地獄に響く笑い声

 ずん、と腹に衝撃が走った。同時に熱くなる。
 衝撃が来た後ろを振り返ると、男が立っていた。

「に、に、兄さんが悪いんだ」

 男は歯をカチカチ鳴らしながら言った。それで、ようやく目の前の男が高校生の弟だということが分かる。
 久しぶりに見た弟はガリガリに痩せていて、目は落ち窪み頬は痩け、顔中に汗をかいていてまるでジャンキーだった。

「お、俺が、あ、んな目に、合ってるのに、助けないから、自業自得、だ」

 弟は吃りながら笑う。

「ざまあみろ」

 弟の手には汚れた小さなナイフがあった。
 俺は視線を下げる。横っ腹が赤く染まっていた。


*****


 夜が怖かった。
 どんなに目を瞑っても布団の中に隠れても、あいつがやってきたから。
 母は知っていたけれど、あいつを恐れていたから何も言わなかった。朝が来て、母を俺が見つめると、俺が怖いのか視線を外された。だけど目は口ほどに物を言い、母の目は汚らわしいと俺に言っていた。
 弟は、俺を劣等生の出来損ないと馬鹿にしていた。だから俺をよく殴った。体が小さい俺は反撃なんてできなかったし、考えたこともなかった。

 俺はついに我慢が出来なくなって、自分の顔をナイフで切った。顔に傷が付けばあいつは興味を無くすだろうと思ったのだ。
 だけどそれでもあいつはやってきたので、今度は目の前で腕を刺してみた。
 あいつは俺を君悪がって、ようやく俺は安眠を手に入れた。

 そうしてしばらく経ったある夜、俺は物音で目を覚ました。
 廊下に出ると、弟の部屋から明かりが漏れていた。くぐもった声が聞こえてくる。
 俺はそっと中を覗いた。
 部屋には弟とあいつがいた。あいつは弟の上にのし掛かり、弟を殴りつけていた。
 俺は息を潜め、二人を見つめる。
 少しして弟がグッタリとしてきた。あいつは待ってましたとベルトに手をかけた。
 カチャカチャカチャカチャ。
 ベルトを外す音が聞こえる。
 カチャカチャカチャカチャ。
 ベルトが外された。
 俺はもう部屋に戻ろうと思い、一歩下がった。弟はイヤイヤと顔を振ってあいつから逃げようとする。
 弟と目が合った。いつも俺を嘲笑ってきた目が涙で濡れている。
 弟は俺を見つめた。助けて、と訴えていた。
 俺は微笑んで、口を開いた。

 ざ、ま、あ、み、ろ。
 声に出さずにそう言うと、弟の目が驚いたように丸くなった。
 俺はあいつに気づかれないように笑いながら自分の部屋に戻った。


*****


「ざまあみろざまあみろざまあみろ」

 弟は狂ったように笑いながら繰り返す。
 俺は腹を押さえて膝を地面についた。
 荒い息を吐く俺を弟は嬉しそうに笑う。

「ざまあみろざまあみろ。俺を助けないからだ」

 あいつに犯される弟を見たとき俺が思った事と、同じ事を弟が言う。

「…ば、かだな」

 俺は呟いた。
 弟のギョロりとした目が俺を見る。

「父さんは、いなく、なっちゃあ、くれねぇんだよ……」

 そうだ。
 手に入れたはずの安心はすぐになくなるんだ。
 あいつが近くにいなくても、あいつの手、息遣い、言葉、全てがまだ俺に残っていた。
 安眠はすぐになくなってしまう。今度は悪夢に悩まされるようになる。
 だから俺を殺してムショに入ったって、あいつはまだお前の体に潜んでいるんだ。お前は楽になんかなれやしない。

「ざまあみろ…」

 俺は弟を見て笑ってやった。
 意味が分かった弟がちくしょうちくしょうと叫ぶ。
 ざまあみろ。

end



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