夜になっても体にまとわりつくような
もわっとした空気


本格的に夏が始まり、夏休みがやってきた。

でも今年受験を控えている私にとっては嬉しさよりも憂鬱な気分が勝っている。

去年までならわくわくしながら、普段は見れない深夜番組に夢中になっている時間なのに


目の前の問題集を睨みながら、受験勉強は夏が勝負ですよ!と張り切る先生の声を思い出した。


あー、疲れる



幸村くんの声
聞きたいなぁ



ぼんやりと携帯電話を手に取り、アドレス帳の
や行のページを開いた。

同じクラスだから、アドレスと番号は知っている。

知ってるけど…別に付き合ってるわけでもないのに
用事もなく電話なんかかけられない。



幸村くんは今何してるかなー
練習に疲れて、眠ってしまっただろうか。


アドレス帳の幸村くんのところをいったりきたり



…………勉強しよ


虚しくなって、待ち受け画面に戻そうと
ボタンを押した


はずだった




「あ…?……あー!」

やばっ!
通話ボタン押しちゃった!!!


どうしよう!
切っ……いやでも切ってももう幸村くんの着信履歴には残っちゃうし…
メールで謝るより、このまま電話で謝った方が…

とかパニックになっている間にも、
携帯の向こうではルルルルと
恐れ多くも幸村くんを呼び出す音が。




『もしもし』


「…!!もっもしもし!」


『どうしたの?めずらしいね、電話なんて』

わー!
幸村くんが出ちゃった!!


焦りと緊張の一方で、久しぶりに聞いた幸村くんの声に
嬉しくてドキドキしてしまった。



「実は間違って通話ボタン押しちゃって…ごめんねっ寝てたよね?」


『起きてたよ。俺も宿題やらなきゃいけないし。それにしてもほんとおもしろいことするね、君は』


よかった…幸村くんの眠りを妨げてはいないみたいだ

テニス部の練習があるから、夜しか宿題やる時間ないんだろうな


電話から、幸村くんが笑う声が聞こえる。
きっといつもみたいに少し意地悪な笑顔をしているに違いない。

想像するだけで、気持ちがぽかぽかしてきた。


『名字さんは何してたの?』

「わ…わたし?私も、勉強だよ…」


そうだ、勉強…
さっきの幸せな気分から、一気に現実に戻された感じ

あー、勉強しなきゃ…


『どう?進んでる?』

「うん……ちょっと、つまずいてるかも…」

声に覇気が無くなっていくのが自分でもわかる。


『しょうがないなぁ…じゃあ問題。俺は今、どこにいるでしょう』


「どこって…家じゃないの?」


『さぁどうだろう。ちょっと窓から顔出してみてよ』


え?

ええ?!

もしかして……
うちの前に、幸村くんが来てっ……?!





イスが倒れそうな勢いで立ち上がり、窓をガタガタと乱暴に開けて顔を出した


「ゆ、ゆきむらくんっ…………あれ?」


誰もいない…

窓の外には真っ暗な景色が広がるだけ。

どこかの犬の遠吠えが虚しく響いた。



『ふふ…はははっごめん…冗談』

「〜!!」

勝手に勘違いした恥ずかしさと騙された悔しさで
顔がみるみる熱くなってきた。


『そんなタイミングよく君の家の周りをウロウロしてないよ』

そう言いながら、まだ幸村くんは笑ってる



「もう!ひどいよー!」

口では文句を言いながらも、なんか楽しくなってきてしまった。

学校ではよくこんなやり取りを幸村くんとしているから。


まぬけな私は、すぐに幸村くんの冗談を信じてしまって
そんな私を見て幸村くんは、楽しそうに
いたずらっ子のように笑うんだ。

そんな時間がとても大事で、幸せ。



「もう絶対だまされないからね!」

『それ何回も聞いたよ』


確かに…

敵わないなぁ



『やっと元気出てきたね』

「え…?」

『なんか声が君らしくなかったからさ。名字さんは、笑顔がいちばんだよ。』


「ありがとう……」

素直に嬉しかった。
幸村くんは少し意地悪だけど、それ以上にやっぱり優しいんだよね。



『つまずいてるのってどの問題?』

「え?えーっと…数学の問題集の…32ページ」


『あぁこの図形問題?』

「うん…お昼からやってるんだけど、全然ダメで」

電話からパラパラと問題集をめくる音が聞こえる。


『図形か…電話じゃ難しいかな…』

「?」

幸村くんが何か考えるように呟いてる



『明日時間ある?』

「え?うん、勉強しか予定ないし」

『図書室でこの問題一緒に解かない?明日も昼まで練習があるからその後で良ければ、だけど』


願ってもなかった展開に、今日何度目かわからないパニック状態


「おっ…お願いします!」


『ふふ…じゃあ約束』



わー……

わー……!

すごい!
幸村くんと夏休みに会えるんだ…!



また明日、と電話を切ると
思わずベッドに飛び込んだ

枕に顔を押さえても
だらしなくにやける顔が収まらない



こんな素敵なことが起こるなら
受験勉強も悪くないなぁ