すれ違い攻略(じょ)

 普段から新参者とは一緒に滑る仲だが、今回は外では滑らないらしい。「雨が降ったし、家で過ごす?」突然のお誘いに南城はドキッとするが、同時に不安に思う。(そう簡単に、男をホイホイ招いていいのか?)とは強くいうことはできず、「いいのか?」と口調を柔らかくして尋ねる。「うん」と新参者は考えなく頷いた。
 ──「だって、虎次郎。慣れてるでしょ?」
(酷い言い草だ)
 同時に誤解だといいたい。新参者は完全に南城を男だと見ていない。寧ろ、自分に気がないとさえ思っている。(好きじゃなかったら、ここまで気を遣わねぇだろ!)そう大声で叫びたいが、新参者の手前もある。自分らしくもないと思いながらも、自分と過ごしたい新参者の気持ちを優先する。「じゃ、そうしよっか」軽く頷く南城に「うん」と新参者は返した。実際、南城の胸中は複雑で重い頭痛の種に悩まされていた。それでも口調が軽いものだから、新参者も軽いように捉えていた。
 そして、現在。南城は自宅で寛ぐ新参者の姿を前にして、必死に込み上がる本能との戦いを余儀なくされた。──実際、ここは新参者の家なのだ。気楽な格好をして、なにが悪い──けれど、限度というものがあるだろう。咄嗟に自分の口元を手で覆い隠す。目も逸らした。新参者は外出するときと比べ、肌の露出が多かった。(なんというか、うーむ)批判的に眺めて落ち着かせようとするものの、本心が勝る。首をもたげる自身を隠すように、南城は膝を立てた。新参者の家具に悪いと思いつつ、クッションを肘掛けの代わりに見せかけて隠す。全体的に隙の多い部屋着に着替えた新参者は、タブレットで動画を探していた。
「んー。これとか、どうかな?」
「んっ!?」
 ビクッと床に置いた手ごと跳ねる。背凭れの代わりがベッドだ。しかも非常に無防備な新参者がいる。もし「今すぐ食べてもいいよ」「襲わないの?」とでもいわれたら、辛うじて繋ぎ止めた理性がプツンと切れる。(それだけは、なんとしてでも避けないと)グッと新参者の見えないところで拳を握り直し、決意を胸に秘める。一先ず新参者の指す動画を見てから、自分を招き入れた顔を見た。誘惑を、しているような顔ではない。心を掻き乱されながら、南城はどうにか調子を崩さずに尋ねる。
「あー、うん。ところで、さ?」
「ん?」
「どうして、その。着替えたんだい?」
 ──ナンパする口調に近付いたのは、あくまで自衛のためである──。「女の子から望まない限り、俺はキスとかは無理にしないよ」という意思表示である。それを逆手に取り、新参者が仕掛けるまで己を保つ。保とうとした。ふにゃりと眉を下げた新参者を前にして、ギリッと南城は自分の下唇の端を噛んだ。普段と異なる態度を取ったことで悲しむ新参者を前にして、理性が崩壊しかける。「いやいや」「そんなことないって!」「お前だけしか見えてないんだぜ?」そう軽い口調から一気に色気を滲ませて落としたい。あわよくば押し倒してキスを納得させるまで続けたい。なんなら新参者のふわふわに蕩けたような顔も見たい──。それら下心を一気に消すため、ひたすら唇を噛んだ。痛覚で堪えることに集中したせいで、端から血が垂れることにも気付かない。
 南城の口端から垂れる血を見て、新参者はギョッと驚いた。
「えっ!? どうしたの!? もしかして、そんなに我慢するほど、嫌だった?」
「いやッ!! 満足だッ! じゃ、なくてだな? あー、どうして着替えたかってことを、知りたかったんだ」
「あ、あぁ。そういうこと」
 南城の我慢を自分と過ごすことへの嫌悪感と受け取った新参者は、ホッと胸を撫で下ろす。ティッシュを数枚出し、南城の口元に押し付ける。(うぉ、っと)自分の太腿に新参者の膝が乗り、自分の肩に手を置かれる。ついでに距離が近い。ここまで接近されると、意識せざるを得ない。ドクンドクンと南城の胸がうるさいほど昂る。見開いた瞳孔に紅潮する頬、うるさく跳ねる胸の二つを見た新参者は、首を傾げた。南城の太腿から膝を下ろす。自然と南城の手が、ティッシュを押さえる新参者の手に近付いた。
 包み込もうとする手をティッシュを受け取るものだと勘違いし、新参者は一気に手を離した。
 パッと、落ちそうになるティッシュを南城は慌てて掴む。血の滲んだ唇に押さえ付けると、興奮休まらぬ目で新参者を見た。
 南城の隣に座り直し、タブレットを拾い上げている。
「いや、あの状態だと落ち着かなくて。嫌?」
「嫌、じゃねぇけど、な? その、こう見えて男なんだよなぁ」
「あー、うん。そう。でも、そういう気分じゃないよね?」
(そういう気分です、だよッ!!)
 グッと否定したい感情が眉間の皺に出た。ガシガシと後頭部を掻く。勢いでベッドに後頭部を乗せたのが間違いだった。一気に新参者の香りが鼻孔に広がり、毎晩ここで寝ていることを自覚させる。(押し倒してぇ)(なんなら、強引にでも伝えるか?)(いや、しかし、心の準備というのもさせないと)グルグルと考えが広がる。なにより、新参者とまだ、そういう関係ではない。赤面しながら、腹の底で蜷局を巻く蛇の唸りに心底手を焼かれる。片手で口を覆い隠しながら視線を斜め上へ逸らす南城に、新参者は続けた。
「まぁ、嫌なら上になにか着るけど」
「いや、お前がそれでいいっていうんなら、それでいいけどよ」
「うん? でも、虎次郎は困ってるんでしょ? なにか、ってのはわからないけど」
(お前の馬鹿みたいに隙だらけなのに困ってるんだよッ!!)
