どうにか不安を取り除きたい

(あっ。意外とボロネーゼ、美味しい)冷凍食品を食べての気付きだ。流石うどんの麺にこだわりのある香川県。パスタの麺も美味しく、具材まで完璧だ。それを虎次郎だとどのように作るのか気になって、あるとき頼んでみた。
 メニューにあるのを指差す。いつもと違うのを頼んだせいか、虎次郎がキョトンとした顔をした。
「ん? それでいいのか?」
「まぁ、うん。ちょっと気になって」
「あぁ、いいぜ。他にご注文は?」
「カルボナーラを頼む」
「本当、お前は相変わらずだなっ!」
 どさくさに紛れて頼んだ薫に、イーッと虎次郎が睨む。このやり取りも相変わらずだ。変わる気配がない。営業外の時間帯に頼んでも、作ってくれる虎次郎も相変わらず。「腹が減りすぎているのか?」『普段から栄養に配慮した健康的な食事をオススメします』カーラのお節介は、強くなったような気がする。それほどAIが感情の機微や人間性を学習したか、もしくは。(薫の、影響かな)所有者《マスター》の感情から学習していったか、どちらだろう。椅子に凭れかかる。「うーん、まぁね」ボロネーゼを食べたい以外の感情が消えて、どうも説明が難しい。悩んでいると、薫がジッと此方を見ていることに気付いた。
「な、なに?」
「お前、なんというか、その。あれ、だな」
「あれ?」
「その、なんていうか。あれで」
 聞き返すと、薫が顔を背けた。着物の袖に腕を突っ込んで、なにやらゴニョゴニョといっている。『落ち込んでいるように見えたので、マスターが心配しています』あ、なるほど。カーラがクッション役となり、薫が切り出した。ゴホン、と咳払いをしてから、こちらに振り向く。
「顔に元気がない」
「それはどうも」
「だから、その」
「ん、栄養ドリンク?」
『違います』
「そっかぁ」
「カーラで遊ぶな」
「会話をしただけだよ?」
「まぁ、気分転換は大事だもんな」
 厨房からひょっこりと虎次郎が出てくる。相変わらずデカい。「いつ見ても、筋肉すごいよね」「それはどうも。もっと褒めてもいいんだぜ?」「それはあとで気になったら」こうも軽く受け流されたら、気持ちも楽になる。(本当、こういう気遣いが得意だよなぁ、虎次郎って)流石女の子をナンパして、気持ちよくしたまま帰れるだけある。いや、気分的な意味の方で。
 出されたものを見る。ボロネーゼじゃない。思わず横にいる虎次郎を見上げる。
「えっ。これって」
「自信作。ちょっと食べて、感想を聞かせてくれないかな?」
「あ、あぁ。うん」
 特に強制するような意図は感じない。(本当に、親切で出しているんだろうな)お言葉に甘えて、小さなフォークを手にする。デザート用だ。一口に切って、味を見る。
「ん、美味しい」
「だろ? ソースも自信作なんだぜ」
「退け」
「あ?」
「本当だ。サッパリとしたクリームにスポンジの食感。味わいがサッパリとした軽いものなのに、急に甘さのアクセントが付いて、いいね」
「だろ?」
 本当薫との態度の切り替えが早い。黙って頷く。(あ、もしかして)気を遣われているのか。それなら申し訳がない。けれど、虎次郎のボロネーゼが食べたかったのは事実で。薫がいたら、カーラと話せるんじゃないかと思って。(あ、あれ)──それら全て、言い訳では? そう考えが出た途端、勝手に涙が出た。「あっ、やべ」慌てて顔を逸らして、目元を拭う。良かった、一粒だけ出たようだ。右目を拭う。あっ、やべ。左目の一粒をキッカケにして、ボロボロ出ないでほしい。背後で感じる空気が、気まずい。
