人魚姫
水シリーズ_プール
ぽしゃんっ、と水がはねる。
わたしが脚を振り下ろしただけで、
波が踊る。
「ねぇ衛輔くん。
わたしって前世人魚だったのかな」
ばしゃばしゃ水を泡立てると、
水飛沫が掛かる衛輔くん。
迷惑そうに目を細める衛輔くんは、
はぁ? と、
ちょっとだけ不機嫌そうだ。
暑い日差しが気に入らないのか。
内緒で学校のプールに
侵入したからヒヤヒヤしてるのか。
もしくは私の言葉が理解出来なかったのか。
まぁなんでもいいかと、
またぴしゃぴしゃ脚を振る。
わたしは水が好きだ。
例えそれに不純物が
入っているとしても綺麗だし、
まるで宝石のようだから。
しかし動いているそれは
宝石とは違って、
同じ表情は二度と見せてくれない。
そんな水が揺らめいていない時。
わたしが少し触れただけで波が立つ。
ゆらゆらと、わたしを歓迎するように。
制服のままプールサイドに腰掛け
素足を水に付けるわたしと、
隣で何一つ乱していない
制服姿のまましゃがみこんでいる
衛輔くん。
直射日光のせいでとても暑そうだ。
ズボンめくって脚つけるだけで
とっても涼しいよ。
「これ、帰るまでに乾かなかったら
どうすんだよ…」
飛沫で水玉模様ができる二人の制服。
いい加減にしろと言いたいのだろうか。
わたしはやめないぞ。
衛輔くんの部活まで
あと1時間あることを知っているから
まだ遊びたい。
きっと自主錬をするために
早く来たのだろう。
それなのに付き合ってくれる
衛輔くんは、とても優しい。
「うーん、しかし申し訳ないな。
衛輔くんが自主錬できないの。」
「全く思ってないだろ」
失礼な。
ちょっとくらい思ってるよ。
よきお友だちである衛輔くん。
もし練習不足で失敗なんてしてたら
心が痛むよ。
そんなこと有り得ないって
知ってるけど。
「ねえ衛輔くん。
わたしがもし人魚だったら
どうする?」
「焼き魚にして食う」
「わたしは煮魚がいいな」
ってコレ何の話だよ。
と笑うと、
衛輔くんもちょっと笑ってくれた。
それがなんだか嬉しくて、
笑いながら脚をまたばたつかせる。
楽しいな。
こんな楽しい夏、
終わらなきゃいいのに。
「今年で衛輔くんと話すの最後かな」
「なんだよ、急に」
心と一緒に沈む、
静かになった脚。
ああ、水の中は気持ちよくて
引き摺り込まれそうだ。
急に黙り込んだわたしに
衛輔くんは戸惑っているらしい。
あー、いや、なんだ…その、と
唸っている衛輔くん。
なんだろう。
何かを伝えたいのはわかる。
同じ大学行こう、とかかな。
無理だね。
わたしたち
学力も好きな科目も違うもん。
水面がゆらゆら。
わたしが荒らしたそのパレットは
すごく綺麗で。
じっと見ていると
衛輔くんの様子なんて
どうでも良くなってきた。
思い切りここに飛び込みたい。
ふと、
絵本の人魚姫が最後のシーンで
海に飛び込むところを思い出す。
「人魚姫って、
最後海に飛び込んで泡になったあと、
月に行って王子様を見守ったって
お母さんに聞いたの」
話がコロリと変わり
衛輔くんはえっ、と声を出す。
突然、
来年の話じゃなくなったからね。
でもごめんね。
なんだかとても悲しくて。
来年、
わたしも衛輔くんもここにいなくて。
わたしが振り回してるのは
衛輔くんじゃなくて、
衛輔くんを
振り回してるのはわたしじゃなくて。
それぞれ別の道を行くことが、
どうしてこんなに悲しのかな。
人魚姫は泡になっても
死ねなかった。
月に行って、
王子様が別の人と
幸せになってるのを
どうして見ていられたの?
じっと耐えていたの?
