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「へぇ、偉いじゃん。ちゃんと一人で来れたんだ」
「おまえ――」

 振り返れば、そこに立っていたのは見たことのある――つい昨日会ったばかりの生徒だった。
 残念なことに、名前が思い出せず――確か名乗ってくれたはずなのだが――頭を悩ませた俺に、その生徒は呆れたように嘆息をこぼすと再び名乗り直してくれた。

「葉月亮太、今度忘れたら怒るからね」
「葉月、葉月ね。たぶん覚えた」

 昨日覚えられなかったのはアレだ。動揺するようなことをこの生徒――葉月が言うから。
 俺の記憶力が悪いわけじゃないはず、と内心言い訳をしながら見返すと、葉月は満足気に笑んだ後窺うように周囲を見渡し、そして告げた。

「トロそうな君のことだから二人に見つかるんじゃないかと思ったけど、なかなかやるじゃん」

 きょろきょろしていたのは、どうやら周囲に将也と律の姿がないかと警戒してのことだったらしい。俺が二人をうまく巻けたかどうか確認したようだ。
 葉月が念をいれるのも無理はないと思う。俺は今二人に用事があるからと嘘をついてこの場所にいることになるが、あの二人の鋭さを彼らのファンである葉月はもちろん知ってるわけで、バレる可能性もしっかり想定済みなのだろう。
 むしろ、今こうして二人を騙しきれたことが快挙といっていい。もしこれが俺だけの意思で実行に移した行動であれば、俺の嘘なんて間違いなく二人にばれていたに違いなかった。
 この昼休みに、二人からどう離れるか計画を立てたのは――すべて葉月。二人にどう告げてどのルートでこの隠れ場所へと向かうのか、俺はただ葉月から指示された通りに動いただけなのである。

「葉月から教わった通りにしただけだよ」

 正直にそう言えば、葉月はさも当たり前と言わんばかりに「まあ僕の作戦が完璧なのは当然だよね」と言って不敵な笑みを浮かべた。
 その鼻っ柱をへし折ってやりたくなるような態度だが、実際問題、葉月の賢さは認めざるを得ないため反論はできなかったりする。というのも、あの鋭い二人を葉月が出し抜いたのは事実であり、彼らの凄さを知る俺にとってはそれは十分感嘆に値することだからだ。
 だが素直に肯定してやるのはなんだか癪で無言を貫けば、なぜか葉月はなにを言うでもなくベンチに座っている俺の隣にスッと腰を下ろした。
 葉月の目的だったのだろう、俺がちゃんと二人から離れているかどうかの確認は済んだのだから、彼がここに留まる理由はないはずだ。なのにどうして、と訝しめば、視線から察したらしい葉月が口を開いた。

「寂しそうだからさ、いてあげようと思って。君を一人ぼっちにさせたのは僕でもあるからね、しょうがないから相手してあげるよ」

 葉月の物言いは、ぶっきらぼうで横柄なものだった。しかし、そのこれまでの態度からは考えられない優しさの垣間見える台詞に、俺は意味を計かねて瞠目してしまう。
 昨日から散々浴びせられた暴言の数々から、俺が彼に嫌われていることは嫌でもわかっているから余計にだ。
 葉月は目的さえ果たせれば、俺のことなんかどうでもいいはず。なのになぜ気にかけるような行動をとったりするのだろうか。

「っていうのは冗談で、放課後のプランを伝えようと思ってね」
「……」

 俺には葉月の考えていることがさっぱり読めなかった。冗談だったらしいが、それこそ何のためにだという気がする。

「――で、君は急いで家に帰ればいい。ねぇ、聞いてる?」
「……聞いてる」

 ご丁寧に放課後の計画まで立ててくれている葉月。そんな彼に頷き返しながら、俺は心の中で、もしかしたらそんなに悪い奴ではないのかも? と葉月に対する印象が和らいでいくのを感じていた。
 なぜかはわからないが、敵意を向けられているはずなのにこうして並んで話している空気は思いの他穏やかで、居心地の悪さは感じない。不思議と以前忠告をしてきた親衛隊に抱いたような不快感はなく、どうにも憎めない感じがしたからだ。
 俺に手厳しいのは将也と律が好きすぎるせいで、本来は普通の道徳観念を持ち合わせた少年。そう思ったら、きつく感じる口調もまったく気にならなかった。

「出かけるって嘘つくんだから念のため部屋のカーテンは引いて電気もつけるなよ」
「はいはい」
「ほんとにわかってるの? 僕の作戦がいくら完璧でも、実行する君は腑抜けてちゃ意味がないんだからね」

 いや、やっぱり気のせいかも。じとりとした目で睨まれて、その生ゴミでも見るかのような視線に俺は思い直しながら、慌てて「わかってる」と何度も頷き返す。
 と、唐突に、

「……あのさ、」

 それまでの威勢がなりを潜めた、どこか躊躇うような口調で切り出した葉月は、

「……なんだったら本当に出かけてさ、うちに来てもいいけど?」

 なぜかそう、小さな声で呟いた。
 つい先ほどまで半眼になっていた瞳も、今は躊躇いがちに伏せられている。
 そんな葉月を前に俺は、その視線の合わない顔を見返しながら首を傾げるしかなかった。
 ますますどうすればいいのかわからなかったのだ。『うちに来てもいい』とは、彼の家に誘われていると考えていいのだろうが、葉月の真意がわからない。友人どころか敵意を抱いている相手を家に招くなんて、そんなの気まずすぎるのにもほどがあるだろう。
 自分の家を提供することも厭わないくらい、俺に将也と律から離れてほしいのかもしれないが――。しかし、さすがにそこまでしてもらわなくても家で息を潜めるくらい俺にだってできる。
 だから、だ。
 そんな思いも込めてちらちらとこちらを伺う葉月に、俺は首を横に振って、告げた。

「え、別にいいよ。断る」

 その後俺が、「うん」と頷くまで葉月と押し問答を繰り返すことになったのは、言うまでもないかもしれない。


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