「あー。実をいうと、パスタが出来上がるまで時間が掛かるんだよなぁ。具材を煮込むやらなんやらで」
 そう虎次郎がわざとらしくいってくるのが、申し訳なく感じる。グズグズと出る涙を放置し、ティッシュを探す。あっ、ハンカチしかない。それで鼻の下を拭く。うわっ。困惑する薫の視線が、私の背中を刺したり刺さなかったりする。それにも申し訳なく感じた。(早く止めなきゃいけないのに)グズッと鼻を鳴らして飲み込んだら、「えぇい!」と後ろから自棄になった声が聞こえた。声が大きい。ついでに椅子も、ガタッと後ろへ倒れかけた。ビクッとして音のした方を見る。虎次郎は相変わらずだけど、薫が肩を震わせて仁王立ちになっていた。なんで、こっちを睨む。
「いいから、来い!!」
「えっ、いや、パスタ」
「一時間くらい掛かるからなぁ。戻ってきたら、茹でるぜ」
「で、でも、カーラが」
「カーラは充電中だ」
 虎次郎がカーラの代わりに答える。えっ、そんな。いや、あの薫が。困惑したまま、薫に腕を引っ張られて店を出る。カララン、と退店を告げるベルが鳴った。「あの薫」「いいから、乗れ!」乱暴にバイクに乗せられて、ヘルメットを押し付けられる。「いや、はっ?」乱暴に聞いたというのに、薫は答えようとしない。虎次郎の店の裏に入り、ヘルメットを脇に抱える。(あっ、虎次郎のじゃん)無断拝借だろうか? 苦々しい顔で、薫がバイクに跨る。思った通り、前方は運転者のシートだった。「それ、虎次郎の」「いうなッ! 他にヘルメットがないんだ!」どうやら、認めるのも嫌らしい。苦々しい顔でヘルメットを被ろうとすると、刹那地面に投げ捨てる。それほど嫌なのか。
「確か、交通法だとヘルメットの着用は基本だって」
「チッ! バレなければ大丈夫だろ」
「桜屋敷薫、プッ。AI書道家、巷で有名な先生が補導で捕まって逮捕とか。クッ、ふふふ」
「笑うな。クソッ」
 といいつつ、地面に投げ付けたヘルメットを拾う。あっ、被るんだ。桜屋敷先生、意外と外面を気にする。それも、昼間だからだろうか。「俺も被ったんだ。お前も被れよ」シールドを上げるのは、せめてもの抵抗か。「うん」私もヘルメットを被る。あっ、すごい薫の使っているシャンプーの匂いが。(そもそも、女性に渡すなというか)とても良い匂いで高いシャンプーだとわかるのが、余計に気に障るというか。(というか、薫の髪ってすごく綺麗だもんね)カーラの手間もかかっているのか、前からなのか。それはわからない。
 エンジンが掛かる。それに釣られてリアの掴めるところを探す。(ここかな)ギュッと握ったら、薫が振り返る。強引に私の手を掴んで、自分の腰を掴ませてきた。(えっ、えぇえ)それ、普通に、こっ、恋人同士がやるものじゃぁ。「なんだ」不服か、といわんばかりに睨んでくるものだから、恐る恐る従う。(いいのかなぁ)確か、バイクのバランス──と思う間もなく、薫が飛ばして行った。ギュッと捕まる。着物なのに、全然着崩れないのがすごい。それほど、きつく帯で締めているということなんだろうか。薫のバランスに従って、身体を傾ける。住宅街や人の営みが遠ざかって、車だけしか見られなくなる。クイッと薫が右に寄せたものだから、私も重心を合わせた。釣られて、視界に映る光景に目を奪われる。
(う、わ)
 海が広い。昼間だから空の明るさを受けて海の青さが深まっているし、潮の香りが微かに風に乗る。バイクのエンジン音や通り過ぎる車の音に混ざって、波の音も聞こえる。肩の力が抜けた。(本当、海を見ると、ちっぽけに思える)私の悩みなんて、ちっぽけなように思えた。