きっと飛び込んだら、
人魚みたいに泡になって、
それで…
透明なキャンバスの中に
吸い込まれそうになった時。
「流石に飛び込むとか
悪い冗談はやめろよ」
真剣な声と共に、
ぎゅっと横から抱きしめられる。
しかしその重みから体が傾く。
これは衛輔くんがわるい。
ゆらりと揺れる視界
ばしゃんと落ちるわたしたち。
わたしが
やっと水の中に来てくれたと、
水たちが祝福をして
小さな泡をぷくぷくと生み出す。
わたしはどうやら
泡にはなってないみたい。
空中で離れた衛輔くん。
水の中に沈む姿を見つけて
手繰り寄せて抱きしめる。
そのまま光る方へ、水面へ。
嵐の中溺れた王子様を助けたのは
人魚姫。
だけど数日後王子様から
人魚姫の記憶はなくなっていた。
ああ、わたしも同じように
来年には忘れられるんだろうなぁ。
二人でぷはっと息を吸う。
衛輔くんは咳き込んでいた。
水を飲んでしまったのかな。
プールサイドに上がった衛輔くんは
このまま部活行ったら
怒られるだのなんだの、
頭を抱えていた。
じゃあ行かずに一緒に遊んでようよ、
とは言わなかった。
わたしはせっかくなので、
そのままプールの中にいた。
「お前なぁ」
「衛輔くんがわるい。
突然抱きついたりするから」
理不尽に怒られる気配を感じて、
わたしは素直に思っていたことを、
文句言う。
私ひとりなら飛び込んでも
良かったのに。
さっきのは衛輔くんが
押したようなもの。
だから、
落ちたのは衛輔くんがわるい。
そういうとこは、
はっきりさせたいタイプだからね。
「…お前が、
泡になるかと思って焦った」
…衛輔くん、何を言ってるの?
「衛輔くんの頭の中はお花畑ですか?」
「お前に言われたくねぇ!!」
ぎゃんぎゃんと怒る衛輔くんに
くすくすと笑う。
「残念ながら、
前世は人魚かもしれないけど
今は人間だよ」
ざばっと陸に上がると
衛輔くんは顔を真っ赤にしていた。
まぁこうなるだろうなとは
わかっていたけど。
「あー透けちゃった〜大丈夫、
乾けば問題ないし、よくやるし」
「よくやるのか!?
お前そんな格好で、
フラフラ歩いてんのか!?」
教員に見つかると、
怒られるか心配されるかの二択で、
他の生徒には
見られても何も言われない。
なので、問題ない。
スカートを絞っていると、
衛輔くんがカバンを漁り始めた。
「これでも着てろ」
ふぁさっと
肩に掛けられたのは長袖のジャージ。
バレー部のやつかな。
「暑いからいらない」
「着ろ!!」
うぇー、
という顔をしたら怒鳴られた。
だって暑いじゃん、
熱中症になるよ。
それに羽織ってない方が乾くし…
と、言っていたら
とても衛輔くんが近いところにいた。
というか、
近いというか触れてる。
口ではないけど、
頬のあたりに口付けられた。
「そのうち喰われるぞ」
誰に、塩焼きにされるの、
とはなんか聞ける空気ではなかった。
大きなその目に
じっと見られてしまうと、
何も言えなくなってしまった。
「…ええと、ごめん…?」
謝ると別に。
と、そっけない返事をして
衛輔くんは離れていった。
なんなんだろう。
とりあえず
すっごい顔も体もあつい。
夏の日差しとは違う暑さ。
「もう一度飛び込んでもいいかな」
「やめろ!!」
怒っている衛輔くんは
顔が真っ赤なまま、
バレー部へ行くと言って
フェンスを乗り越えていった。
制服がだいたい乾いたら、
ジャージを返しに行こう。
人魚姫が痛くて痛くて
仕方がなかったこの脚。
わたしは不思議と、
まったく痛くなくて、
とても軽やかだった。
だからわたしは
泡になんてならなくても
月に行かなくても
きっと大丈夫。
王子様が魔法の口付けを
してくれたから。
ねえ衛輔くん。
大学が離れても、
わたしに会いたいって
思ってもらえるように頑張るよ。
近い未来。
どうかわたしを、
お姫様にしてください。
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