「あっ、もしかして喉が渇いているとか?」
(んなわけねぇだろ!)
 心の中で強くツッコミを入れるが、本人の前ではいえない。「あー、うん」「それで頼むわ」そう力なく頷くしかない。ますます新参者は意味がわからなくなった。
「じゃぁ、入れてくるね」そういって立ち上がる。自分から離れる姿を見て、南城はぼんやりと思った。(尻)(太腿、しゃぶりつきてぇな)(というか、手を差し込んだら確実に怒られるだろうな。うん)(あー、くそ。早くそういう関係になりてぇ)(それなら手を出してもセーフだろ?)自身と葛藤を続ける。新参者が「紅茶でいい?」とキッチンから声をかけてきた。それに南城は「あぁ」とだけ簡潔に答える。これにも新参者は不思議に思った。
(いつもなら『それで頼むぜ』って機嫌よくいうのに)
 ますます意味がわからない、と首を傾げた。斜めの視界で、ヤカンにお湯を入れる。紅茶を入れる最適の温度になるまで、待った。その間につまめるものを探す。
「あー、チョコレートか饅頭しかないな。虎次郎、なにがいい?」
「お前」
「へっ?」
「あっ、いや。紅茶に合うもので問題ないぜ。えーっと、チョコレートだったか?」
「うん。あっ、なんだったら買いに行こうか? 近くにコンビニがあるし」
 滑れば早く着くと思う──。そう新参者が言い終える前に、のっそりと大きな影が上から降りた。南城が行く手を阻む。「あ、あの?」家主である新参者は困惑する。まるで自分のテリトリーであるといわんばかりに、南城は動いた。調理台を背にする新参者の横に手を着き、左右の逃げ場を奪う。狼狽える新参者を上から見下ろし、目を見てハッキリと断った。
「ダメだ」
「えっ、でも、ちゃんと、流石に外行く格好には着替えるよ? ラフだけど」
「それでも、ダメなもんはダメだ。今は、外に出したくない」
「えっと、私。この部屋を借りてる人間ですけど?」
「重々承知している」
「なのに、外へ出したくないって? それは、なんで?」
「はぁ、好きだからだよ。こんな無防備な姿を見せられて、外へ出したいと思う男がいるとでも思ったか? 地球上を探しても、どこにもいねぇよ」
「えっ、へっ? いや、あの、どうい」
「好きだって話だ。本気だぜ?」
 そう告げて、新参者の顎を上げさせると同時に、額をコツンとさせる。「はぁー」と深い溜息を吐き、視線を上げた。確認すれば、顔を真っ赤にしている新参者が固まっている。予測通りだ。名残り惜しむように、添えた指で新参者の顎を撫でる。下唇の縁に掠りたいが、ギリギリのところで堪えた。
「まぁ、返事を聞くまでは待つぜ? こう見えて、本命には気が長い男だからな、俺は」
「いや、あの、そっ、それっ、ほっ! ほかっ、ほかの女のひとにも、してるんじゃぁ」
「もっとスマートに口説くぜ? ここでキスをしている」
 試しに親指で新参者の唇を潰せば「ひゃっ」と子どもみたいな声が出る。グッと込み上がる劣情に南城は苦い顔をした。(クソッ!)ここで新参者の同意を得たわけではない。ここで唇を奪うのは早計だ。現に今の行動で、新参者の思考が止まってしまった。頭から湯気を出して、茹で蛸みたいに顔を赤くして、プスプスと蒸気を出している。はぁ、と南城が溜息を吐いた。
「あり合わせのもので、なにか作るか?」
 額がくっついたままの状態で、南城が尋ねる。至近距離での何気ない会話に、新参者はコクコクと頷いた。「よし」気を取り直し、南城は離れる。自分の身が自由になったと同時に、新参者は自分家のキッチンから離れた。咄嗟にリビングに出て、両手で胸を握り締める。視線を右往左往させ、膝を擦りつけたまま叫んだ。
「ちょ、ちょっと洗ってくるからッ!!」
「あぁ、そうしてくれ」
 切羽詰まった新参者の一言に、痛む頭を押さえる南城が反射的に返す。(ん?)返事をしたあとで気付いた。(『洗ってくる』って、どういうことだ? ハッ! まさか!?)咄嗟に失言に気付き、頭を抱えた。
 その場に蹲る。
(しまった、気が早すぎたか!?)
 そういう事態に備えた準備も、自分はしていない。(あー、くそっ。しまったぁ)心底悔しがるが、やってしまってはもう遅い。自分も色々と腹を決めなければいけぬ。新参者がしたかもしれない誘いに備えて、色々と対策を決める。(よし! こうすれば、然程混乱はしないはずだ)そう南城が気分を切り替えたところで、新参者が洗面所から戻る。その足音を聞いて、南城は振り返った。
「あぁ、もう少し待ってくれ。今、なに作るか考えて」
「あっ、うん」
 ──先よりひどく着込んでいる──。脱がすのに何重にも手間がかかる部屋着の交換を見て、南城は膝を崩した。無意識に床を叩く。
「くそったれ!!」
「えっ、なに!?」
 恥ずかしさで服を着替えたなどとはいえず。新参者は初めて見た南城の悔恨に、ただ困惑した。オロオロする。南城と新参者のすれ違いは続いた。


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