 青い広い広大な海が、右手の方に伸び続ける。どんなに先に進んでも、海がずっと地平線の先まで続いていた。(当たり前だ)地球は丸い。球体だから、点と点同士が繋がって、果てがない。そんなことを考えたら、薫がカーブを攻め始めた。本当、急だ。一種のアトラクションみたいに思える。段々と車の音が遠ざかり、波とバイクの音だけが聞こえる。潮の香りも強くなった。『到着しました』カーラの声が、耳元に聞こえる。(あっ、こういうのがあったと)本当、カーラのアシストは余念がない。それを設計した薫も、ちゃんと抜かりがない。じゃぁ、これを被ってない薫は? 多分、前方の操縦席にデバイスとかあって──。と、考えてたらバイクが止まる。エンジンが切られ、薫が片足を地面に下ろした。プハァ、とヘルメットを脱ぐ。なんか、長い髪がシルクのように、上から下へ下りた。(本当、女の人と錯覚する)ただでさえ、髪が長いし、そういうプロモーションも多い分、余計に。私も釣られてヘルメットを外す。籠った空気から解放され、気温差で風が涼しい。潮の香りも強くなり、波の音も大きく聞こえた。
 ここまで連れてきたのに、薫はなにもいわない。
(えっ、と)
 流石に、このままでは気分が悪い。なんか、タダ乗りしたような気分で。けれど、薫には下心もなくやったようで、それは勿論虎次郎もだ。下心は、ないと思うし。
 ──話も聞いてくれそうだから、自分の整理として、呟くことにした。
「なんか、告白されちゃってさ。Sの、ファンとかいうのに」
「は?」
「断ったら、結構けったくそいわれてさぁ。どうせ顔だけしか見てないのなんの、ジョーもチェリーもそうだとか、ぼろっくそ」
 あ、自分でいっただけ悲しくなっちゃった。また涙出そう。
「まぁ、それで、ショック受けちゃって。でも、今は」
「どこのどいつだ」
「えっ」
「お前にそんなことをいったのは、どこのどいつだ。地獄を見せてやる」
「いや、もうファンは辞めたとかいってるから、きっと見当たらないと」
「カーラ」
「いや、カーラ使わないで?」
「顔認証システムの起動を」
「ちょっと、薫?」
「徹底的に洗い出して、後悔させてやる」
「いや、気持ちだけは受け取るから!! ありがとう! こんな私のためにしてくれて!!」
「『こんな』とかいうなッ! 第一、俺は!!」
 そう私と面と向かって叫んだあとに、ザッパーンと波が岬を叩く。それで興が削がれたのか「クソッ」と薫が悪態を吐いて目を逸らす。──あ、『興が削がれた』とは不適切かもしれない──。水を差されたような居心地の悪さに視線を泳がせ、口をむにゅむにゅと動かす。「と、とにかく!」強引に話を戻そうとしていた。
「俺は、お前の顔で好きになったんじゃない。そこは、覚えておけ」
「うん」
 あ、なんかストンときた。恐らく『顔』一つにも色々と言葉はあるだろうけど、きっと薫のいうところは「表情」を除いたものだろう。難しいけど、外面の良さという下心で付き合ってくれてはいないということは確かだ。(薫、結構オフのときは仕事抜きの顔になるし)不器用というか、素直というか。照れ臭くて、首の後ろを隠す。
「ありがとう。私も、薫のそういうところ好きだよ。臆面もなくズバズバと言ってのけるところとか」
「んっ!? んんっ、ゴホン。まぁ、お、お、お、俺も、お前の」
 そ、そういうところは好きだぞ。と、ゴニョゴニョと聞こえる。うんうん、面と向かって相手を好きだとかいうの、恥ずかしいもんね。わかるよ。というか、面と向かって本心を話すのは本当に。ポリポリと首を掻く。それから、項《うなじ》を隠した。
