生の姿をして、絵を描いている名字のもとへ通った。その度あいつは恥ずかしそうに楽しそうに笑って
普段の俺じゃ見られない顔をした。


最初のうちはそれで満足していたが…

その表情は素直に俺に向けられたものじゃない。
柳生に向けられたものだ。


そのうち名字は廊下を通る柳生を目で追いかけて、
「やっぱり何か違う…」とかつぶやきながら
それでも柳生をよく気にするようになったようだ。




おもしろくない


柳生ばかり見るな

アレはオレだ

柳生ばかり見るな

俺を見ろ




自分で始めたくせに
なんて勝手な言い分

でも俺はこの勝手な言い分のワケを、もう自分ではわかっている。




「柳生くん、ここに少し緑を足すのってどうかな」

いつものように、放課後の屋上庭園で
絵を描く名字

その視線は真っ直ぐと絵に向けられている。





「名字」

俺の声で名前を読んでから、
眼鏡とウィッグを外した時の彼女の表情ときたら…





こういうのも
一種の恋のはじまり、なんじゃないだろうか