ある日の話(+温泉組)

 あるとき、暦は合間を縫って尋ねてみた。
「なぁなぁ、気になったんだけどさ」
「えっ? なに?」
「おい、呼ばれているぞ。ゴリラ」
「だったら、離れろよ。陰湿眼鏡ッ!」
「そっちこそ離れろ! 原始人!!」
「なんだと!?」
「ジョーもチェリーも、全然名前で呼ぼうとしないよな」
 と、新参者の名前をさん付けで呼ぶ。「えっ」と新参者は驚き、当の二名はピタッと固まった。「確かに、いわれてみればそうだね」三人分はありそうな大盛りのナポリタンを食べるランガが、冷静にいう。「どうせ、恥ずかしいとかそういうものなんでしょ」炭酸ジュースを頼んだミヤがいう。Sia la luce≠フオーナーシェフ、虎次郎の計らいで新鮮な果実が一切れ、グラスの縁に差し込んであった。「そんなわけ、いや。あるかもしれないな」うん、とシャドウが頷いた。白塗りに巨大な緑のアイメイクを施した化粧はしておらず、素顔だ。服装もSのように派手なものではない。思い思いに寛ぐ四人を前にして、薫が噛み付いた。
「んなわけあるかッ!! コイツの名前くらい、普通に呼べるわ!」
「ほら!! 今だって、呼んでねぇじゃん」
「私はちゃんと呼んでいるよ。薫と虎次郎って」
「そうそう。俺だってちゃんと呼んでるぜ? なぁ、プルチーナ」
「ジョーに至っては、違う呼び方だし」
「フンッ。どうせ下の名前で呼ぶのが怖くて出せないだけだろう。臆病ゴリラが」
「なんだって!? だったらお前はいえるってことだよなぁ? えぇ!? 卑怯眼鏡ッ!」
「俺のどこがだッ!! タラシゴリラ!」
「機械でアイツの気を引いてるじゃねぇか!!」
「機械じゃないッ! カーラだッ!!」
「ほら、いつものように始まった」
「そうじゃなくてさぁ。うーん」
 少し悩んで、暦は新参者の方を見る。また名前の下をさん付けで呼んで、尋ねてみた。
「それでいいわけ?」
「うーん」
 新参者も同じように返す。自分は別に気にしないが、暦はそうでもないらしい。「でも、たまには名前で呼ばれるし」「頻度ってもんがあんじゃん?」「どうして、暦はそこまで気になるわけ?」「スライムにもこだわりってものがあるんじゃない?」「うーん、けど」ポチポチとレベリングを続けるミヤの横で、シャドウが頭を回す。
「確かに、名前で呼ばれるなら名前で呼ばれたいものだよなぁ。やっぱり」
 そう持論を話したあとに、ポッと顔を赤らめた。両手で自分の頬を押さえる。「店長」と小さく呟いた中身を見るに、どうやら想像した相手は職場の上司のようだ。暦の注意がそっちへ向く。「シャドウって、本当わかりやすいよなぁ」「なにが?」「どうせ店長のことでしょ」「コラァッ!」しかし自分がこの手の話題に上がることは、嫌がるようである。
 しかし、シャドウの言葉でピタリと固まる影がある。二つだ。いつもの喧嘩をした虎次郎と薫が同時に固まった。この気配を感じ、そーっと新参者が二人を盗み見る。互いに襟首を掴んでいるものの、顔の正面は事の発言者に向かっている。(まさか、な)──確かに、お互い名前を呼び合うことができれば対等な感じがするが、どうも別のものを感じる。胸がこそばい気持ちだ。だからこそ、このような呼び合いの方がまだ安心できるのだが──。そう考えている新参者の前に、薫がいち早く動いた。「あっ! お前!?」虎次郎が不平を叫ぶよりも先に、薫が動く。隣の新参者へ身体の正面を向け、対面した。口が小さく開く。だが、声が出てくる気配がない。新参者へ身体を乗り出した状態のまま、口だけが微かに出てくる。それでも、声が出てくる気配がなかった。
「あっ、その」
 気まずそうに、小さく三つの言葉が出てくるだけである。視線を落とし、俯き、腰を自分の席に戻す。静かに落ち込んだ薫に、新参者はなにか声を掛けようとした。「あっ、うん」その、と声が出てくるよりも先に、虎次郎が仕掛けた。カウンター越しに新参者の前に立ち、声をかけた。
「そんなことより、ガッティーナ」
「名前」
 鋭い暦の指摘に、虎次郎が「うっ」と呻く。笑顔のままだが、声の方に動揺が出た。口説こうとした状態のまま、言葉を探す。けれども声が出るよりも先に、顔に熱が集まった。無言で俯き、片手で顔を覆う。「あー」と呻きながら、カウンターの中で身体を丸めた。筋肉質な巨体が、カウンターの向こうに沈む。
 蹲る二人を見た新参者は、当の四人にいった。
「ほら、こうなる」
「えっ、予測してたの!? こうなることを!?」
「なに、どういうこと?」
「へっ、天然?」
「なんというか、ほら。ジョーもチェリーもお互いのことを名前で呼ばないじゃん? だから下の名前で呼ぶことも慣れてないんじゃないかって」
「あぁ、そういうこと」
「なぁんだ、つまんない」
「おい。ガキが昼ドラみたいなことを望むなッ!」
「でも、下の名前で呼んでるよね?」
「まぁ」
 新参者は頼んだアイスを一口掬い、口に運ぶ。
「二人から、そう呼ぶようにいわれたからね」
 そう素面で告げられた一言に、虎次郎と薫の羞恥心が高まった。思えば、結構大胆に要求したものである。顔に熱がさらに集まり、頭を抱えて頭部を隠す。なるべく、赤くなる耳が外部の目に触れないよう気を付けた。新参者はいう。
「だから、今のままでいいの」
「いや、二人の態度が露骨すぎだろ」
「なに? どういうこと? チェリーとジョーの具合が悪いわけ?」
「本当、鈍感だよねぇ」
「うん、気持ちはすごくわかるぞ。気持ちを伝えるには、勇気がいるもんな」
「なにかいったか!?」
「ちょっと黙ってくれないかッ!?」
「なんで涙目なの?」
 当人は恋の病で苦しんでいることを知らない。


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