「うん。なんていうか、難しいね。人の好意と向き合うのって。アレとは絶対に付き合いたくねー! っては思ったけど。ハハッ」
 軽く笑って笑い飛ばしたけど、薫は一緒に笑い飛ばしてくれない。なにかを悩むかのように、視線を泳がせていた。袂から扇子を取り出して、頬に当てる。あ、真剣に考えているときの顔だ。(なにか、失言しちゃったかな)自分の言動を思い返す。(『人の好意と向き合うの』)いや、これは外れていないはず。誰だってそうだ。私だったら、かもしれないけど。
(でも、虎次郎だったら上手いことやれてそう)
 いいなぁ、と女の子をナンパする姿を思い浮かべた。「まぁ」長い沈黙を経て、薫が喋りかける。トン、と頬に当てた扇子が肩へ落ちた。
「高山流水、清風故人、布衣之交や暮雲春樹であろうとも、完全に理解することは難しい」
「うん」
 難しい四字熟語がズラッと出てきたけど、なんとなく会話の前後でわかった。あと、どれも中国の文法を基準にしてるから、その知識でも。薫は目を伏せたまま続ける。
「だが、損者三友にある上辺だけで物をいう人間と付き合わない方がいい、ということは確かだな」
「そう思う。馬に蹴られたにしては、とても痛いけど」
「死ぬだろ。それ」
「うん。でもそのくらいショックを受けたし」
 比喩としては大袈裟ではない。そう考えていると、ザパーンと波が岬に押し寄せてくる。「やはり地獄を見せるべきか」ボソリと呟いた薫の言葉が聞こえたけど、どうしよう。やはり止めるべきか? いやそれで本人が納得するのなら、それはそれでいいけど。いや、うん。
「なんだったら、私がビーフ申し込んで、発言を撤回させるから。ね?」
「はぁ、お前はわかっていないな。こういうのは、直接叩きのめした方がいいんだ」
「なにをいってるの? いくら、Sはなんでもありだからって。そんな」
「喧嘩を吹っ掛けてきたのは向こうだぞ」
「うっ」
「売られた喧嘩は買う。当然だろう」
「まぁ、そうだね」
「視界に入れたくないなら、入れさせん」
「は、ハハッ。ありがとう。本当、嫌になるね。男と女がどうとか、どうとか」
 あっ、ヤバい。今のは失言だったかも。思わず手で隠す。(虎次郎も薫も男で、私は女。それで性別を無視した友情もないとかいうし)
 本当に、互いにどちらかが無理しての付き合いだろうか? そう考えると、自然と付き合い方を見直さないといけなくなる。(距離、置いた方がいいかな)
 波が岬を打つ前に、ギュッと痛いほどの力で強く握られる。驚いて握られた方を見ると、左手だ。掴んできたのは薫の右手で、見上げると切羽詰まった薫がいた。放そうとしてくれない。海が、ザプンと音を立てた。
「そんな、下らないことで思い違いをするな」
「く、下らないことって」
「俺にとっては下らないことだ。まさか、俺よりそんなヤツの言葉を信じるのか?」
 そういわれると、ブンブンと首を横に振るしかない。「そんなわけない!」咄嗟に口から否定の言葉が出た。あっ、いや、でも口ではどうとでもいえるし、本当に。視線を下に落とす。薫も釣られて、視線を下に落とした。
「そんなに、信用ないか。俺のいうことに」
「いや、ごめん。ちょっと、気持ちが落ち着かなくて。冷静になったら、うん」
 大丈夫だと思う、と告げたい言葉が消える。見栄を張っても、不安は残った。(海に入ったら、気分が良くなるかな)いや、入水自殺から全てがどうでもよくなる。うん、描写に使えそうだけど実行するのは危険そうだな。はぁ、と息を吐く。
「ファンなら、もう少し気持ちを考えて行動してほしいよね」
「そいつが考え無しで気持ちを押し付けたいだけだろう。忘れろ」
