喧嘩で追い出された桜屋敷(ちぇ)

 ××と喧嘩した。原因は、取るに足りないことである。そこからヒートアップし、とうとうどちらかが出て行くことになった。外へ出たのは、桜屋敷である。「付き合ってられんッ!!」と叫び、彼女が「頭を冷やしてきなさい!」と外へ指を差す。結果、桜屋敷は数歩歩いて思い出した。(ハッ!! カーラ!)カーラを彼女宅へ置いてきてしまったのである。右手首に嵌めた腕輪にしか、カーラの気配がない。それに、肝心のボードは彼女の家にある。これでは徒歩だ。「クソッ」小さく悔しさを吐き、一旦離れる。おめおめカーラがいないからとの理由で帰っては、面目が立たない。桜屋敷薫の立つ瀬がなかった。──とはいえ、喧嘩の理由は『カーラ』絡みではない──。『AI書道家桜屋敷薫』にしては珍しく、街歩きをした。当然、『AI書道家桜屋敷薫』のファンと鉢合うこともある。そのときは穏和な笑みを浮かべて対外的に返し、興奮するファンを見送る。時には、サインなどに応じた。「あっ、あの! 毎日読んでます!!」「そうですか。それはありがとうございます」ニコリ、と柔和な表情で応対した。──恐らく、出版社から頼まれて出した自伝のことだろう──エッセイともいう。サラサラと携帯したペンでサインを書き、ファンへのサービスを終える。こうした柔らか態度と、穏和で人当たりの良い対応、書道家というミステリアスな側面に、整った容貌もあるのだ。当然、女性のファンも想像より遥かに多い──とはいえ、それも喧嘩の理由ではない──。
 歩くたびに、ファンと鉢合わせてはサービスを行う。『犬も歩けば棒に当たる』頻度はそれ以上だ。疲れてもくる。××と一緒に来た方が、遥かに良かった。
(アイツがいるだけで、虫除けにもなるからな。いったい、どうするべきか──ん?)
 ふと足を止める。桜屋敷の目に、あるものが止まった。それを見つめて暫し、考える。彼女の好物がなにかと考えたあと、その店に入った。流石に、これを携えた状態だと、声をかけられることはなかった。
 扉をノックする。閉じた扉の向こうから近寄る気配がし、ドアスコープを覗く間が開く。そこから、ガチャリと鍵が外された。そうっと扉が開けられる。作られた隙間に、桜屋敷は買ってきたものを見せた。
「んっ」
 ケーキの箱である。白の無地であり、消費期限と店の名前を記したシールは見えない。微かに箱が揺れたが、中が空ではないということを示していた。出迎えた彼女は呆れる。桜屋敷は、もう一度告げた。
「ほら。お前、こういうの、好きだろ」
「そうだけど。これで、ご機嫌を取ったつもり?」
「そ、ういうつもりじゃない。ただ、お前が喜ぶと思ってだな!」
「急にキレないでよ。で?」
 ムッとする彼女に、桜屋敷はなにもいえなくなる。直視もできず、視線を外へ向け続けた。揺れたケーキの箱が、斜めから地面と垂直になった。桜屋敷の腕が、ダランと落ちる。「あー」「その、だな」喧嘩を吹っ掛ける言葉は湧き上がるが、肝心のものが出てこない。口論のやり取りでは埒が明かないからだ。
 目を泳がせる桜屋敷に、彼女は呆れる。折れて、桜屋敷を家に上げた。
「もう、とりあえず入ったら? カーラも忘れてるんだし」
「忘れたんじゃない。預けたんだ」
「はいはい。そう強調しなくてもわかるから」
「ならいい。ほら、お土産だ」
「薫って。絶対家庭を持ったら亭主関白になりそう」
「えっ」
「ただそう思っただけ。口煩そうだし」
「いっておくが」
 玄関先で会話を続けながら、桜屋敷は訂正をする。
「俺は、亭主関白になどならんぞ」
「へぇ?」
「相手を絶対に圧迫しないし、ある程度の自由は認める」
「『ある程度』ねぇ」
「俺だって嫉妬はする。当然、少しくらい口は出してしまう」
「へぇ、自覚はしているんだ」
「どっかの誰かが、素直に聞いてくれんおかげでな」
 チクリと含ませた棘に、彼女はムッとする。これに構わず、桜屋敷は口に出した。プイッと顔を逸らす。
「好きなんだから仕方ないだろう。嫌でも目に付く」
「えっ、は?」
「興味がなければ、そこまで気にすることもないだろうが」
 腕を組んだついでに、ケーキの箱が傾く。しかしながら、両者共々それどころではなかった。××は顔が赤くなり、桜屋敷は意図せず伝える。
「それくらいわからんのか」
 横目でチラリと××を見る。その呆れた視線に、××は顔を赤らめたまま、ジト目で返した。
「薫って、さ」
「なんだ、いってみろ」
「時々、とんでもないことをいいだすよね。自覚している?」
「は? どういうことだ、いってみろ」
「そういう偉そうな態度なのにさぁ、はぁ」
「おい。訳が分からんぞ。ちゃんといえ!!」
「いーやっ! 自分で考えて」
「おい、××!! 答えを放棄するな!」
 部屋の中へ戻る××を、桜屋敷が慌てて追いかける。扉が開けっ放しだ。「おい、××」「いわないと、わからんだろ」「おい」追い縋るような桜屋敷の声が中から漏れ、部屋の主が顔を出す。廊下に誰もいないことを確認すると、扉を閉めた。
 パタン、と音が鳴る。ケーキの中身がぐちゃぐちゃになっていたことを見るのは、後のことであった。
「んっ、なッ!?」
「まぁ、そうだろうとは思った」
 絶句した桜屋敷と呆れて納得を見せる××を見るのも、諸々のことが終わってからだった。


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