「うん、できたら忘れたい」
 視界に入れないよう気を付けて、告白されたこと自体も忘れるよう気を付けて。(あっ、ハラスメントの一種)こうして心的外傷に近いストレスに晒されているんだから、ハラスメントといってもいいだろう。仕事脳が描写に使えると囁くが、気分が乗らない。本当、難しい。
 ギュッと、痛いほど握られた左手の痛みが弱まる。悲しそうに眉を下げた薫と、目が合った。
「そろそろ、帰るか。あのゴリラが仕込みを終えた頃だろう」
「あっ、うん」
 口振りはいつも通りだけど、声色と顔が合ってない。それを指摘したいけど、私も私で傷を穿り返しそうだから、黙る。忘れたいと決めたのだ。恐らく、誰かから「忘れろ」と背中を押してほしい無意識の願望があったのも、恐らくそうだろう。
 薫の背中にギュッと抱き着く。今だけはヘルメットを被ってよかったかもしれない。今だと、着物の背中に涙の染みが付きそうだし。カーラを搭載したバイクは、本当速い。スポーツタイプな分、下手な車よりも、よっぽど速い。そして行きよりも、スピードは大分上がっていた。
 なにも考えず、風だけを感じる。虎次郎の店に着いて、バイクから降りた。脱いだヘルメットを渡す。なんか、薫の元気がない。私がちゃんと、話したことが原因かもしれない。(いや、それも思い上がりかも)否定を繰り返すと、段々落ち込んでくる。そんな葬式状態で戻ったからか、元気よく出迎えてくれた虎次郎が、驚いてしまった。
「おぉ、お帰り。遅かったなぁ、って。げっ!? おいおい、すごい顔で帰ってきたなぁ。まるで通夜みたいだぜ?」
「うるさい。黙れ、馬鹿ゴリラ」
「なにがあったんだよ。いったい」
「いや、ハハッ。実はね」
 前回の反省を活かして、明るく虎次郎に理由を話す。「告白をされて断ったら、傷付くようなことをいわれた」こと、「それで暫く落ち込んでいた」こと、「でも薫に話を聞いてもらえて元気が出た」から「安心してほしい」ということと「忘れるように気を付ける」ってこと。──うん、ちゃんと自分の言動を思い返しても、この四点をきちんと伝えられた。だから大丈夫。
「だから、ちょっと不安に思っちゃって。ごめんね? 情緒不安定は、これだからこまっ」
(あっ)
 ピシリと固まった。やべっ、もしかして。地雷を、踏んだ?
 虎次郎が、今までないくらいに、冷たい目でこっちを見ていた。
「ふぅん?」
 頷く声すらも、無機物のように冷たくて怖い。思わず、ギュッと裾を握り締める。いつもだったら「ハハッ、冗談だって」と笑い飛ばしてきそうなのに。それがない。(えっ、なんで? どうして?)いつもの女タラシの面はどうしたのだ、本当に。肝が冷えて固まる私をお構いなしに、虎次郎が聞いてくる。
「で、その告白してきたヤツは誰なんだよ。名前は?」
「えっ。し、し、しら、知らない。なんか、Sでのファンだとかいってきて、それで」
「へぇ。すると、告白すら成立できないじゃないか。ハハッ、良い根性をしているなぁ」
(ヒッ! な、なんか、怖い)
 恐る恐る、薫を見る。助けを求めたら、無言で目を閉じてきた。頭を横に振る。(なんで!?)薫ですら手が付けられないようだった。
「女の子を傷つけるなんて、男の風上にも置けないよなぁ。そう思うだろ?」
「う、うん。モラハラとかいう、概念もあるからね」
 こら!! なんでそこで頭を押さえて溜息を吐いたんだよっ!! 薫! なんて虎次郎の口調で思わず心の中で突っ込んだけど、本当、虎次郎が虎次郎じゃなくて怖い。いつも私の知る虎次郎じゃなくて、本当に怖かった。
(なんというか、怒っている?)
 ピリピリという感じなのも、怒ってることによると解釈すれば、まぁ辻褄は合う。(でも、私というよりか)誰か、別の人に怒っているような。虎次郎のピリついた感じは直らない。
「そういったヤツは、さっさと記憶から消した方がいいぜ。どうせ居座っても嫌な気持ちになっちまうだけだ。あぁ、林檎食うか?」
「あ、うん」
「ちょっと皿を持ってくるから、待っててくれ」
 そういって、剥いた途中の林檎をカウンターの中に置いて、厨房に入って行く。ちょっとカウンターの様子を見ると、果物が入った箱がある。多分、戻ってくる前に荷物の受け渡しがあったんだろうか。店に使うと思われる果実の、種類ばかりである。
「ね、ねぇ」
 薫、と聞く前に虎次郎が戻る。慣れた手付きで皿を置いて、中断した林檎の皮剥きに戻る。ナイフ片手に、シャリシャリと。剥いている林檎の皮が薄い。(流石職人、料理人)でも、林檎の皮を剥く目が怖い。まるで、殺人鬼のように冷たい目だ。(や、流石に言いすぎ)でも、それくらいに怖い。
 クイッと皮を剥いた林檎の実を加工して、皿に載せたのを出してくる。(わぁ)流石イタリアンシェフ! 果実のアートもお手の物だ。惚れ惚れとしていたら、少しだけ虎次郎の機嫌が良くなった。
「どうぞ、召し上げってくれ」
「わっ、ありがとう。食べるのも勿体ないね」
「そうといわず、食べてくれ。林檎が可哀想だろう?」
「うん」
 食べ物を粗末にすることはできない。添えられたフォークで、林檎の一切れを刺す。わっ、瑞々しくて甘い! 届いた果実も厳選されたものと見える。
「で」
 笑顔なのに、目が笑ってないところが怖い。
「その不届き者の顔は、覚えているか?」
「うっ」
 まさか話を蒸し返すとは。チラッと薫を見る。頬杖を衝いた薫の横顔と、目が合った。その状態で、口パクでいわれる。「諦めろ」と。(そんな、殺生な)見放す薫を横に、虎次郎が尋ねる。
「なに、話をしたいだけだ。駄目か?」
「そ、そんな顔でいわれても」
「『そんな顔』? それはちょっと気になるなぁ。教えてくれない?」
「うっ、ぅうう」
(でも、覚えてないのは覚えてないし)
 あっ、この返しがある。こういったのがあるから、怖くていえなかったんだ。
「逆襲してくるのが、怖いし」
「それは男の自分より女が弱いと思ってるからだろう? 安心しろ。返り討ちにしてやる」
(なんだろう。この口振り、安易に乗ってはいけないような気がする)
 なにせ、この筋肉だ。本気を出したら、一溜まりもないだろう。それに、あのジョースタンプ。
 サーっと顔を青褪めていたら、隣から溜息が聞こえた。薫だ。薫がようやく助け船を出してくれる!! そう期待で胸が跳ね上がったら、裏切られた。
「滅多にないガチギレだ。諦めて素直に吐け」
「あ? っつーと、薫。おまっ、あんだけ譲ったのに聞いてねぇのかよ!?」
「聞いたわッ! ただ、本人の気持ちを慮って避けただけだ。阿呆」
「あぁいうのは、放置したらネチネチネチネチしつけぇだろ! 先に駆除するのが早いんだよ」
(く、駆除)
「だから、気にすることはないぜ。気にする義理すらねぇ」
「そ、そうだね。そう思うよ」
「で、そいつの顔と名前は?」
「わからないけど、見かければわかると思う」
「よし! じゃ、今度会ったときにとっちめるか!」
「えっ」
 そう笑顔でいわれても。固まるしかない。なんか、そういう感じに押し流されて終わった。「にしても、許せねぇよなぁ。そんな風に告白する男なんざ、風上にも置けねぇ」「二度いってるぞ。阿呆ゴリラ」「うるせぇなぁ、数えるなよ。重箱隅突きピンク」「お前こそ、強引すぎるだろ。脳筋ゴリラ」「あ? なんだって?」とりあえず、いつもの二人の会話だけを聞けて、満足か。いや、この満足は安心といつもと変わらない日常という意味で。とにかく、ホッとしたのだ。
 ポリ、ポリと林檎を食べる。
 一週間くらいSを避けて過ごしたけど、あれ以来あのファンの姿は見かけなくなった。


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